2011年 03月 01日
路地は(中略)今も昔と變りなく細民の棲息する處、日の當つた表通からは見る事の出来ない種々なる生活が潜みかくれてゐる。侘住居の果敢なさもある。隠棲の平和もある。失敗と挫折と窮迫との最終の報酬なる怠惰と無責任との楽境もある。(永井荷風/『日和下駄』)平等こそ最善最美の道徳であると信じられている今日の我国にあって永井荷風のような言論は到底許されるものではないが、それにしても私たち日本人が平等という考え方に、こうも執着するのは、それが伝統的な価値観だからかと言えば、そうとも思われない。 我国の歴史を辿っても、国家による生活保障だとか、政府による充実した福祉であるとか、これを支える大きな政府だとか、そういったものが存在したという事実を見出すことは出来ない。むしろそうした保障がないからこそ、額に汗して働く人々の姿が営々としてある。 そうだとすれば我国の平等は輸入品ではなかろうか。西洋学問の流入を俯瞰すると、桂川甫周らを代表者とする蘭学に始まり、幕末に福沢諭吉を代表者とする英米学が中心となり、大日本帝国憲法発布の明治二十年代を境として、ドイツ学への傾倒が著しくなる。 学問の基礎が哲学であると云うことを許して貰えるならば、ドイツ学の基礎はドイツ哲学である。ドイツ哲学が何であるかの問いは私の能力を超えるが、そこに道徳哲学の側面が強くあることは間違いないと思う。つまり「人間のあるべき姿」を追求している。 我国には同じく道徳哲学である儒教の伝統があり、そこからドイツ哲学は日本人に馴染みやすい。この「人間のあるべき姿」を追求した明治二十年代以降の思潮が、大正から昭和初期の労働運動を契機として紡ぎ出してきたのが、我国の平等ではないだろうか。 それでも戦前には「身分相応」などの言葉に示された社会階層への意識が歯止めとなっていたが、敗戦でそうした意識が崩壊すると、平等は日本の国是であると云わんばかりの奔流となり、これが今日では国家財政の逼迫からようやく停滞の兆しにある。 そこに思うのは我国の平等が戦前に社会階層から、戦後に財政逼迫から停滞を迫られたことは単に状況の為せる結果に過ぎず、本質的な歯止めではない事である。そうならば私たちは平等の本質的な対立者である「自由」を、もっと考えるべきではないだろうか。 画 農村窮乏風刺漫画・千人針(『東京パック』より) 無論のこと貧困は救うべきだが、その救済も行き過ぎれば危険な反作用を社会に及ぼすことになる。 2011年 02月 18日
去年の『憂国忌』で印象深い話があった。──もっとも以下は、私の曖昧な記憶に基づいていることを最初に弁明して置く──それは登壇された井尻千男氏と遠藤浩一氏の、次のやり取りの中でのこと。井尻氏曰く、ある座談会で三島由紀夫は福田恆存に「あなたは西洋と暗渠で繋がっている」と云った、そこから三島由紀夫は真性保守、福田恆存は近代保守である、両者は戦後の二つの保守思想を代表しているが、この対立は今日も続く問題である、と。 これに遠藤氏が付加えて曰く、いや「暗渠」という言葉は後に訂正されたもので、その時は「下水道」という言葉を使ったのです、つまり三島由紀夫は「福田さん、あなたは西洋と下水道で繋がっている」と云ったのです。 この発言で井尻氏と来場者に苦笑があったが、遠藤氏は頓着することなく、さらにマイクを取って云う。これに福田恆存が何と返答したかといえば、こうです「三島さん、あなたこそ上水道で日本と繋がっているではないか」と。 見事な返答だと思った。三島にしてみれば、福田の保守主義者を標榜しながらも西洋臭の強い、その発言者としての有り様が、実は精神の底の底から西洋と結託した人の、世を欺く擬態であると云いたかったのであろう。なるほど、福田はこうも云っている。 西洋文明を受け入れることは、同時に西洋文化を受入れることを意味します。和魂をもつて洋才を取入れるなどといふ、そんな巾着切のやうな器用なまねが出来ようはずはない。和魂をもつて洋魂をとらへようとして、初めて日本の近代化は軌道に乗りうると言へるのです。(福田恆存/『日本への遺言』より「和魂洋才」) こうした考えを批難しようと思えばいくらでも出来るであろう。しかし福田恆存が敢えてこれを云うのは、自分ならざる文明と文化を受容しなければ生存の可能性の無かった、近代日本の苦渋を深く心に刻み付けた、その決断に立った百も承知の汚れ役ではなかったか。 それよりも上水道である。上水道で日本と手を結ぶことは、心地よく、美しく、正統であるに違いない。何人もそれを批難出来ないであろう。だがその汚れなき衣服をまとって、それだけで事は済むのか。福田恆存の返答はそういう意味だと、暗い客席で思った。 2010年 10月 05日
ここである貧しい村に迷い込んだとしてみよう。そこでは、今まさに軍人が3人の村人を壁の前に並ばせ処刑しようとしていた。あなたが「なぜ彼らを銃殺しようというのだ。悪人には見えないじゃないか」と聞くと、軍人は「昨晩この村の何者かが、私の部下の1人を殺したのだ。村の誰かが犯人であることはわかっている。だからこの3人を見せしめに銃殺するだけだ」と言うのであった。 あなたならこう答えないだろうか。「そんなことをしてはいけない。無実の人を殺すことになるじゃないか。仮にこの中の1人がやったとしても、少なくとも2人は無罪でしょう。ひょっとしたら3人とも無罪かもしれない。とにかく、やめなさい」と。 すると軍人は、部下からライフルを取り上げ、あなたに渡してこう言った。「それじゃ、もしお前がこの中の1人を殺したら、残りの2人を逃がしてやろう。1人殺せば、おまえは2人を救うことができるのだ。内戦のさなかでは、お前みたいな、自分一人正しいというような態度が通らないことを教えてやるさ」 さあ、どうすればいいだろうか。ランボーのように軍人たち全てをやっつけてしまおうとしても、相手は部下の軍人に、あなたに銃口を突き付けさせている。選択は2つに1つ。2人を救うために1人を殺すか、やはり銃を持たずに潔癖さを保つか、である。 カント的伝統に従えば、正しいことのみをすべきなのであるから、このような邪悪な行為を犯すことは拒否すべきだということになる。他方(ベンサムのような=引用者)功利的伝統に従えば、2人が救えるならすべきだということになる。 (ジョセフ・S・ナイ・ジュニア/『国際紛争』) 2010年 08月 05日
「マガジン9」2009年11月の記事で、政治学者の中島岳志氏が保守と右翼の違いについて話されている。以下に引用する。まず保守は、理性が頼りないものだとすれば、理性を超えたものに依拠するということを重視します。たとえば伝統とか良識とか、歴史感覚でもいいですし、ヨーロッパの保守で重要なのは「神」という概念だと思いますが。理想社会というのは過去にもなかったし永遠にこない、と考えるのが保守の立場です。だからバランス感覚を持ちながら、漸進的に改革をしていく英知しか存在しないということです。 それに対して右翼というのは、理想社会が誕生しえると思っているのではないでしょうか。では、進歩派と何が違うかというと、過去に遡行することによって理想社会というものが可能であると考えているところです。つまり世界各地の原理主義と同じように、ネイションや宗教共同体の原理には理想的なピュアなものが存在する。そこに遡行することによって、ある分け隔てのない平等な社会、日本の場合で言うと「一君万民」、そこに到達することが可能であると。それが右翼というものだと思うんですよね。 大筋で正しいと思う。理性という言葉は唐突だが、これはヨーロッパ大陸の哲学者が社会発展の原動力として人間の理性に希望を託したためで、これに対してイギリスでは理性を信用しない、経験的な素地から保守主義(Conservatism)が唱えられた経緯によっている。 つまりドーバー海峡の向こう側のフランスやドイツでは、盛んに人間の理性で社会を設計しようと言っているが、私たちイギリス人はそんなものは信用しませんよ、イギリス人が信じるのは永い歴史に培われた伝統ですよ、それが保守主義ですよ、ということだ。 日本の保守主義者は必ずしもそうではない。日本では保守主義と設計主義が理性を巡って対立する土壌はない。そのために保守主義と右翼は渾然としている。その意味からは中島岳志氏が指摘する理想社会の誕生を信じるか否かは一つの分水嶺であるように思える。 ただ日本では戦後社会を否定した後の理想社会を描かなければ、保守であれ右翼であれ思想としての意味を持たず、一方で現状維持を本音とする一般層との対立もあり、敗戦を経験せずに社会が維持されたイギリスとは異なる、破壊と建設のジレンマが桎梏としてある。 三島由紀夫は理想社会を語らなかった。三島が理想社会を語らず、戦前の権藤成卿や北一輝が理想社会を語ったことは、両者の思想的な違いによるものなのか。三島は保守主義者であったのか。そうではない。彼らは政治を否定したのだ。三島は理想社会を語らないことで政治を否定し、権藤と北は政治が不要な理想社会を語ることで政治を否定した。すなわち右翼とは天皇を奉ずる非政治主義者のことなのだ。 2010年 07月 20日
私のように詩を解さない朴念仁を含め、世の中の人々が詩人と理論家どちらの言葉に魅かれるかといえば、やはり詩人であろう。草臥れる理屈より人生の実感に沿った詩に魅かれるのは人の健康な本能である。G.K.チェスタトンは詩と理論について次のように言う。「詩が正気であるのは、無限の海原に悠然と漂っているからである。ところが理性は、この無限の海の向こう岸まで渡ろうとする。そのことによって無限を有限に変えようとする。その結果は精神がまいってしまうほかはない。(中略)詩人の望みはただ高揚と拡大である。世界の中にのびのびと身を伸ばすことだけだ。詩人はただ天空の中に頭を入れようとする。ところが理論家は自分の頭の中に天空を入れようとする。張り裂けるのが頭のほうであることは言うまでもない」(G.K.チェスタトン/『正統とは何か』) これはこれで尤もなことだが、こうした考え方は政治にも同じくあてはまるであろうか。つまり詩が正気であるのならば、詩を根拠とした政治もまた正気であるはずで、ならば詩人による政治とか、詩的に語られる政治にも問題はないはずだが、ということである。 例えば国民皆年期制度が「世代間の助け合い」という、明らかに正気な醇風美俗の詩を根拠としながらも、一方で世代間の受給の不公平という問題を抱えている現状は、そうした詩的な政治の危うさを示す最も身近な例ではないだろうか。 考えてみれば政治は人々の背景にある共通項を考慮するために、客観であり、形式であり、つまりは箱である。一方で詩は人それぞれの多様な人生の実感を詠うために、主観であり、内実であり、つまりは中身である。 そして箱にとっての正気は箱の役割を忠実に努めることにあるで、箱が中身であるならば正気を欠いていると言わざるを得ない。同じく中身にとっての正気は中身の役割を忠実に努めることにあるので、中身が箱であるならば正気を欠いていると言わざるを得ない。 政治が人々の詩を一つに要約して中身としたり、詩が自身の多様さを忘れて何事にもぴったりと合う箱になろうとすることは、どちらも正気とは言えない行為で、そのことで期待したような結果を得られなくとも、それは自業自得と考えるより仕方がない。 詩人の言葉に魅かれるあまり、詩を世界に実現しようとすることは正気を失っている。だからどんなに苛立たしくとも、ときには理論家の形式の言葉に敬意を払わなければならない。政治は箱で、中身には自分の詩を入れるという原則を忘れてはならない。 A.ヒトラーは形式を憎悪していたという。民主制における投票や代表による政治は形式に過ぎないが、それが形式であるからこそ多様な人生を盛ることができる。だがそれに飽き足らずに形式を偽善的な「うそ」として、一方で自己の内実を「真の民意」として直接無媒介に表出するならば、国家は地獄となる。 2010年 07月 12日
昭和二十年八月十三日の夜、東郷外務大臣と梅津、豊田両総長がバーンズ回答文を受諾するかしないかで会談している首相官邸に大西瀧治郎が姿を現した。軍令部次長であるが閣議の外にいる人間だから、横から口をはさむのは越権行為であることを承知で嘆願した。「私は今次戦争勃発以来、戦争をどうすればよいかということを日夜考え続けて来たつもりだった。しかしこの両三日になって考えてみると、これまで戦争を考えた考え方が、いかに真に真剣なるものに及ばなかったかが判った。私はこの両三日ほど戦争を真剣に考えたことはない。我々は自分では気付かずにいたが、真に戦争を考えたことはなかったのだ。この点は国民の全部がそうではなかろうか。今この真剣さをもって考えたら、必ず良い作戦が策出せられ、陛下を御安心させ申し上げることが出来よう。」(迫水久常/『降伏時の真相』) 吶々として声涙ともに下る言葉で、居合わせた者の胸を打ったが、今しばらくの時日を得て敵に最後の一撃をというのであれば、梅津も豊田も同じ考えであるはずだが、彼らは黙して語らなかったという。ややあって大西は、迫水の手を握ると淋しく去って行った。 大西の言葉には恐ろしくも、しかし奇妙な触感がある。恐ろしいというのは、玉砕を否定しながら「全国民を戦力化して敵を殲滅せよ」と言う大西の「真剣」に本土決戦を委ねたならば、現在想像するより遥かに壮絶な運命が、日本人を襲ったであろうという意味で。 奇妙なというのは、海兵入学以来三十余年のあいだ、戦争を「日夜考え続けて来た」大西瀧治郎という人間が祖国の滅亡に臨み、思念の地獄の道端で、外道な合理神を超える殺戮神と出会った、その体験の驚きの報告であるように見受けられるという意味である。 その殺戮神が何であったのか、私は近代国民国家であったと思う。それは近代史の中から共同体を乗り越えて出現したもので、共同体が共同を他者にも意識する性質であるのに比較して、近代国民国家はそういった共同を一切排除した、無道徳の玉座に君臨する王である。 道義国家建設とか、五族共和王道楽土とか、悠久の大義とか、天佑神助とか、国体護持とか、そういう生暖かい観念は、一つの列島に一つの民族が美しい四季のもとに営んで来た共同体の道徳の吐かせる言葉で、およそ近代国民国家とは縁もゆかりもない。 その驚きを大西は「我々は…戦争を真剣に考えたことはない」「国民の全部がそうではなかろうか」と言っている。これは例えば、A.ヒトラーの「戦争を遂行するにあたっては正義など問題ではなく、要は勝利にあるのだ」という言葉と、同じ曲の序奏を成している。 赤坂で南京陥落を祝うダンサーたち 昭和十二年 私たちは善きにつけ悪しきにつけ国家統治に道徳を持ち込んで来た。いや、国家と道徳を同じものと考えて来たと言ってもよい。このことが今日でも続けられていることは、例えば外国人参政権法案や東アジア共同体構想を支持する人々の心の底に、歴史の贖罪意識が通奏低音として流れていることを聴けば明らかである。しかし知っておくべきは、その被害者を名乗る民族でさえ、こと国家行動の原理には、一片の道徳心も持ち合わせてはいないということである。 2010年 07月 10日
先日あるブログに「痴呆化する保守」という記事があった。文芸春秋に掲載された藤原正彦の文章に対する批判で、論旨は定式化された保守批判で目新しくはないが、それにしてもこの類いの批判が根強くあることについて、保守主義者は無頓着であるように見える。戦後の思潮として、あるいは喫緊の要請としても、自己の思想的立場を明らかにすることは経済を語ることで為される。政府の市場への介入がどこまで許されるのかという課題を入り口として、国内外の様々な問題に向かって思考の道が拓かれているのが現状である。 政府の市場への介入に否定的な人々は、個人による生活の自立を訴え、政府の市場への介入に積極的な人々は、政府による生活の保障を主張している。一般的な分類でいえば前者が自由主義者で後者は社会主義者であろうし、その中間の立場も無限に存在するであろう。 ともかくも、こうした議論が単に経済政策にとどまらず、むしろ国内外の諸問題と密接に関わっているということは、経済思想というものが「人間とは何か」を出発点として、具体的な制度論へと結実し、一個の完結した世界観を形造っているからに他ならない。 例えば共産党という集団がそれなりに存在を認められ、あるときは人々から一目置かれるというのは、彼らが彼らなりの「人間とは何か」を出発点として、具体的な経済体制のモデルと完結した世界観を持っているためで、いつでも増税に反対しているためではない。 戦後日本人の歴史認識の全てをGHQの思想統制に求め、その流れから自由主義的な経済政策をアメリカの陰謀と批判し、民主党の国内政策を中韓の陰謀と批判し、最後に大和魂と武士道で締め括るという保守主義者の主張の、人々に対する説得力は如何がであろうか。 冒頭に指摘した記事のタイトルが「痴呆化」であるというのは、そうした保守主義者の主張が、かつての小林秀雄や福田恆存の文学的知性すらも失い、いまや時代に取り残された老人の繰り言になったという、人々の倦んだ印象の一端を表しているのではなかろうか。 であるならば保守主義者は経済を語るべきではないか。「人間とは何か」を語り、人間の集まりである社会を語り、社会が依って立つべき経済体制を語り、経済体制が現実に機能する制度を語るべきではないだろうか。自身が一個の世界として立つべきではないのか。 『岩倉大使欧米派遣』山口蓬春 画 帝国列強から我国を護り、今日の礎を築いたのは明治の元勲たちと、それに前後する有名無名の人々であったが、彼らが武士道を心底深くに堅持ながらも、なお強く抱いていたのは「今は何が必要か」という問題への、文化の国境を度外視した非情なまでのリアリズムであった。 2010年 01月 19日
例えば遠藤浩一拓殖大学教授は昨年12月23日にizaのコラムで小沢一郎の政治思想について「選挙という民主主義的ツールを活用して多数派を形成すれば、あとは何でもありというのは、全体主義が鎌首をもたげ始めるときに特有の光景」として、その本質を民主主義を装った全体主義と評しているが、小沢一郎が目指しているのが全体主義などではなく、まさに民主主義そのものであるとすれば、事態はさらに悲観すべきものであろう。現に小沢一郎は昨年12月21日の定例記者会見において「天皇陛下の行動の責任を負うのは国民の代表、国民が選んだ政府内閣。だから内閣が判断したことについて、天皇陛下がその意を受けて行動なさるということは当然」と発言していて、そのことで彼が目指すものが民主主義であることを明確に表明している。 敗戦後もなおGHQが天皇を憲法一条に明記される法的な存在としたことは──たとえそれが表向きの理由であれ──我国の歴史慣習を根拠にしていると考えるより他に何もないが、小沢一郎としてみれば主権者である国民の民意はこのような歴史慣習としての法を超える、すなわち「民意は法を超える」と言いたいのだ。 これは今月16日の民主党大会で自身の政治資金疑惑に対する検察の捜査手法について「これが通るならば、日本の民主主義は暗澹たるものになる」と──法手続きの問題ではなく──「民主主義」の観点から言ったのも小沢一郎の政治思想の主眼がここにあるためで、これを一部で言われているように官僚と政治の対決と見る視点は、我国の戦後問題を卑近に引きつけ過ぎているために日本人の心の底にまで回った民主主義の功罪に対する考察を、いとも簡単に放棄してしまっている。 小沢一郎の問題は同時に私たちの問題でもある。現在のところ私たちは安全保障上のことや外国人参政権のことによる反発から小沢一郎の主張する民主主義を異様なものと感じ始めているが、つい昨秋も私たちは子供手当や生活第一と呼び換えられた国家による生活保障の拡充を、財政規律や生活の自助努力という──それが成文法ではないとしても──当然の慣習法を忘れて新しい政府に期待したことは記憶に新しい。 そしてこれこそまさに「民意は法を超える」その民主主義の典型であって、戦後一貫して私たちが信奉してきた民主主義の本質である。小沢一郎はそれをストレートな姿で私たちに示したに過ぎない。しかし、その姿の異様さを目の当たりにした今だからこそ、私たちはあらためて民意と法のどちらが重いのか、さらには「人の支配」と「法の支配」のどちらが私たちの選択すべき世界なのかについて、思いを巡らせるべきではないだろうか。 これまで私たちは民主主義を善なる政治思想として無批判に受入れ、そこから民主主義に対立する悪の政治思想をナチズムやスターリニズムに代表される全体主義と考えてきたが、これは誤りである。全体主義は民主主義を始祖として、ともに人間理性の絶対を信ずる同じカテゴリーの政治思想である。我国のように天皇陛下を戴く国家が信ずべきは人間理性などではなく、先人たちの歴史的経験が錬磨してきた慣習である。 2010年 01月 02日
私はビクトリア時代の人々に、多くの理由から親愛の情を抱いてきました。それは当時の自発的団体や博愛団体の増大、偉大な建築物、都市への寄付金などの形で示された公共精神に敬意を表するというだけにとどまりません。私は「ビクトリア朝の価値観」──私独自の用語では「ビクトリア朝の美徳」──を賞賛することに不安を感じたことはありません。なぜなら、これらの美徳は決してビクトリア時代だけのものではないからです。ビクトリア時代の人々はすでに、現在私たちが再発見している事柄について語っていたのです。それは「援助に値する」貧困と「援助に値しない」貧困の区別です。ともに救済してしかるべきですが、それでも公費の支出が万事を他人に依存する体質を強めないためには、両者への援助はずいぶんと違った種類のものでなければなりません。私たちの福祉国家で生じる問題は──ある程度は避け難いことですが──本当の困難に陥り、そこから脱出するまでに何らかの援助を必要とする場合と、単に勤労と自己改善への意思や習慣を失ってしまっている場合との峻別を忘れてしまい、両者に同じ「援助」を施してきたことにあるのです。援助の目的はただ単に半端な人生を送るのを許すことにあるのではなく、自らの規律を回復させ自尊心をも取戻させることにあるのです。(サッチャー回顧録/M. サッチャー)新年明けましておめでとうございます。昨年は民主党による左派政権が誕生しました。果たして日本人は彼らの諸政策から何を学ぶのか。今年はそこに注目しつつ、相変わらず政治や文化について迂遠に書こうと思います。なにとぞ引き続きのご愛読をお願い致します。 1989年に国連総会で演説するM. サッチャー。サッチャリズムのような自由主義政策が、我国では中曽根康弘や小泉純一郎によって実行されたと考えることは、おそらく自惚れである。なぜなら当時のイギリス国民とは異なって、いまだに私たちは社会主義政策による辛酸を嘗めてはいないのだから。 2009年 11月 28日
上野山をぶらぶら歩いて国立西洋美術館の前を通りかかると『古代ローマ帝国の遺産─栄光の都ローマと悲劇の街ポンペイ─』の看板が目に留まる。他に行くあてもないので入ると、ローマ帝国の黄金期オクタヴィアヌスの治世B.C.64からA.D.14頃の美術品やポンペイ出土の装飾壁画、豪奢な調度品が数多く展示されている。それらを眺めて想像されるのは、彼らの生活が肩の凝らない南国的な──そして今日流行の言葉で云えば──「ラグジュアリー」なものであったことで、それが気候風土の影響であったか否かはイタリアへ行く幸運に恵まれない私には判らないが、それでも彼らが旺盛な多神教徒であったことは考えてもよいと思う。 家庭や農園に住むヌーメン、炉の火を守るヴェスタ、家と農園の境界を守るラレス、貯蔵場の神ペテナス、収穫の季節の精霊マルスなどなどの神々に加えて各人の守り神を信ずるローマ人たちは、そうした神々を前にして、こう考えていたのであろう。神々が何かしてくれるのならば自分たちも何かしてやろう、と。 ポエニ戦争でローマ艦隊の指揮官だったクラウディウス・プルケルは神聖なひな鳥を船に乗せて餌をついばむ様子から吉凶を占おうとしたが、ひな鳥が餌を食べないので「食べないのならば飲むがいい!」と叫んで神聖なひな鳥を海に投げ込んでしまったという。神々が何かしてくれるのならば──兎も角もそういう事である。 こうしたローマ人たちの思考は属州の自治や信仰の自由といった帝国統治の法にも反映されていた。彼らにとって満足のいく勝利とはかつての敵と同盟を結んでローマの仲間を増やすことであったし、そうして築いた広大な帝国領土は「服従の広がり」と云うよりも、むしろ互恵的な「関係の広がり」であった。 ドイツの歴史学者ランケの言葉に「一切の古代史はローマ史の中に注ぎ込み、近代史の全体はローマ史の中から再び流れ出る」とある。だが西欧人の法が互恵的であったことはなく、したがって彼らの支配する地域が「服従の広がり」ではあっても「関係の広がり」であったことは以前にもなければ今日にもない。 これは西欧人がローマ法をヘブライの文法で読んだからで「汝するなかれ」という戒律としての法は超越者の立法を必要とする。それは絶対王政が革命で倒された後も人民の絶対を唱える人民主権として残った。「人民は王の靴を履いた」しかし「その前に王は教皇の靴を履いていた」というのが西欧人の法の歴史である。 私たちの生活が「ラグジュアリー」でないのは世知辛い現代にあって仕方の無いことではあるが、なお一層これを世知辛くしているのは、王の靴を履いた貧しき主権者たちが富裕者を引きずり下ろすことで自身の貧困を慰めようとする精神の狂気ではないか。もう少しローマ人たちのように肩の力を抜いて生きられないものであろうか。 美術館を出ると初冬の冷たい風が羽織の裾を翻す。小腹が空いた。精養軒も好いが、いっそ浅草の神谷バーへ行こう。あそこの熱々の海老グラタンとメンチカツで電気ブラン・オールドをやろう。一緒にハチブドー酒をやるのもまた美味い。あゝ…こればかりはローマ人も及ばない、日本庶民の「ラグジュアリー」ではないか。 宗教教団への入信の儀式が行なわれた邸宅の女主人。ポンペイから出土したこの壁画は当時の秘儀の有様を伝える唯一のものであると考えられている。1世紀頃の作。 < 前のページ次のページ >
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