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2009年 07月 15日
『大衆の反逆』(抄録)
e0130549_0191491.jpg大衆の反逆というこの歴史的現象に近づく最良の方法は、おそらく、我々の視覚的な経験に訴えて、我々の時代の肉眼で見ることのできる一つの相貌を強調することだろう。その事実は分析することに容易でないが、指摘するだけならきわめて簡単であり、私はそれを密集の事実、「充満」の事実と名づけている。

都市は人々で満ちている。家々は借家人で、ホテルは泊り客で、汽車は旅行客でいっぱいである。喫茶店は客で、街路は通行人で、有名な医者の待合室は患者であふれている。映画・演劇は出し物がひどく時期はずれでない限り観客で満員となり、海浜には海水浴客がうようよしている。⋯(これら)全ての事実は、大衆が社会の前面に進み出て、以前には少数者だけのものであった設備を占領し、利器を使用し、楽しみを享受しようと決断したことを示している。

例えば、彼らが占領した設備は規模がたいへん小さく、人々が絶えずあふれているところから見て、大衆を予測していなかったことは明らかであるし、人のあふれ方は、我々の目にはっきりと新しい事実を、つまり大衆が大衆であることをやめないままで少数者に代わって、その地位に就いていることを証明している。⋯

私は近年の政治的変革は、大衆による政治の支配以外の何ものでもないと信じている。かつてのデモクラシーは、自由主義と法に対する情熱という効き目のある薬のお蔭で穏やかに生き続けてきた。これらの原則を尊奉するにあたって、個人は自己のうちに厳格な規律を保持するように義務づけられていたのだ。

少数者は自由主義の原則と法の庇護のもとに活動し、生活を営むことができた。デモクラシーと法は合法的共存と同義語であった。ところが今日、我々は超デモクラシーの勝利に際会しているが、そこでは大衆が法を無視して直接的に行動し、物質的な圧力によって自分たちの希望や好みを社会に強制しているのである。

この新しい事態を、あたかも大衆が政治に飽き、その仕事を専門家に委せているかのように解釈するのは間違いである。事実はその反対である。政治を専門家に委せていたのは以前のことであり、それは自由主義デモクラシーのことである。

当時の大衆は、政治家という少数者には様々な欠点や欠陥があっても、こと政治問題に関しては、結局のところ彼らの方が自分たちよりは少しばかり良く分かるのだと考えていた。しかし現在の大衆はその反対に、自分たちには喫茶店の話から得た結論を社会に強制し、それに法的な効力を与える権利があると思っているのだ。

『大衆の反逆』/著:J・オルテガ/訳:桑野一博

ホセ=オルテガ=イ=ガセット(Jose Ortega y Gasset 1883-1955)スペインの哲学者、著述家、教育者。「人間の生は数学の教科書のように原理によって支配されることはなく、またされるべきではない。理性を守って生を滅ぼす合理主義も、生を守って理性を捨てる相対主義も、ともにあるべきことではない」との立場から、人間の生はこれを取り巻く環境と一体に考えられるべきであると主張する。そこから社会における慣習を重視し、これを断絶しようとする教条的な民主主義と、その結果としての全体主義を批判する。

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by hishikai | 2009-07-15 23:57 | 資料