2008年 08月 21日 ( 1 )

2008年 08月 21日
非常時の幸福
e0130549_10514325.jpg昭和十八年四月、折口信夫は国学院大学に於ける講演を次のように始めている。「只今は、国学といふ学問の為には幸福な時代になつてゐますが、最近までは国学はそんなに幸福な学問ではなかつた。(中略)この幸福が考へ方で、深い我々の心の底から悲しい、激しい憤りの上に立つた幸福である」(国学の幸福/折口信夫)

昭和十八年は前年末の第三次ソロモン海戦の損害を受け、日本海軍がソロモン諸島方面の制空権と制海権を失い、補給を断たれたガダルカナル島派遣隊が二万人余の戦死者と餓死者を出し二月に撤退、四月にブーゲンビル島上空で山本五十六長官が戦死した年である。

国の滅亡が背中合わせになったこの時代を「幸福な時代」と折口信夫は言う。それは「心の底から悲しい、激しい憤りの上に立つた幸福」であると言う。戦いの憤りと悲しみの中で、複雑を捨て純粋に帰ろうとする人々の心と、古代への純粋帰一を目指す国学の理想が重なり、常になく透明となった時代の現象を指している。

こういう考え方を私達は知らない。戦後思想の信奉者は言うべくもないが、戦後は国の愛すべきを唱うる人までが、非常時の幸福という考え方を、時代の過誤として斥けてきたか、あるいは理解しなかった。たとえ命の先行きが知れず物資が欠乏しようとも、それに代わる如く時代が澄み渡ってゆくということを信じなかった。

以下は昭和二十年八月三十日の被爆者の言論である。「広島市の被害は結果的に深く大きいけれど、もしその情景が醜悪だつたならば、それは相手方の醜悪さである。広島市は醜悪ではなかつた。むしろ犠牲者の美しさで、戦争の終局を飾つたものと思ひたい」(海底のやうな光 原子爆弾の空襲に遭つて 朝日新聞/太田洋子)桶谷秀昭著『昭和精神史』より

戦争の終局を広島の犠牲者の美しさで飾ったという。この認識は原子爆弾の残酷が軍国主義を葬ったという物語からは理解できない。肉体の健康と生命を失いつつある人が、心の底から悲しい、激しい憤りの上に立って最後の純粋へ帰ろうとするという見方を以て、始めて私達は朧げながらも、この言論を理解する端緒を見い出すのである。

ブログランキング・にほんブログ村へ

by hishikai | 2008-08-21 11:01 | 大東亜戦争