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2010年 04月 01日
佐野利器『建築家の覚悟』より
e0130549_104682.jpg日本の建築家は何であるべきか、懐中字書に依て直にアーキテクト(即ち芸術家)と早合點すべきでない、大學一覧に建築學科をアーキテクチュラル、デパートメントと譯して有つても、夫れは有合の譯語である、文字や、歴史や、學校組織では凡て満足な答は探し得らるべきでない、此問題に解答を與ふるものは唯一、今日の日本の事情より外ないのである、(中略)

國家の要求、茲に記念銅像の台を作るとき、要求は元より純美術であらふ、神社佛閣を作るとき要求は美術が主であらふ、劇場を作るとき、美術上の要求は少くはあるまい、然し以上の如く美術上の要求に多く迫らるゝ場合は建築事情として多くはない、而して建築事情中の大勢力をなす公共的建築、實利的建築を起こす場合の要求は殆ど全部科學である、茲に市町村が學校を作るとき、市町村の念頭には子弟教育所と云ふ實利の外には多く出でない。茲に銀行を作るとき、着實なる支配人の思慮は事務處理の便と其の永続との外余り多くを考ふる暇ない、之を受取つた建築家が眞先に「ゴシックに仕様か、クラシックに仕様か」など、様式如きに襲はれて居やうなどとは夢にも思つて居はしない、

茲に図書館、博物館と一々同じ様な事を繰り返すには當るまい、早い話が、國家が最も多くの経費を投じて造営しつゝあるものは倉庫工場等の如き純科學體である事を考へたならば國家の要求の主なるものは何であるかゞ推想される。

國家當然の要求、余は財政の事に暗いが聞く所に依ると日本國民は一人につき約五十圓づゝの外債を負つて居ると云ふ事である、そんな事を擔ぎ出す迄もなく我國の富力が残念ながら到底未だ列強の脚下にも及ばざる事は誰しも承知の事であらふ、(中略)

現在の國家は正に臥薪嘗膽の時機である事を自覚せねばならぬ、臥薪嘗膽の時機にある國民の覚悟と其の進路とは自ら他と同一では有り得ない、何事も夫れより割り出されねばならぬ西洋文明の直輸入では何時迄経つても間に合ふ時期が来る筈があるまい、して見ると國家の建築的要求は實利を主としたる科学體であり又あるべき事は當然である、無意味の贅事に浮身をやつして居られる時ではないのである。

着實なる國家現在の要求が以上の如くであり又國家現状に見て國民擧げて實利を主とする要求をなすべきが至當であるとすれば日本の建築家は主として須く科學を基本とせる技術家であるべき事は明瞭である、西洋のアーキテクトは何で有らうとも日本は日本の現状に照らして余は此の結論に到達するのである、科學は日に月に進歩する、「如何にして最も強固に最も便益ある建築物を最も廉価に作り得べきか」の問題解決が日本の建築家の主要なる職務でなければならぬ、如何にして國家を装飾すべきかは現在の問題ではないのである、(佐野利器/『建築家の覚悟』)

佐野利器(さのとしかた)東京帝国大学建築科を卒業してドイツに留学、帰国後に東京帝国大学建築科教授に就任。帝都復興院理事、東京市建築局長、日本大学工学部長、清水組副社長を歴任し、戦後は復興建設技術協会会長。上記文章は佐野がドイツから寄稿し、明治四十四年(1911)七月「建築雑誌」に掲載された。

by hishikai | 2010-04-01 10:49 | 文化