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2010年 08月 05日
保守と右翼
e0130549_12202217.jpg「マガジン9」2009年11月の記事で、政治学者の中島岳志氏が保守と右翼の違いについて話されている。以下に引用する。

まず保守は、理性が頼りないものだとすれば、理性を超えたものに依拠するということを重視します。たとえば伝統とか良識とか、歴史感覚でもいいですし、ヨーロッパの保守で重要なのは「神」という概念だと思いますが。理想社会というのは過去にもなかったし永遠にこない、と考えるのが保守の立場です。だからバランス感覚を持ちながら、漸進的に改革をしていく英知しか存在しないということです。
それに対して右翼というのは、理想社会が誕生しえると思っているのではないでしょうか。では、進歩派と何が違うかというと、過去に遡行することによって理想社会というものが可能であると考えているところです。つまり世界各地の原理主義と同じように、ネイションや宗教共同体の原理には理想的なピュアなものが存在する。そこに遡行することによって、ある分け隔てのない平等な社会、日本の場合で言うと「一君万民」、そこに到達することが可能であると。それが右翼というものだと思うんですよね。

大筋で正しいと思う。理性という言葉は唐突だが、これはヨーロッパ大陸の哲学者が社会発展の原動力として人間の理性に希望を託したためで、これに対してイギリスでは理性を信用しない、経験的な素地から保守主義(Conservatism)が唱えられた経緯によっている。

つまりドーバー海峡の向こう側のフランスやドイツでは、盛んに人間の理性で社会を設計しようと言っているが、私たちイギリス人はそんなものは信用しませんよ、イギリス人が信じるのは永い歴史に培われた伝統ですよ、それが保守主義ですよ、ということだ。

日本の保守主義者は必ずしもそうではない。日本では保守主義と設計主義が理性を巡って対立する土壌はない。そのために保守主義と右翼は渾然としている。その意味からは中島岳志氏が指摘する理想社会の誕生を信じるか否かは一つの分水嶺であるように思える。

ただ日本では戦後社会を否定した後の理想社会を描かなければ、保守であれ右翼であれ思想としての意味を持たず、一方で現状維持を本音とする一般層との対立もあり、敗戦を経験せずに社会が維持されたイギリスとは異なる、破壊と建設のジレンマが桎梏としてある。

三島由紀夫は理想社会を語らなかった。三島が理想社会を語らず、戦前の権藤成卿や北一輝が理想社会を語ったことは、両者の思想的な違いによるものなのか。三島は保守主義者であったのか。そうではない。彼らは政治を否定したのだ。三島は理想社会を語らないことで政治を否定し、権藤と北は政治が不要な理想社会を語ることで政治を否定した。すなわち右翼とは天皇を奉ずる非政治主義者のことなのだ。

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by hishikai | 2010-08-05 12:25 | 憲法・政治哲学