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2008年 07月 27日
『阿呆吉』渥美勝(要約)
e0130549_3241411.jpg明治も中頃のこと、自分が彦根に居た時分に、吉つあんは銭湯に三助として半ば恩情で置いて貰っていた。三助といっても客の背中を流したり湯加減火加減に気を配って整えておくなどという器用なことは出来ない。そして他人から各種各様なことを言われても唯うんうんと答えるばかりなので、阿呆吉と呼ばれている。

吉つあんは寒暑を通して袷衣一枚で、そこに垢付いて皺だらけになった帯を一重回しに巻き、これを尻の上に結んで続けて七つばかりも結び目を連ね、あとはだらりと下げている。こういう扮装で、他人が笑おうがそしろうが、何処に風が吹くという顔をして、目途もなくぶらぶらと街路を歩いて行く。

吉つあんと呼べばうんと云う。甘味いものをやろうかと云えばお呉れと答える。やればうんと云って手にすると直ぐ口に入れる。お礼を言いなと云えば、またうんうんと云って、唯うんうんと云いながら貰ったものを更に頬張って、また目途もなくぶらぶらと歩いて行く。笑われはするが憎まれもしない。

吉つあんには馬鹿の一芸というべきものがある。吉つあんが例の風態で街路を歩む時、そこに石ころや瓦の破片があって、それが目に入った折は必ずこれを下駄で蹴って道傍の溝に落として行く。溝が見付からない場合には、溝のある所まで、溝に落ち込むことを見定めるまで、どこまでも根気よく蹴って行く。

ある時吉つあんが歯の欠けた下駄でせっせと小石を蹴って歩むのを見て、つい可笑しさに絶えず、近くに寄って「どうしてそんなに石を蹴るのか」と聞いたらば、返事に「人が躓くと悪いからなあ」とこれだけが短い挨拶であった。他人が躓いたからとてそんな配慮は不要ではないかとも聞いたが、話は一向不得要領で終わった。

その後私は郷里の外に遊ぶことが多かったから自然事情にも疎くなっていたが、一年帰省して旧友と語った際に聞いたことには、吉つあんの居候していた銭湯は主人が代わって、吉つあんは全然の放浪者となり、近頃は全く姿が消えた、聞けば中薮村辺の捨小屋で飢えて死んだそうだとの事であった。

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by hishikai | 2008-07-27 03:29 | 資料