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2008年 07月 17日
神輿
e0130549_12361727.jpg現代の東京で祭といえば何をおいても浅草の三社祭が第一等の名を馳せている。しかし例年神輿に乗る者があり、あるいは素行宜しからぬ連中も多く繰り出すとあって、今年は静粛のうちに執り行われたようであるが、これも風紀秩序の問題で致し方ないこととはいえ、年々東京の祭が廃れていくようで淋しい感もある。

今を去ること二百余年の昔、江戸の祭は現代に比較して幾数倍の盛況を極めていた。当時江戸の三大祭といえば山王、神田、深川八幡と相場が決まっていて、わけても日吉さんの愛称で親しまれた山王祭は将軍上覧に供えるとあって、天下祭と異称され非常に盛大であった。

全国に視界を広げれば京都に葵祭があり、大阪に天満祭がある。これに山王祭を加えて日本三大祭と称していたが、何ぶんにも山王祭は将軍上覧であるから、これが他の祭に劣るとあっては幕府の威光に関わる。そこで町奉行所では各町の町役を呼び出して「京大阪にはゆめゆめ負けるべからず」などと申渡していたようである。

こうなれば日頃から遊ぶことを生き甲斐とする連中にとってはしめたもので、お上の申渡しを嵩にきて富裕な商人に対し祭礼費用の寄進を半ば無理矢理に迫っていた。また迫られる商人にしても大方はこれを断るわけにもいかず、一種の租税とあきらめて負担に甘んじており、これが江戸の祭を支えていたという側面もある。

山王様といわず八幡様といわず神輿の渡御は盛大で、これを「神輿を揉む」と称して町内の若い衆が捩鉢巻きの肌脱ぎで前後左右からワッショイワッショイと神輿を振り立てるのだが、祭礼費用の寄進に潔く応じかった商人が制裁を受けるのも、またこのときなのだ。

往来の向うからワッショイワッショイが近づいてくる。旦那様と奥様が「やあ、これはにぎやかだ」などと店の中から見物しているところへ、いよいよこれが目前に迫る。するとあろうことかワッショイワッショイはそのまま門口を通り、土足のままで店に踏込み、家財を蹴壊し、看板を叩き落とし、あらん限りの乱暴狼藉をはたらき、やがて往来へ去ってゆくという始末。

「おもうさま 降って上がった 夕影に 灯し染めたる提灯も なにかにつけて町内の そぞろ浮き立つ祭声  まっぴらごめんねえ 祭にやあ神輿を担いで廻るんだが おめえんとこの軒が邪魔くせえから とっぱらっちゃあくんめえか」(小唄/祭)

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by hishikai | 2008-07-17 12:50 | 文化