2009年 06月 11日 ( 1 )

2009年 06月 11日
二葉亭の自問
e0130549_3541338.jpg二葉亭四迷は悲劇の人であるという。そうだとしても彼の人生が悲劇なのは、彼が新聞社の通信員としてペテルブルグに赴き、生活の経済苦に悩み、肺病を患い、祖国の家族宛てに遺言状を書き、シベリア鉄道に乗る体力もなく、南回りで帰国する途中のベンガル湾上で眠るように死んだからではないと思う。

彼を有力な文学者であり思想人と認めるならば、彼の人生の悲劇は、彼がその七転八倒の生涯の果てに掴んだあの自問、『平凡』の中に書いたあの自問の意味を、その後の日本人、特に文学者や思想人が理解しなかったことにあると云うべきではないか。その自問を積極的に展開すれば次のO・シュペングラーの文章にもなる。

《行為者、即ち運命の人間だけが結局のところ、現実の世界に生活するからである。これは政治的な、戦闘的な、また経済的な決断の世界であり、そこでは概念や体系は数に入らないのである。そこでは巧みな斬り込みは巧みな結論よりも価値がある。

そして世界史は智能のために、科学のために、または芸術のために存在すると考えた三文文士や紙食虫を、あらゆる時代の軍人と政治家とが軽蔑していたが、その軽蔑には意味がある。我々はそれをはっきり言う。感覚から離れた理解は人生の一面に過ぎないで、しかも決定的側面ではない。》(西洋の没落/O・シュペングラー)

二葉亭以後の人々は考え方の射程を長く取り過ぎたのではないか。長い棹で星を採ろうとして挫折し、政治と芸術、物質と精神を久遠の対極と諦めた。その諦めが政治主義の殺伐と芸術至上の無気力を生んだのではないか。むしろ長い棹など使わずに手許のコインを裏返してみれば、そこに星が映っていたかも知れないのに。

それが二葉亭の云う「物質界と表裏して詩人や哲学者が顧みぬ精神界」で、自然主義文学運動が個人生活の告白に固執し、プロレタリア文学運動が文学を民衆教化の道具とするに固執して、どちらも社会的広がりを喪失したことは、物質界と表裏して在る精神界を考えない人々の、青白くも当然の結果ではなかっただろうか。

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by hishikai | 2009-06-11 04:04 | 文化