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2008年 02月 27日
白描女絵
e0130549_21161033.jpg白描女絵というものがある。鎌倉時代末期から室町時代にかけて流行した物語絵の一種であるが、女子の手すさびに描かれたためか、またその制作経緯や内容に不明な点が多いためか、ともかく今日にいたるまで取り立てて評価を与えられずにあるように思う。

墨色のみによる白描画は、それより以前の平安末期から写経の下絵として、或いは似絵の公卿図や歌仙絵として存在しているのであるが、物語絵としての白描画というものは、定家の明月記に『更科日記』を右京大夫尼がとくに墨絵で描いたとあるのが知られるのみで、これが今日にまで伝わっていないので、その様式が不明なままである。

このような事情で鎌倉末期の『隆房卿艶詞絵巻』の出現は、白描女絵という様式が突然、それも名も知られぬ一個の天才によって虚空から掴み出されてきたかのような印象を現在の私達に与える。それほどまで藤原隆房と小督局の悲恋を描いたこの作品は出色の出来なのだ。

特にその第一段は桜の花咲く春の月夜を前景として、寝殿造りの邸内で柱にもたれ掛かる一人の貴公子と、やや離れて座る二人の盛装の女を描き、その濡れたように重く流れる黒髪に落花が白く点々と散りかかる有様は墨色のみによる精緻な構成の内に、永遠に続くかと思われる澄みきった静寂を描き出すことに成功している。

これにやや後れて現われるのが『豊明絵草子』である。実はこの物語の題名は不明で、詞書の冒頭「豊明のよなよなは」から仮に『豊明絵草子』と呼ばれているに過ぎない。この内容は人生の無常を深く想う一人の貴公子が、極楽往生を求めて変転する運命に生きるという、如何にも中世的なものとなっている。

御多分に漏れずこのような話は、富貴の生活を送り貧窮の悩みも卑賤の醜さも知らず、人への憐れみも知らない貴公子が突如として襲い来る非運の中で出家剃髪し念仏三昧の末、阿弥陀の来迎に随喜しながら息絶えるというお定まりものであるが、諸行無常にもマルクス階級史観にも興味のない私のような不届きものは、この富貴の生活が描かれる耽美を最も上位に考えるのである。

『豊明絵草子』は前述の『隆房卿艶詞絵巻』に比較して邸内の調度品に繊細な紋様が加えられ、なおかつ目の表現も一線に点描を加えて愛らしい表情となり、それが全体に工芸的な美観と濃密な雰囲気を醸し出している。とはいえ硬い形式主義に堕することなく、溝引によるであろう御簾の平行線は奇跡的なまでに細かく、それがわずかな風にそよぐ有様は胸を掻きむしられるような風情である。

これと同じ頃の制作と思われるのが『枕草子絵巻』である。こちらは内容がご存知枕草子であるために、更に豪華な宮中の調度品と居並ぶ公卿殿上人と女房たちを描かねばならず、空間の取り方やレイアウトが非常に難しいのではないかと想像されるのであるが、この作者の構成力は驚嘆に値するほどに正確である。また調度品の紋様、服飾の重なり方、黒髪の流麗な流れも洗練されており、おそらくこの作品が白描女絵の最高峰にあるのではないかと思われる。

by hishikai | 2008-02-27 21:25 | 文化
2008年 02月 26日
割れた鏡
e0130549_16116100.jpg例えば憲法とは何かということを考えることはひとつの端緒となる。憲法とは国家から我々を守る防塁である。この意味に於いて聖徳太子の十七条憲法が我々に於ける憲法のデッサンであるということは正しくない。立憲主義に於ける憲法は国家を名宛としている。憲法は国家に対して向けられたものであり、我々の生活信条といった性質のものではない。そして国家とは法の執行を通して浮かび上がる強制の機構である。その機構に統治されるときに我々は国民と呼ばれる。

このような自由主義者流の一連の考え方が反語的に示すものは、私達にとって国家とは本質的な存在ではなく、また国民であるということは本質的な属性ではないということである。私達にとって本質的な存在とは天皇であり、本質的な属性とは天皇の民であるということである。国家は国民間の権利調整のために運営されているシステムであり、それは天皇の民であるところの私達が形成している民族共同体とは全く異なる。このことは明らかに峻別されなければならない。

そしてこの峻別は「統治機関としての天皇」と「民族の神としての天皇」との峻別へと展開される。その上で私達の立ち位置は「国民/統治機関としての天皇」「天皇の民/民族の神としての天皇」と各々に対置され、従って私達から天皇に向けられたものが国民としての叫びであれば、天皇は統治機関として応えられるであろうし、天皇の民としての叫びであれば、天皇は民族の神として応えられるであろう。

二二六事件決起将校らの主張が国家運営に関する政治技術的なものではなく、国家運営の根源的な倫理に関するものである以上、彼らの立ち位置は公法的意味合いの国民を離れ、日本人の本質的な属性である天皇の民へと移行する。そしてその位置から発せられた主張であるために、その叫びは天皇の民としてのものである。しかるに史的事実として天皇はこれに統治機関として応じられている。

「陛下が 私共の挙を御きき遊ばして『日本もロシヤのようになりましたね』と云ふことを側近に云はれたとのことを耳にして 私は数日間 気が狂ひました(中略)天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ(二・二六事件獄中手記・遺書/磯部浅一・元一等主計大尉)」

私達の本質的属性が天皇の民であるのと同じに、天皇の本質的属性は民族の神としての天皇である。そのことが私達の日本文化としての行動原理の正統性を保障している。それはあたかも源氏物語を読む私達が、その作品からの照返しにより自らの歴史的連続性を確認するが如く、私達が天皇という鏡に顔を映し出すことにより、自らの歴史的連続性を確認することができる。そして鏡には映した者の顔が一点の曇りもなく正確に映し出されるはずだという確信が、即ち大御心と民心の同一性への確信となる。

しかし、あの雪の日。決起将校らがその鏡を取り出したとき、ほの暗き宮居の奥で眠り続けてきたその鏡を、今まさに民の窮乏を救わんとして取り出したとき、すでに鏡は割れていたのだ。彼らが如何に顔を映しても、そこにあるのはただ国賊という別人の顔であった。そして割れた鏡の事実が公にされたのは十年後の昭和二十一年一月一日、敗戦後間もない新聞紙上のことである。

by hishikai | 2008-02-26 16:06
2008年 02月 25日
無血開城
e0130549_15195842.jpg明治初年の江戸無血開城という事件について、これを執り行った当事者である勝海舟の判断と、これを批判する福沢諭吉の『瘠我慢の説』を同じ土俵に乗せて、合理的という観点から両者を競わせるならば、必ずや勝海舟の判断に軍配が上がるであろう。しかしそれでもなお『瘠我慢の説』が今日にまで伝わるのは、福沢の他の著作の随伴物としてではなく、これを読む人がその主張の向う側に合理性とは異なる得体の知れない警鐘の声を聞くためではないか。福沢は言う。

「瘠我慢の一主義は固より人の私情に出ることにして、冷淡なる数理より論ずるときはほとんど児戯に等しといわるるも弁解に辞なきがごとくなれども、世界古今の実際において、所謂国家なるものを目的に定めてこれを維持保存せんとする者は、この主義に由らざるはなし」

「(無血開城という判断は=引用者)兵乱のために人を殺し財を散ずるの禍をば軽くしたりといえども、立国の要素たる瘠我慢の士風を傷うたるの責は免かるべからず。殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。これを典して彼を買う、その功罪相償うや否や、容易に判断すべき問題にあらざるなり」

読者が無血開城という合理的な判断に勝海舟の先取された近代性を発見し、それと同じ視線を以てこの『瘠我慢の説』に接するとき、勝海舟が封建の時の最後の人であり、福沢諭吉が既に近代となった明治の人であることを考え併せて、その順逆に奇異の念を抱くであろう。

しかしその違和感を解消するために福沢のナショナリズムを言い、国家主義を指摘することは最も安易な解決策である。ここで本当に行なわれるべきは、この思考の当初より私達が抱く合理的という言葉への無批判な信頼を一旦横に置き、その意味内容について今一度顧みて検討することではないだろうか。

実のところ合理的であるということは合-理性的であることを指す。それは人間理性に叶ったという意味で、理性への信仰を抱え込んだ一種のロマンティシズム、或いは一種の道徳観念である。例えれば不合理でとり散らかされた子供部屋の現実を、何とかして人間理性に合うように整頓してしまいたいという願望の現れに過ぎない。

合理的であるはずの近代にあって、その生存の要諦を不合理にあると主張する福沢諭吉の解りにくさは、私達がそのようなロマンティシズムを懸命に現実に押しあてようとすることから来ている。勝海舟の判断が合理的であると私達が言うときに、その心の片隅にそうあるべしという道徳観念が隠れていて、そのことを私達が見ないようにして現実と摺り替える、その心理が実は危険なのである。

「理性は情念の奴隷である」と言ったのはD・ヒュームであるが、そのような事実としての人間像を認めるならば、大衆に大きく左右される近代国民国家にあっては、むしろ不合理こそが現実であることに気が付く。それを諦念し、はっきりと覚悟して歩き出さなければ国家の維持保存は不可能である。幕末に執り行なわれた合理を賞揚することで、不合理を忌避する方向へと国民の心性が傾斜するならば、それは近代国民国家となった日本にとって命取りとなる。そういうことを福沢諭吉は「瘠我慢」という言葉に託して言いたかったのではないだろうか。

by hishikai | 2008-02-25 12:14 | 憲法・政治哲学
2008年 02月 22日
二つの民主主義
e0130549_1224147.jpg「国民がたとえどんな意志を持っても、国民が欲するということだけで十分なのだ。そのあらゆる形式は全て善く、その意志は常に至上最高の法である」シェイエスによってフランス革命前夜に書かれたこの『第三階級とは何か』の一節は、そのまま我国の民主主義観を表しているようだ。

このような民主主義観をもって英国を眺めた場合、はたして英国は民主主義国家であろうか。1940年に米国の一市民がスペクテーター誌に一文を寄せて、次のように英国の政治体制を非難した。「民主主義は上層階級の者たちが、しかたなく与えている権利に立脚してはなりません。それは最も特権のない人達を基盤としなければならず『国民のもの』でなければなりません。従って貴国民は民主主義を求めて戦ってはいないのです」

これに対しI・ジェニングスは『英国憲法論』の中でこう反論している。「もし特権階級者とそうではない人達の間の争いで、国民が分裂することが民主主義に必要であるならば、英国に民主主義は存在しない。しかし、そのような民主主義は、英国の書物の中にも、英国民の経験の中にも見い出されてはいない」

では英国の民主主義とは何か。I・ジェニングスは言う。「我々の理解する民主主義とは、国民が自由であらねばならないこと。その自由な国民が統治者を選ばなければならないこと、および統治者が国民の希望に従って統治しなければならないことを意味するものなのである」

前者は民主主義の要諦を持たざる者の目標であると主張し、後者は民主主義の要諦を決定の手続であると主張する。果たして民主主義とは目標か、それとも手続か。

民主主義がアテネに始まるという文学的修辞を排し、さらにデモクラシーを民主主義と訳すことの危うさを考慮した上で、議会と革命のどちらが先に歴史の舞台に登場したかを考えるとき、本来の民主主義とは手続であり、持たざる者の目標をロマンティックに語ったものではないことは明らかであろう。

F・ハイエクは『法と立法と自由』の中で次のように言う。「民主主義の場合、特に、その言葉が単にある特定の統治方法を指しているに過ぎない、ということを我々は忘れてはならない。もともとそれはある政治的決定に至るための一定の手続を意味したに過ぎず、統治の目標がどうあるべきかについては何も指示してはいないのである。それでもそれは、人間がこれまで発見した統治方法の中で、統治者を平和的に変える唯一の方法だからこそ、それは貴重であり、戦って実現するに価値あるものなのだ」

by hishikai | 2008-02-22 12:25 | 憲法・政治哲学
2008年 02月 12日
裁きのあり方
e0130549_18282474.jpg『沖縄ノート』で大江健三郎氏はハンナ・アーレント著『イェルサレムのアイヒマン』を引用しているが、しかし実際のところ両氏の考え方は大きく異なる。それが最も顕著に見て取れるのが、アーレントがユダヤ人有力者たちにより組織された委員会が一般のユダヤ人達の移送に深く関与していたことを実名を掲げて指摘しているのに対し、大江氏が「旧守備隊長」という表現を「一般的な日本人」という意味であるとして実名の明記を回避している点である。この相違はどこからくるのか。私の考えは以下の通りである。

アーレントは一人の人間には民族という概念に表されるところの「自然により与えられた条件」と、個人という概念に表されるところの「法により与えられた条件」という二つの層があると考えている。そして裁きは「法により与えられた条件」に依拠しなくてはならず、被告は個人として裁かれなくてはならないと考えている。従って民族に関わりなく個人的責任は実名を揚げて指摘されなければならない。

一方、大江氏は「旧守備隊長」を本土の日本軍から現地の第三二軍、そして渡嘉敷島守備隊というタテの構造の最先端に表出した存在と考えている。そしてその命令系統に、皇民化教育、基地問題、差別意識といった日本から沖縄へ押し付けられた諸問題の経路を象徴的に見ている。従って「旧守備隊長」は「一般的な日本人」となる。

そして『沖縄ノート』の「かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであった」という記述にみられるように、大江氏は「旧守備隊長」を裁くべき対象であると考えている。であるならば、その法廷は「旧守備隊長」という「一般的な日本人」を裁くのであるから、それは民族という概念に表されるところの「自然により与えられた条件」に依拠した裁きを思考することを意味している。つまり「旧守備隊長」は個人としてではなく日本人として裁かれるのである。

この両者の相違はアーレントが法の公共性の中で問題を捕足しようとするのに対して、大江氏が民族の共同性の中で問題を捕足しようとすることにある。但し私は大江氏の考え方に賛意を表すことはできない。その思考に従うならば私達は共同性の回廊を永遠に歩き続けることになるだろう。なぜなら大江氏の思考は日本人の沖縄人に対する押し付けという自身が提唱する問題を、裏返しで私達に見せているに過ぎないからである。

現実に今もこの表裏の関係が罪責と怨讐の同居となり、現実的な進展に対する作用と反作用として問題の解決を妨げている。具体的には国内の左右両陣営が一方は日本人の側に寄り添い、一方は沖縄人の側に寄り添う形で対峙しているのがそれである。両者は寄り添う側が異なるだけで、その対立軸は共に民族の共同性にあるのみで法による裁きのあり方を顧みる事がない。その意味においてこの両者は対立していない。表裏の関係である。敗戦から六十余年を経て我国の戦後問題が一向に解決しないのは、根源的にはこの共同性に立脚した思考への強い傾きのためであると私は思う。

by hishikai | 2008-02-12 18:37 | 憲法・政治哲学
2008年 02月 07日
自由主義思想への考察
e0130549_1028050.jpg自由主義とは人間観である。「人間とは何か」という問いに対する深い悩みである。道徳が人間に期待する価値に対して、現実の人間はどれほど応えることができるのか、理性的な思索は人間の弱さや情念を把握しきれるのか。そのような理想と現実の距離を社会制度に反映させようとしてきた思想が自由主義である。

合理主義啓蒙思想は政治的な公民による投票は正しき民意を反映する、つまり「個人の意志が全体の意志と一致する」というフィクションを創出した。国民に主権を与えてこの筋書きを展開したのがルソーの「社会契約論」である。しかし見方を変えればこれは多数者による全体主義である。我国でもよく耳にする「国民が求めている」などという息苦しいイデオロギッシュな言葉は、この合理主義啓蒙思想により支えられている。

これに対してD・ヒュームやA・スミスなどに代表されるスコットランド啓蒙思想は、このような原子論的人間観は現実的ではなく、実践的政治哲学とはなり得ないと考えた。そこで彼らは国家成立の原理などよりも、成立後の人々が「どのような動機で行為するか」に目を向け、行為する人間を実践的に捉えようとした。D・ヒュームの「理性は情念の奴隷である」という言葉に顕される人間観が自由主義思想の礎である。

各人は自己愛を持ち「各人なりの幸福」を実現しようとして行動する。そのために人々は互いに足りないものを交換や交易によって得る、そのような過程を通して人々は少しずつ「各人なりの幸福」を実現し、また同時にその過程で様々な障害に出会う。そのたびに人々は様々な方法を試してプラクティスを重ねる。

そのようにして社会には知識が少しずつ蓄積されてゆく。そして商取り引きや、そこで生まれる人間関係を通じて、その知識を広め、また学ぶ。競争もその手段のひとつである。慣習も少しずつ確立される。違反者を排除するルールも人々の間に黙約される。この社会の営みを経済的に見たときには、それを「市場」という。

現実的な統治技術という側面で国家や社会を考えた場合、そこで想定される人間観は超越的な道徳哲学とは絶縁されたところに求められるべきである。人間は決して有徳な存在ではない。それは私達が日々の生活の中で痛いほど身に沁みている。現在の我国のように、人々の政治参加が進めば進むほど世の中が善くなると考えることは誤りである。「群衆の専制は倍加された専制である」というE・バークの言葉を思い起こされたい。

少数者が多数者を統治しているのが現実である。これは仕方がない。それならば私達は「うまく統治される方法」を考えるべきである。そのために問題をなるべく政治過程に乗せることなく、社会活動の中の利害得失の関係の中で解決されるよう努力すべきである。何事も投票行動により決めようとするのは政治依存症である。決定のプロセスを社会活動の中に組込むという一事だけでも、自由主義は検討に値する思想だと私は思う。

by hishikai | 2008-02-07 14:38 | 憲法・政治哲学
2008年 02月 06日
嘉村磯多
e0130549_14283388.jpg嘉村磯多はある日街上で、学習院卒業式に出席された天皇陛下の行列に出逢う。汚れた足袋を脱ぎ、ふところにねぢ込む。襟前を掻き合わせ、羽織の折り目も正して、今か今かと両足を揃え、込み上げる恭敬の感情も押え難く立っている。すると「君、君、ちょっと」巡査に見とがめられ、住所、氏名、職業を調べられる。結核から腸出血を患い、異様な顔色の悪さが原因であった。群衆の視線が射すようだ。

「時節柄、直訴状でも携えて居はしないかと疑ぐられたのである。あれほどの多人数の中でたった一人。心、痛むとやせん!身、痛むとやせん!が、やはり私のどこかに直犯的な嘆かわしい形相が仮にも認められるのなら、なんとも恐れ入るほかない。

愁い多ければ定めて人を損ずるというが、触ればう人毎へ、闇をおくり、影を投げ、傷め損ずる、悪性さらにやめがたい自分であることが、三十三年の生涯で今日という今日は、真に眼にみ、耳にきき、肝に銘じて思い知らされた有難い気持から、落ち切った究竟の業因の牽くところ日月不照 千歳の闇室に結跏して無言の行をこいねがう、かような猛き懺悔改悛のこころで、室穴に差すしばしのみひかりをおろがむこと香光荘厳の御車のひびきのきこえなくなるまでボロ洋傘に凭れ掛って私は一心不乱にうなじを垂れていた」(曇り日/嘉村磯多)

嘉村磯多に救いは無い。ヘルダアリンの如くに自己と現実の狭間で崩壊する純潔も無い。ただ自らを潜在的犯罪者と恐れ苛む精神の牢獄の中で平伏し、運命に許しを乞い、時々に跳ね起きて奇声を発し、自身を自身で膺懲するのみである。

しかし私は理解する。社会の成功者、家庭の成功者、世間の承認、至尊の御稜威、それらを闇室の中から眺め上げ、己の不肖の浅ましさに頭を地に叩き付けて煩悶するその孤独を理解する。

以前に近しい人がこれを読み「馬鹿を言うな、誰だって我慢して懸命に生きているんだ。こいつは自尊心ばかり高い臆病者だ」と言ったが、この反応は正当に主張されてよい。が、やはり⋯と継ぐべきではない。抗弁は罪を重くするだけだ。

臆病な自尊心ということから引いて考えると、中島敦の『山月記』が想い起こされる。李徴は自らの才能を信ずるが活かし切れず、それでも詩業に立たんとするが終に家族が飢凍の身となるに至り官職に降る。その怨念と呪詛が彼をして一個の虎へと変身させるのだが、中島敦の典雅な漢文調がその比較を妨げているとはいえ、李徴の焦燥と嘉村磯多の懊悩は響きあう和音である。

あるいはこれが妄想の翼を逞しうして、二二六事件首謀者である磯部浅一の「天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」という獄中の叫びと「室穴に差すしばしのみひかりをおろがむこと香光荘厳の御車のひびきのきこえなくなるまでボロ洋傘に凭れ掛って私は一心不乱にうなじを垂れていた」という嘉村磯多の文章が、その不遇と怨念と呪詛とが一転して至尊への恋闕へと転ずるところに通じている、この両者の関係はオクターブだと言えば言い過ぎであろうか。

by hishikai | 2008-02-06 14:33 | 文学
2008年 02月 05日
限定放棄説と全面放棄説
e0130549_21284936.jpg日本国憲法第九条が戦力保持をどのように定めているのかということについて、現在では必要最小限で認めるという、いわゆる「限定放棄説」を採る認識が多いように思う。しかし前文に示された理念、第九条の文理、マッカーサー三原則、吉田内閣の公式見解等を考えあわせると、第九条が限定的にせよ戦力保持を認めているとは考え難い。私は第九条については「全面放棄説」を採りたい。

昭和58年の政府公式見解は、それより以前に衆議院で示された理路を受け「国際紛争解決の手段としての武力行使の放棄を通して、日本国民は国際平和を誠実に希求する」それ全体が2項冒頭にいう「前項の目的」である、したがって第九条全体は自衛のための戦力保持を否定したわけではないというものであると思う。

しかし素直に読めば「前項の目的」は「国際平和を誠実に希求し」に求められるべきであろう。平和実現の「手段」である武力行使の放棄に言及した部分を「目的」に関連づけ、その全体を「前項の目的」であるとするのは主客の転倒した不自然な解釈ではないだろうか。

憲法の法源である前文が他国に頼る国防を表明している以上、我国が自衛を全うするためには前文を改正するか、第九条を改正するかの二つしかない。本来であれば前文を改正することが最も望ましいのであるが、国民の憲法制定権力が前文にまで及ぶか否か、つまり前文の改正が法理の上で可能であるか否かは難しい。

国民主権が人民主権であるならば、国民の憲法制定権力は憲法の根本的な性格をも変更できると考えられなくもない。しかしこのような無制限な憲法制定権力を認めることは、人民の持つ主権の無制限を認めることとなり、それはやがて人民の主権が憲法の上位に立つことを肯定する革命の論理となり得て危険である。

「限定放棄説」の定着は、例えば先の拓けた峻厳な道と、行き止まりの平坦な道の分岐点で、後者の道を選んでしまったようで憲法問題の解決という面からは後退である。現実の国防問題は理解するが、どこかで現行憲法の本当の姿を提示し続けないと改正の意義そのものが失われてしまうのではないだろうか。

by hishikai | 2008-02-05 21:42 | 憲法・政治哲学
2008年 02月 04日
国の虚構と文学
e0130549_12431193.jpg林達夫は終戦の報に接し、我ながら驚いた人情の自然と述べ、複雑なそして単純な無念の思いに滂沱として落涙する。「日本よ、さらば」それが彼の感慨であった。そのとき林達夫の胸に去来した日本は、もはや一つの心のあり方であったのではないか。心のあり方としての国。これが何によって形作られてきたかということに私は文学の虚構を考えたい。

人は各々の事象に記号が与えられていることを理解した上で、これを整序して世界を把握している。この整序された記号を文法に則って表出すれば、他者に対して何事かを伝達することができるが、こと内容が心のあり方であるときに、これを通り一遍に行うことでは言語はその伝達機能を十分に果たし得ない。

そこで私達の先人は着眼点を一旦事実から切り離して虚構を創作し、そこで用いられる言葉のあやによって心のあり方を伝えようとしてきた。和歌や俳句、物語といった文学はこの位置にある。それは虚構でありながら虚構でしか伝えられない心への必要である。

古事記、古今和歌集、伊勢物語、平家物語、奥の細道等々々々。虚構が堆積して重なりあうところ、更に抽象された虚構が心に結ばれる。それが心のあり方としての国であると断言してよいかどうか、私の力では心許ないが、私はそのような道筋を想像している。

いやそうではない、それを形作ったのは現実の日常ではないのかという見方もあると思うが、その現実の日常で接する人の人情や、ふと感じる自然の美しさの理解を教えたのは、やはり文学の虚構であるとは考えられないだろうか。

「春の花をたずね、秋の紅葉を見ても、歌といふものなからましかば、色をも香をも知る人もなく、何をもかはもとの心ともすべき」と言ったのは藤原俊成だが、これが独り文学者の傲慢であるか否かは各人が各人の胸に問えば答は自ずと明かであると思う。

国の滅亡に想起される国。それが文学の虚構に形作られた国、心のあり方としての国であるといえば、けしからんということになるかもしれないが、そのような実務家の心理の背景には、国民国家形成の過程から文化を引き離そうとする戦後的な怯えが影を落としているのではないか。

国の先行きを憂うときに私達はとかく現実の方面に目を奪われがちであるが、それを重要と認めた上で、それよりもさらに痛切な心で国の虚構を思うべきである。漆の底に沈む金箔をまばたき一つも惜しんで凝視する、そのような心持で国の虚構を思うべきである。

by hishikai | 2008-02-04 18:01 | 文化