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2010年 04月 14日
技術への信仰と不真面目な美
e0130549_1103680.jpg今日明治の建築を仰ぎ見るとき、私たちはそこに様々な様式のあることを知る。あるものはゴシック、あるものはバロック、あるものはルネサンスである。さらに設計者の名前を調べるとき、それら様式が同じ建築家によって使い分けられたものであることを知る。

そのことは明治の建築家にとって様式が技術の一分野であったこと、美しさは構造や材料の問題と同じく技術の習熟によって克服可能な問題で、だからこそ様々な様式に精通し使い分けることが、建築家に必要不可欠の技術であったことを私たちに教えている。

そして明治も暮れようとする頃、我国でも鉄筋コンクリート構造がその堅牢さを以て注目を集める。その先駆者としての佐野利器が『建築家の覚悟』を、やがて教え子の野田俊彦が『建築非芸術論』を発表する。そのとき時代は日露戦役の峠を越え大正となっている。

彼らの論文による衝撃は大きく、野田俊彦は「非芸術論の野田」として有名であったという。今日ではこれを「ヨーロッパ近代建築思想につらなるもの」と評価する見方もあるが、そうした見方は希望的に過ぎるように私には思われる。

明治の建築家が美しさを技術の問題と考え、次世代を継ぐ佐野や野田もまた美しさを技術の問題と考えていたことは同じである。ただ彼らは明治の建築家が必要と考えた「様式という技術」を始め、建築における美の探求の一切を不要だと主張したに過ぎない。

そのような主張からヨーロッパ近代建築思想への、あるかないかの道筋を辿るよりも、もっと直接に彼らの主張に見られる、美しさへの執拗な憎悪、美を不真面目な嗜好品としか認識しない、その歪んだメンタリティーに目を向けるべきではないか。

それは明治を代表する英文学者として「ブルヂヨア文化の最高美を表現した人」と保田與重郎に評された上田敏が我国に紹介した西洋の詩の美しさを、ついに受入れなかった大衆の、胸の奥に秘められた西洋文明への屈折した情念と、同じ情念の暗い炎だと私は思う。

生活に美を考え、建築に美を考え、都市に美を考えることが、日本人の性情にそぐわぬとは思われない。問題は近代を迎えた日本人が、そうした考えを後発国の国情にそぐわぬ嗜好品として拒否した事態にある。その事態は今日でも引き続いて私たちを貧しくている。

『The Bilders』フェルナンド・ロジェ 1950 明るい色を使って人間と技術的環境との調和を楽観的に認めている。こうした絵画を見ると、技術への信仰が日本に限ったわけではないことが知られるが、そうした信仰が日本でとりわけ強かったこともまた一方の事実である。そのことを村松貞次郎は著書『日本近代建築の歴史』で次のように述べている。

「まだ開発途上国であった日本では、機械生産・工業生産の進展こそが、もっとも具体的な近代化であり、極論すれば『善』であったから、そういう望ましい時代の表現を先取りすべき合理的・機械的な設計態度と、そのデザインこそが近代建築のあるべき姿であり、その金科玉条に背くものは唾棄すべき非近代建築とされてしまったのである。ときには『人民の敵』とまでされた」(村松貞次郎/『日本近代建築の歴史』)


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by hishikai | 2010-04-14 01:26 | 文化