2008年 12月 02日 ( 1 )

2008年 12月 02日
心はわが心より
e0130549_1231208.jpgさむしろや 待つ夜の秋の風ふけて 月をかたしく宇治の橋姫

藤原定家二十九才の作。この歌は「さむしろに 衣かたしき今宵もや 我を待つらん宇治の橋姫」を本歌として歌の物語性を本歌に預け、この歌自身は「風・ふけて」「月を・かたしく」と現実にはあり得ない結びつきを持たせた詞を意識的に織り併せることで、錯綜する印象の構成体として享受者に提示されている。

こうした定家の創作意識は父である藤原俊成の、現実は歌に詠まれることで始めて美しさを与えられる、と主張する歌論に支えられながらも、更にこの詞への認識論的な仮構性を極限まで押し広げることで、仮構が仮構を創出する「心はわが心より思いよれる」(千五百番歌合)という純粋虚構世界への指向に拠っている。

当時からこの創作意識に対して、作品は詠者の境遇や作歌事情を離れるべきではないとする後鳥羽院からの批判もあったが、それは定家の先鋭的な歌が宮廷歌の役割を果たし得ないという程度のことで、純粋虚構世界への指向それ自体は紀貫之の「心あまりて詞たらず」以来貫かれている国風美意識の正統に属する感覚であろう。

これは三島由紀夫の「能や歌舞伎に発する芸能の型の重視は、伝承のための手がかりをはじめから用意しているが、その手がかり自体が、自由な創造主体を刺戟するフォルムなのである。フォルムがフォルムを呼び、フォルムが絶えず自由を喚起するのが、日本芸能の特色」(文化防衛論)との見解にも受継がれている。

だがこの点は近代意識が日本文化に言及した場合に見落としがちなところで、例えば小林秀雄が『金閣寺』への感想として「なんでもかんでも、君の頭から発明しようとしたもんでしょ。(中略)その小説で何にも書けていないし、実在感というようなものがちっともない」と述べた辺りにも垣間見られる。

そして橋川文三も「書くべきものがないのに小説を書いているという事態は実在感なしにイメージを作り上げるという事態と等価である」(三島由紀夫の生と死)と述べていて、これら両者の三島由紀夫への批判がそのまま藤原定家への批判となり得るところに近代が歴史を自らに引き寄せて解釈する誤認がある。

その意味で三島由紀夫が「五十になったら定家を書こうと思います」(焔の幻影─回想三島由紀夫)と言った時、彼の心にどのような解答が用意されていたのか、それが今となっては詮無きことであっても興味深い。

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by hishikai | 2008-12-02 12:48 | 文化