2008年 12月 17日 ( 1 )

2008年 12月 17日
五勺の酒
e0130549_111521.jpg「そこで甲高いはや口で『家は焼けなかつたの』『教科書はあるの』と、返事と無関係でつぎつぎに始めていつた。訊かれた女学生は、それも一年生か二年生で、ハンケチで目をおさへたまま返事できるどころではない。そこでついてゐる教師が──また具合よく必ずゐるのだ──肘でつついて何か耳打ちをするが、肝腎の天皇はその時は反対側で『家は焼けなかつたの』『教科書はあるの』とやつてゐるのだからトンチンカンな場面になる。さうして、帽子を冠つたと思へばとり、冠つたと思へばとり、しかしどうすることが出来よう。移動する天皇は一歩ごとに、挨拶すべき相手を見だすのだ。(中略)もういい、もういい。手を振つて止めさして、僕は人目から隠してしまひたかった。(中略)二十前後から三十までの男の声で、十二三人から二十人ぐらゐの人間がゐてそれがうわはゝと笑つてゐる。いひやうなく僕は憂鬱になった。なるほど天皇の仕草はをかしい。笑止千万だ。だから笑ふのはいい。しかしをかしさうに笑へ。快活の影もささぬ、げらげらッといふダルな笑ひ。微塵よろこびのない、一さう微塵自嘲のない笑ひ。僕は本たうに情けなかつた。日本人の駄目さが絶望的に自分で感じられた。まつたく張りといふことのない汚さ。道徳的インポテンツ。へどを吐きさうになつて僕は小屋を出て帰つた。」(五勺の酒/中野重治)

中野重治は占領政策に便乗する人々の有様に憤った。それは中野重治の共産主義者としての思想を超えたところにある怒りだった。また彼は『アカハタ』で天皇の人間宣言を「贋金」と罵ったが、それは後年三島由紀夫によって書かれた『英霊の聲』の「などてすめろぎは人となりたまひし」と不思議に重なっていた。

エゴイズムを解放しよう、強欲な野心こそ真のヒューマニズムだと主張する闇市の民主主義者を中野重治は認めなかった。そして「彼らは死んだものを土台として目的を達しようとしてゐる」と言った。占領軍に容認された解放の風潮に乗って民主革命の旗を振る思い上がり、そういう人間のいかがわしさを許せなかった。

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by hishikai | 2008-12-17 11:07 | 大東亜戦争