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2010年 01月 02日
『サッチャー回顧録』より
e0130549_3254515.jpg私はビクトリア時代の人々に、多くの理由から親愛の情を抱いてきました。それは当時の自発的団体や博愛団体の増大、偉大な建築物、都市への寄付金などの形で示された公共精神に敬意を表するというだけにとどまりません。私は「ビクトリア朝の価値観」──私独自の用語では「ビクトリア朝の美徳」──を賞賛することに不安を感じたことはありません。なぜなら、これらの美徳は決してビクトリア時代だけのものではないからです。ビクトリア時代の人々はすでに、現在私たちが再発見している事柄について語っていたのです。それは「援助に値する」貧困と「援助に値しない」貧困の区別です。ともに救済してしかるべきですが、それでも公費の支出が万事を他人に依存する体質を強めないためには、両者への援助はずいぶんと違った種類のものでなければなりません。私たちの福祉国家で生じる問題は──ある程度は避け難いことですが──本当の困難に陥り、そこから脱出するまでに何らかの援助を必要とする場合と、単に勤労と自己改善への意思や習慣を失ってしまっている場合との峻別を忘れてしまい、両者に同じ「援助」を施してきたことにあるのです。援助の目的はただ単に半端な人生を送るのを許すことにあるのではなく、自らの規律を回復させ自尊心をも取戻させることにあるのです。(サッチャー回顧録/M. サッチャー)

新年明けましておめでとうございます。昨年は民主党による左派政権が誕生しました。果たして日本人は彼らの諸政策から何を学ぶのか。今年はそこに注目しつつ、相変わらず政治や文化について迂遠に書こうと思います。なにとぞ引き続きのご愛読をお願い致します。

1989年に国連総会で演説するM. サッチャー。サッチャリズムのような自由主義政策が、我国では中曽根康弘や小泉純一郎によって実行されたと考えることは、おそらく自惚れである。なぜなら当時のイギリス国民とは異なって、いまだに私たちは社会主義政策による辛酸を嘗めてはいないのだから。

by hishikai | 2010-01-02 03:28 | 憲法・政治哲学