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2009年 04月 03日
『よしわら』より 運河
e0130549_051288.jpg運河 M店にて みよ子

身の上ばなしなどということを私は好まない。はなしをすることによつて現在の私自身には何の変化もないからである。

しかも、このような運河の流れのまにまに流されてゆく女になつたわたしに、身の上ばなしなどということは、あまりにも意味がないからである。私のまわりの、誰彼がもつているありきたりの過去が、現在のわたくしの過去でもある。

私の魂は、悲しんだり、怒つたりすることを、ここ幾月かの間やめてきた。そしてその忘れられた魂に、もう一つの上ぬりした別の魂が、ここで生まれたのである。そうしなければ、ここでは生きてゆけないからだ。

「大学を出たんだつてね」

ある客が、そう言つて、私の前に、英語の詩集をおいた。それは、一生涯かかつて、愛する人をもとめてさすろう、あまりにもいたいたしい純情な女の姿をかいた長い叙情詩であつた。エヴァン・ジュリン──その詩を見た時、忘れていた魂が、鈍い痛みでわたくしの現在をおしのけようとしていた。

私の「忘れようとしていた魂」が、その詩をそらんじた。おそらく、この男達にとつてその時の私は、手品をつかう女奇術師に見えていたかもしれないのだ。わたしは彼等の目の中にそれを見た。吉原の女が、原書の英詩を読む──というマジックにひとしい手ぎわは、彼等の好奇心を充分に満足させた。

思わず二、三行読んで、私は何時もの私にかえつた。私はひそかに笑つた。英詩を読む──それがいつたい今の私にとつてなんであろう。今となつては、それはかくし芸のひとつであるにすぎないのだ。

(よしわら/大河内昌子 編)

by hishikai | 2009-04-03 00:54 | 資料