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2008年 04月 24日
抑制と均衡の相互作用
e0130549_0373638.jpg「法とは、その最も広い意味で、事物の本性に由来する必然的な諸関係である」(法の精神/モンテスキュー)

彼は人間の本性が権力の濫用に傾くものだと懐疑的に捉えた上で、だからこそ万有引力が事物に作用するように分立された国家機関は引き合い牽制しあうことが必然であり、そのような「抑制と均衡」の諸関係の中でこそ正しき統治の法が発揮されると考えた。上の一文は、その期待を抽象的な表現のうちに込めたものである。

我国でも全ての国家機関に「抑制と均衡」の相互作用が期待されている。例えば内閣と国会の連携が崩壊したときには、政治原則の一致を回復する手段として「不信任決議権」と「議会解散権」が用いられる。この二つの権限があたかもピストンシリンダーのように対をなして作用することが議院内閣制の本質である。

また投票を起点とした政治的な作用が、国会内外における複数政党間の「抑制と均衡」の相互作用である。複数の政党が国会の内外で論戦を交え、集票競争を繰り広げて第一党の地位を争う。それは多様な選好のあり方を有権者に提示して、投票を起点とする活動で一党の独裁を抑制しようとする。

我が国の国会は「ねじれ国会」であるといわれる。そのために国政が停滞しているといわれる。だから大連立もまた一策であるいう。しかしこれは議院内閣制と複数政党制に対する正しい理解であろうか。権力分立とその相互作用に対する正しい理解であろうか。

第一党と第二党の所属議院が合同して内閣の構成員を占めることとなれば、ただでさえ事後的な監督機能に専心しがちな国会はさらに弱体化し、議院内閣制の本質であるところのピストンシリンダーは緊張感を持って機能しなくなるのではないだろうか。

また複数政党間の相互作用という観点からも問題がないであろうか。現代の有権者は多様な社会的背景を持ち選好もまた多様である。政党はその多様な選好を集約して市民社会と国家を架橋する。だからこそ政党は現代政治の動脈と言えるほどに重要な存在なのだ。果たして連立した二党にその使命が全うし得るであろうか。

「ねじれ国会」は実は「ねじれ」などではない。それは権力分立のあるべき姿である。「抑制と均衡」の相互作用、つまり「人間の本性に由来する必然的な諸関係」の現れなのだ。だから議員諸君は法に則り粛々と手続を尽くすべきである。

そして国民はこの途中にある混乱を国政の停滞などと悲観するのではなく、むしろこの混乱を統一や統制を加えることなく解決することで、議会により多くの経験的な知識が貯えられ、我国の議会制度がより強靱なものとなる、そう考えて議会には前向きな期待をかけるべきではないだろうか。

by hishikai | 2008-04-24 01:04 | 憲法・政治哲学
2008年 04月 12日
新内考
e0130549_17532483.jpg新内流しは唐桟の着物に松葉づくしか何かの手拭いを吉原かぶりにして、自ら三味線を弾きながら後ろに装飾音を奏でる上調子を相方に連れ、秋虫の鳴くような音曲と共に市中を流し歩いて、客に呼ばれれば軒先きに立ち、三味線の伴奏を背景として男女の悲恋物語を新内節の哀調な旋律に乗せて語り聞かせるものである。或いは舟に乗ってこれを行なう者もあり、川筋の料亭では彼らを窓下に呼び寄せて演奏させ、客は座敷きの内に居ながら川浪の音と共にこれを翫賞するということも行なわれていた。

それは同じ豊後節系統の江戸浄瑠璃の中でも、常磐津や清元が歌舞伎の随伴者であったのとは対照的に、その地位を維持することが叶わなかった新内伝承者の糊口の道を求める零落の姿に他ならない。そのため新内には大規模な集団演奏も大掛かりな音響効果もなく、それが為に却って節調は哀切を帯び、伴奏は簡素な奏法へ収斂されていく。そして火の用心の打木も過ぎた頃、深と静まり返った夜の向うから新内流しの寂しげな音が聞こえて来るという詩情を、江戸市井の人々、わけても身を鬻ぐ遊里の女達は愛した。

客にとっても遊女にとっても深みにはまりこそすれ、這い上がることの出来ないように仕組まれた世界、自由のない境涯、そこを脱け出て真実の愛に生きようと念ずる者たちにとって、新内節は蠱惑耽溺の節調であろう。やるせなさ、脆さ、切なさ、儚さに沈淪している陋巷の人々の耳朶をうつ、素裸の人生の深奥の叫びであったに違いない。(いきの源流/関光三)

そのことを私も以前に広津柳浪の同名の小説に題をとった『今戸心中』を聞いた時に思ったのである。これは己の愛する平田という男に捨てられた遊女吉里が、それまで散々袖にしていた古着売りの男の絶望を自らの絶望に重ねることで理解し、その絶望と絶望が互いに抱き合い同情の果てに今戸堀に身を投げる悲恋情話である。

そのとき朋輩の女に宛てた別れの手紙に吉里が自らの名を源氏名の「吉里」ではなく本名の「さと」と書いたこと、それを読んだ朋輩の女が二人の行末を悟って泣きながら櫺子窓に寄り添うこと、そのときの「太郎稲荷や入谷、金杉。人家の灯りちらちらと」という旋律の何とも言えず悲しいことに私は落涙を禁じ得なかった。恥ずかしい事であるがこればかりは仕方がない。それほどまでに新内は江戸文化の闇に咲く見窄らしくも可憐な花であった。

by hishikai | 2008-04-12 18:10 | 文化
2008年 04月 10日
烏森口
e0130549_903951.jpg神田川を真直ぐに上汐の濃い緑色の水の面は、遠い明神の森に沈んだ夕日を受けて、今だに磨いた硝子板のように光っていたが、荷船や小舟の輻湊する川口から、正面に開ける大河の面は眺望の遠いだけに夕暮れの水はなお更きらきらと眼を射る。角度の正しい石垣の両側に痩せた柳の繁りが絶えず風にゆれていながら、如何にも懶く静かに見える。

岸に近い芸者屋の稽古三味線も今は途絶えた。あたりは一刻々々、雲の動くにつれて夕方ながらにかえって明くなり往来の人の顔や衣服の縞がはっきり見えるばかりか、雨に塵を洗われた後の町全体が如何にも清らかに落ち付いて心持ちよく見える。

湯帰りの女が化粧道具を手にして行交いざまに話して行く。その襟筋が驚くほど白く浮き上がっている。早くも蝙蝠が飛出したのを子供が素早く見付けて追掛けている。近くに絶えざる電車の響き。遠くに汽船の笛の音が長く尾を引いて消えたが、すると川口に大きな屋根を突出した亀清の二階で幾丁の三弦が一度に調子を合して響き出した。

雨に濡れたまままだ乾かない柳光亭の板塀の外には蹴込みに紅い毛皮を敷いた漆塗りの新しい人力車が二台ばかり置いてあった。裾模様の褄を取った芸者一人と、目覚めるばかりな友禅染めの振袖を着た半玉が、早足に柳の垂れた門口に這入って行く。それをば通りがかりのものが珍しそうに振返って見ていた。(牡丹の客/永井荷風)

ここまで読んで本を閉じる。白い蛍光灯に冴え冴えとした都営地下鉄の車内。デニムにコサック兵のようなブーツを履いた赤いセーターの女が腕組みをして電車の揺れと同じに揺れている。向う側にはコナカか青山で買ったような細身のスーツを着た若い男が、流行りのとんがり靴を突出して中吊りの広告を見上げている。

新橋に着いた。永井荷風は判っていたんだ。現代人が自分の文章を読んでどう感じるかを。そうやっておいて、さあどっちが正しいと思うかね、とニヤニヤしながらこっちを見ている。文明批判といえば聞こえも良いが、本当のところは趣味の悪い拷問だ。

烏森口から外へ出ると日も暮れきって暗くなっている。雨が降ってる。ちぇ、まいったな、傘ないよ。「いかに好く晴れた日でも日和下駄に蝙蝠傘でなければ安心がならぬ。此は年中湿気の多い東京の天気に対して全然信用を置かぬからである」(日和下駄/永井荷風)嗚呼、そうでした。

by hishikai | 2008-04-10 03:46 | 文化
2008年 04月 08日
別国という考え方
e0130549_2415450.jpg日本史のなかに連続してきた諸政権は、大づかみな印象としては、国民や他国のひとびとに対しておだやかで柔和だった。ただ、昭和五、六年ごろから敗戦までの十数年間の日本は、別国の観があり、自国を亡ぼしたばかりか、他国にも迷惑をかけた。(別国/司馬遼太郎)

全体の中からある一部分を「あれは本当の私達の姿ではない」と断定して、これを切除することで他の大部分の面子を立てようとするのが司馬遼太郎のやり方である。もっともそれ自体は彼の商売の方法であるから、一々非難するにはあたらない。問題はそのような歴史観を真に受ける方にある。

司馬遼太郎の歴史小説を読むことで、日本人は敗戦で失いかけた祖国への誇りを取り戻すことが出来たという話を以前に耳にしたことがあり、司馬遼太郎の歴史小説を読まない私は、そういう歴史の切除手術が多くの日本人の間で受け入れられていることに愕然とした記憶がある。

司馬遼太郎の歴史観は、統治者の判断に関与する大衆世論の力を小さく見積ることで歴史の責任を特定の個人に絞り込み、結果として大衆を免罪し、さらに特定された個人のメンタリティーを各時代の塗り分けにまで拡大することで歴史の解釈を安易にする。

このような考え方の根底には、大衆の強い影響力は戦後の国民主権のもとで始めて確保されたのだとする固陋な信念がある。しかしおよそ国民国家といわれるものが、その初期より実質的な大衆主権とならざるを得ないものであったということは、それこそ実際の近代史を振り返れば簡単に分ることで、上述のような固陋な信念は戦後日本創成の神話の産物に過ぎない。

これは国民国家の制度思想史が、大衆世論の統治への反映をいかにして制御するかに腐心しながらも、実際には失敗の繰り返しであったことを見ても明らかで、これは洋の東西を問うことがなく、したがって戦前の日本もまた然りである。しかしそのことは一方で大衆の資質が即ち国家の資質とならざるを得ない国民国家の特性を表すと共に、また一方で国民国家における大衆の役割と責任の大きさを物語っているのである。

そういう統治の現実と向き合うことをまず前提とするならば、歴史の責任を特定の個人に還元し、ある時代を非遺伝的な存在として切り捨てて、ある時代を合理精神のあるものとして賛美するような虫の良い歴史観を容認することはできないはずだ。それは国民国家を構成する個人の考え方としては無責任である。

昭和初期から敗戦にかけての十数年間は、それに先立つ大正や明治と矛盾するものではない。むしろその延長として歴史に現出したのだ。そこには日比谷の暴動や国体明徴運動を始めとする国民世論の動向が大きく関与している。それすら一部指導者や軍人に扇動されたの騙されたのと言うのでは、個人は歴史の主体としての資格を失う。

私達の歴史に別国などない。あるのは懸命に生きる父祖達の姿である。その人々を巻き込んで流れる一筋の時間の奔流である。だから日本の歴史は私達一人ひとりが一括して引受けなければならない。たとえそれがどんなに愚かで不合理でも、責任を一部の個人に押し付けて自分達だけが歴史から逃げを打つことは許されない。そのような手段で取り戻した誇りなどは、恥ずべき偽物である。

by hishikai | 2008-04-08 02:51 | 憲法・政治哲学
2008年 04月 04日
合田忠是君(ごうだ ただしくん)坪田譲治童話集・魔法より
e0130549_4212454.jpg大正十四年十一月の或日、南アメリカのサントスといふ港にハワイ丸といふ日本の船がつきました。この船にはブラジルへ移住する七百人の日本人が乗ってゐました。こゝまで来るのに五十幾日かかったのです。みんな船の手すりにしがみついて、陸地の方をながめてゐました。空には一かたまりの白い雲が浮かんでゐました。

この七百人の日本人の中に、合田忠是君といふ六つになる子どもがゐました。お父さんと二人でこのブラジルにやつて来たのです。お母さんは一人でドイツにゐるのでした。さん橋から汽車に乗って一日がかりでサンパウロといふ町につくと、合田君たち二人は小さな下宿へはいりました。

忠是君にはこんなに遠い、知っている人一人もゐないところへ来たことが、どんなに心細いかといふことも、今しみじみ分かって来ました。もうお父さん一人がたよりです。だから「お父さんお父さん」と言つて、そのあとばかり追ひかけました。

お父さんはブラジルで廣い土地を買つて、そこを開いて田んぼをつくり、忠是君と二人で農業をしながら、だんだんに土地を開いて、そこへたくさんの日本人をお國からよぶつもりでやつて来ました。日本は土地が少ないところへ人数が多いのですから、移住でもしなければ食べていくことが出来なくなるりくつです。

お父さんは開墾する土地を探すため、忠是君を一人おいて旅行に出かけることがたびたびでした。「坊や、お父さんはまた旅行に出かけなければならないんだ。こんどは少し永いんだよ。」忠是君は何とも言はず、たゞ暗い顔をしてぢつと下を向いてゐました。「ね、坊やはいゝ子だからね。」涙がポロポロとほほをこぼれて落ちました。

二十五日がたちました。或日、忠是君が外からかへつて見ますと、部屋の中に、まつ黒い顔をした日本人が立ってゐました。忠是君はふしぎさうにその顔を見つめました。「坊や、どうしたんだい。お父さんだよ。」これを聞くと忠是君は大聲をあげて、お父さんにとびつきました。お父さんもぽろぽろ涙を落としました。

大正十五年七月、やつといゝ土地が見つかつて、お父さんと忠是君と神尾さんといふ人と三人でサンパウロを立ちました。そこは、サンタカタリーナ州のハンザ植民地といふところでした。そこまでいくのには、汽車に乗り、汽船に乗り、河蒸気、乗合自動車、軽便鉄道や馬車で八日もかかりました。

お父さんはそこに百町歩もある土地を買ひました。そこの片はしへ板がこひの家を建てゝ、土地を開きにかゝりました。それから馬を一頭、山羊を十頭、犬を二ひき、鶏二十羽も飼ひました。こゝからは、ものを買ふにも、八里も先の村までいかなければなりません。となり家へでも一里からあります。

忠是君は犬や山羊を友だちにして暮らしました。ときには三尺もあるトカゲが森の中から出て来て、鶏の卵をのんでいくのを見てふるへ上つたこともあります。また、頭とおしりに火をもつた蜂や、トンボのやうな大きな螢がまつ暗な森の中からフワリフワリと出て来るのを見ると、泣きたいやうにさびしい思ひがしました。

ところが、そのうちにうれしい知らせがありました。ドイツにいるお母さんが、いよいよこちらへ来るといふのです。お父さんも忠是君もどんなによろこんだことでせう。一と月も二た月も立ちました。お母さんは病気だといふことでした。また一と月も二た月も立ちました。やはりお母さんは来ませんでした。

そのころからお父さんは少しづゝ元気がなくなりました。昭和二年の二月の或雨上がりの日でした。お父さんはみんながとめるのも聞かずに裏山の大きな木を伐り倒しにかゝりました。そして斧をふりあげたひようしに足がすべつて、伐り株でひどく腰を打ちました。それからお父さんは、おそろしい脊髄病にかゝりました。

二三日して、お父さんは近くの村の病院へいくと言ひ出しました。神尾さんが戸板にのせるからといふのも聞かず、馬に乗つて八里の山道をこえて病院へいきました。そこでも治療のしようがないといふことで、汽車でブルメナウ町の病院へいきました。そしてそこに三日ゐてお父さんはとうとうなくなりました。年は三十七才でした。

忠是君はお父さんのお骨をもつて、神尾さんにつれられて、日本へかへつて来ました。ハンザを立つとき、忠是君は、見送りに来た日本人の一人に向かつて「をじさん、ぼく大きくなったら、また、ハンザ植民地へ来るよ。」と大きな聲で、かう言つたさうです。お母さんもとうとうドイツでなくなつたといふことであります。

by hishikai | 2008-04-04 01:25 | 資料
2008年 04月 02日
文化を受入れるということ
e0130549_0133910.jpg私達は日本人なのだから、日本文化をどのように受入れるのか、などということを考えなければならないとすれば、それは実に馬鹿らしい話だ。しかし今は、その馬鹿らしい話を考えなければならない。戦前と戦後に分けられた価値観を持つ私達日本人にあるのは、そういう馬鹿らしい現状なのだ。

まず無事にすんだ 父はさういつたきりだった 楠公銅像の木型を見せよといふ 陛下の御言葉が伝へられて、美術学校は大騒ぎした。万端の仕度をととのへて 木型はほぐされ運搬され、二重橋内に組み立てられた。父はその主任である。陛下はつかつかと庭に出られ、木型のまわりをまはられた。かぶとの鍬形の剣の楔が一本、打ち忘れられてゐた為に、風のふくたび剣がゆれる。もしそれが落ちたら切腹と 父は決心してゐたとあとできいた。(後略)(高村光太郎/楠公銅像)

こういうものを読んで、まあ、昔はこんなもんだろ、今はちょっとね、などと考えたら、その瞬間あなたの脳みそに仕込まれた戦後という拒絶装置のスイッチが入ったと考えてよい。そしてそのようなあなたは日本文化を決して受入れることができない。

何故といって高村光太郎の父、つまり尊王精神旺盛な高村光雲には日本木彫の最高傑作『老猿』があり、一方であなたがそういう装置を脳みそに入れたままでは、その最高傑作を作者の精神と併せて受入れることができないからだ。それはあなたの日本文化の木彫部門に大きな欠落が出来ることを意味する。

それを補うには高村光雲の『老猿』を芸術作品とか美術作品として受入れるしかない。丁度、国立博物館の陳列棚にあるように、ただの一個の造形物として。だけどそれでは作品の半分だ。作品には時代の精神がある。それはボッティチェリもピカソも同じことだ。作品は造形と精神を併せて見なければ本当じゃない。

『老猿』を支えているのは明治の精神だ。それは内村鑑三が自らの墓碑に刻ませた「われは日本のため 日本は世界のため 世界はキリストのため すべては神のため」の如く、また或いは岡倉天心が世界に茶を知らせて東洋と西洋の融和を説いた如く、日本文化を世界文化たらしめんとした高い理想に満ちた精神だ。

それまでの日本木彫にはない、迫力ある写実を実現したいという高村光雲の気魄も同じ明治の精神だ。それが老猿の見開いた目、噛みしめた口元、荒々しい毛並みを形作っている。そのように作品には精神があり、精神には歴史がある。だから作品を受入れるためには、精神を受入れなければならず、精神を受入れるためには歴史を受入れなければならない。

そして歴史を受入れたその時に、私達は初めて先人の人生と出逢う。それはあたかも成長して初めて親の人生が分るように。そしてまた当然の事ながら、親が亡くなれば親の形見を愛するように、私達は文化を先人の形見として愛する。

また例えば仏像に手を合わせる時に、自分と同じようにかつて幾千万の人々が祈ってきただろうと考える。それと同じように全ての作品と遺物に先人の悲しみと喜びを感じ、そして私達も共に泣き、共に笑う。文化は全てそういうものだ。

by hishikai | 2008-04-02 00:35 | 文化