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2009年 05月 26日
阿修羅王
e0130549_0463778.jpg奈良の阿修羅王はガンダーラの名匠問答師の作と伝えられてきた。ある日ガンダーラの見生王に東方の光明皇后を拝すべしと夢告があり、王は問答師を遣わす。艱難辛苦の末ようやく日本に漂着した彼が皇后に拝謁して彫写を願い出たところ、その条件に示されたのが興福寺西金堂の造仏で、阿修羅王もその一つであるという。

今日では百済の将軍万福の作とするのが定説で、そのことは正倉院文書に記されてあるらしい。純粋学術の方面から云えばそうかも知れないが、阿修羅王の褐色の肌と骨張った体つき、裳からすらりと伸びた細い足と履物には西域の情趣が漂う。問答師の素朴な伝説には人間の感覚の真実が感じられる。

造立は天平六年(734)頃という。長屋王の死を暁鶏とした天平は美しい名にそぐわぬ暗雲を宿していた。朝廷の文物は調和ある写実主義の黄金期であったが、地方では旱魃や地震が相次ぎ、幾度かの大赦は効験を示さなかった。藤原の四卿は疫病に斃れ、聖武天皇が「朕不徳を以て実にこの災」と痛恨のうちに詔せられた。

阿修羅王の眼に映ったのは人間の塗炭の苦しみであったか。後に和辻哲郎が『古寺巡礼』で「その作品はうまいけれども小さい」と評したことは良いことである。人間と同じ高さで地獄に寄添っている。司馬遼太郎が『奈良散歩』で「心の器が幼すぎるために、慈悲にまで昇華しない」と述べたことは本質を衝いている。

それというのも、あの面差しである。その前におそるおそる進んで仰ぎ見ると、はっとした感動を受ける。そこには思いがけずも人間の苦悩を知り、ともに眉を寄せて憂いながら、為す術なく立ちつくす鬼神の哀しい顔が待っている。細い蜘蛛手のような六本の腕が奇怪であればあるほど、その面差しは拝する者の胸を打つ。

これほどの繊細が如何にして為ったかは不思議という他ない。造仏には統率者を中心に様々な部工が集められたという。そして脱乾漆の作業に漆工がいたことは間違いない。ならば彼らが専門として鍛えた伎楽面の人間の喜怒哀楽を凝視する精神が、阿修羅王の面差しに反映されたとは考えられないだろうか。

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by hishikai | 2009-05-26 01:12 | 文化