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2009年 07月 23日
国民と住民
e0130549_4291646.jpg基本的な考え方として、国家が国民という同質性によって政治的に統合される存在であることから、国政レベルでの選挙権と被選挙権が、政治的統合のための、国民にのみ与えられた権利であることは疑いがない。また国民が政治的意思決定に参画するという意味では、公務への就任権もまた国民にのみ与えられた権利である。

ところで永住外国人への地方自治での参政権を認めようとする人々は、この主体を「国民」ではなく「住民」と言い換える傾向がある。これは地域における連帯意識や愛着といった要素を強調しながら「国家の統治」と「地方の行政」との間に一線を描き出すことで、外国人の参政権について限定的かつ不拡大的な印象を与えようとするものである。

しかし地方分権が様々に議論されているとはいえ、今のところ我国の地方自治は、例えばアメリカの地方自治にみられるように、地方政府の構造と首長その他の役員選出の手続きを定めた自治憲章を地域に居住する人々が採択するという、ホーム・ルール制のごとき独立性を有しているわけではない。

我国の地方自治は、憲法の付与する一定の自治権を有する地方公共団体によって行われている。地方公共団体による自治は、その行政の具体的な内容については国会の関与すべきところではないものの、その構造と首長その他の役員選出の手続きについては国法に根拠を持っているために、国会の関与するところとなっている。

そのことから我国における参政権の議論では「国家の統治」と「地方の行政」の間に一線を描き出すことで、かたや国民としての問題、かたや住民としての問題といったような区別をつけることができず、ひとたび永住外国人への地方自治での参政権を認めるならば、その国政レベルへの拡大を不可とする理由はない。

また永住外国人の公務への就任についても、昭和28年3月25日の内閣法制局見解は「公権力の行使又は国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには、日本国籍を必要とする」として、これを「公務員に関する当然の法理」と述べている。

であるならば、地方公共団体の場合においても当然この法理は適用されるべきで、現に東京都の管理職選考試験の受験資格に日本国籍が必要であることについて在日韓国人が合憲性を争った事案で、東京地方裁判所は平成8年に、東京都の管理職が公権力の行使と公の意思形成に参画する性質のものであるとの見解を示している。

参政権の間接的な形が選挙権であるならば、直接的な形が公務への就任権である。そして我国の場合、地方自治の独立性が低いために、両者ともに国政レベルと地方自治レベルの間に明確な線引きを行うことはできない。参政権の議論で「国民」を「住民」と言い換えることは情緒的な偽装であって、我国の現実を反映しているわけではない。

self-governmentとして登場したイギリスの地方自治が、革命後のフランスでは国民主権との整合性から中央集権に道を譲り、ドイツでは分立する小国の自治権を否定するために国家による地方団体に委ねられる。我国の地方自治は戦前にドイツの、戦後にフランスの影響を受けている。写真のように竿灯を捧げ持つ人を私達が「秋田人」ではなく「日本人」と感じるのは、この地方自治の歴史体験も影響していると私は思う。

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by hishikai | 2009-07-23 04:35 | 憲法・政治哲学