2009年 01月 06日 ( 1 )

2009年 01月 06日
詠み人知らず
e0130549_15433257.jpg詠み人知らずの歌というと、例えば『梁塵秘抄』にある「わが子は二十になりぬらん 博打してこそ歩くなり 国々の博党に さすがに子なれば憎かなし 負かい給うな 王子の住吉 西の宮」が思い浮かぶ。宮廷歌人に遠く及ばぬ技巧ながら、それと同じくらい宮廷歌人の遠く及ばぬ率直さで詠われている。

どんな人かと想像して、きっと私達と同じく日々の生活に追われながら、手のすいた時には遠く空を見上げて家族を心配する、どこにでもいる人であったろうと思う。してみると私達の父母はみな口には出さずとも、各々が無名の詠み手であったのかも知れない。そう考えていたら『昭和精神史』の次の一節が思い出された。

昭和十九年七月、サイパン島の守備隊と住民が玉砕した頃のある日、伊東静雄は戦死者の遺骨を迎える行列に出逢う。群衆の中に四十代ぐらいの男がいて、遺骨に最敬礼した後で、何ごとか朗々と詠い始める。「富士、清き流れ、もののふ、桜の散るがごとく、神武天皇様、靖国の社」といった語句が聞こえる。

男は語句を少しづつ違えて二度詠う。即興の朗詠であろう。縞のワイシャツに半パンツ、地下足袋ばき、戦闘帽を被っている。顔色は日に焼けて屋外労働者らしい。周りの人々は薄笑いを浮かべ、あるいは不思議そうに見つめるが、男はそれらには無関心で、謹直と敬虔そのものの態度で立っている。(昭和精神史/桶谷秀昭)

この男が何に向かって朗詠をしたかということを随分と考えて説明しようと試みたが、いざ言葉にして並べると、こしらえごとでしかないような気がしたので、やめることにした。ただ詠み人知らずの歌が生まれる瞬間を書き出したかった。

昨日「せいろん談話室」が閉鎖になった。最後に銘々が思いの丈を書けということで、私も幾度か投稿したこともあって、何か書こうと思ったが結局のところ何も書かなかった。ただ私の投稿は論考ではなく、いつもひどく稚拙な詠み人知らずの歌であったように思えたので、思い付くことを此処に書いてみた。

ブログランキング・にほんブログ村へ

by hishikai | 2009-01-06 15:56 | 日常