2009年 06月 01日 ( 1 )

2009年 06月 01日
李陵幻想
e0130549_12591493.jpg中島敦に小説『李陵』がある。漢の武帝の天漢二年(前99)武将李陵は匈奴を討つべく歩卒五千を率いて辺境の城塞を発した。アルタイ山脈の東南端がゴビ砂漠に接する丘陵地帯を縫って北行三十日。遂に匈奴の主力十万と遭遇して勇戦奮闘すること十余日、全軍斬死を覚悟して挑んだ最後の一戦で李陵は匈奴に捕らわれる。

匈奴に於ける李陵の待遇は丁重を極めた。だが彼は心を開かない。せめて匈奴王の首を──そう考えている。やがて「李陵が匈奴に軍略を授けている」との誤報が都に知らされると武帝は激怒して李陵の一族を皆殺しにした。涙も出ない──憶えば祖父は廉潔な将軍だが不遇であった。そして今は一族まで。李陵は国を捨てた。

これに先立つ事一年。蘇武という男が匈奴に囚われていた。そもそも彼は漢の使節として来訪したが、匈奴の内紛に巻込まれて幽囚の身となっていたのである。降伏を迫られて応ぜず、穴ぐらの獄で飢えを凌いだ。今は遥かバイカル湖の畔で使節の旗竿を握ったまま孤独に耐えている。李陵と蘇武は旧い友人であった。

李陵は匈奴の高官となり妻を娶り子をもうけている。その彼が蘇武に降伏を促す使節として辺境を訪れ、蒼い水辺で再会した時は互いに感激で言葉もなかった。その夜は丸木小屋に歓笑の声が響いた。数年後、李陵が再び北海を訪れて武帝の崩御を知らせた時、蘇武は南に向かって慟哭した。李陵はその純粋に圧倒された。

やがて蘇武の生存が都に知らされて呼び戻されることになった。自分の過去を決して非なりとは思わない李陵も、さすがに天は見ていたのだという考えに心を打たれた。己の事情は愚痴でしかない。別れの宴席でも李陵は一言もそれについて言わなかった。ただ、宴たけなわにして堪えかねて立上がり、舞いかつ歌った。

万里を径きて砂漠を渡り、君の将となりて匈奴に奮う。路窮まりて絶え、矢刃くだけ、士衆滅びて名すでに落つ。老母すでに死し、恩を報いんと欲すれど、まさにいずくにか帰らん。歌っている中に声が顫え涙が頬を伝わった。女々しいぞと自ら叱りながら、どうしようもなかった。蘇武は十九年ぶりで祖国に帰って行った。

以前に東京国立博物館の正倉院展で、多くの観客の最後列でようやくのこと背伸びをしながら僅かに螺鈿紫檀五弦琵琶を見たとき、私の脳裏に浮んだのがこの『李陵』だった。時代も起源も異なるが、あの別れの宴で李陵の歌を伴奏したのは、何故かこのような琵琶であった気がしてならない。

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by hishikai | 2009-06-01 13:10 | 文化