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2008年 11月 30日
保守的な人
e0130549_74092.jpg私の周辺には人生に保守的な人が多いように思う。人並みに働いているのだから分割でパソコンでも買ってインターネットの少しも見ればいいのにと思うのだが、仕事帰りに馴染みの酒場に立ち寄って気の合う仲間と下らない話をして、やがて千鳥足で家路に着くのが彼らのお気に入りの人生であるらしい。

彼らは海図のない航海に出かけようとは思わないし、もし仕方なく未知の海を行くことを余儀なくされた場合にも、彼らは1メートル進むごとに水深を計ることを無駄だとは思わない。それは他人から見れば臆病であるに過ぎないが、彼らにしてみれば理に適った思慮深さということになる。

もっとも保守的な人の、馴染んだもの、慣れたもの、愛着のあるものに人生の楽しみを見い出そうとする態度を臆病であると言うことは、人が目的に対するとき如何に変化を望もうとも、それを実行する手段に対しては保守的にならざるを得ず、従って生活の広い領域を保守的気質が支えていることを忘れている。

例えば人と道具の関係がある。道具は人の生活に不可欠であるために歴史と共に進歩して、最近では年々歳々から時々刻々へと歩みを早めているが、それでも四六時中新しい道具に買い換えて取扱説明書と睨めっこするよりも、少しばかり型遅れだが慣れた道具を使う方が目的を果たしやすい。

そのため職人は使い慣れた道具を大切にし、弁護士も自分で注釈を書込んだ法律書を書棚に揃えておく方が安心に違いない。そして客は彼らに熟練を期待して仕事を依頼し、彼らは熟練をもって客の依頼に応える。だから仕事が出来ることは道具の扱いに熟練していることだと言っても過言ではない。

これは政治にもあてはまる。政治に期待されるのは安定した統治で目覚しい進歩ではない。政治とは誰かの見た夢を多くの人に押付けることではなく、多くの人の見ている夢が共存できるよう規則を維持することだ。だから政治家は政治の活動に熟練していなければならない。その点で政治は宗教や哲学よりも職人仕事に近い。

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by hishikai | 2008-11-30 07:09 | 憲法・政治哲学
2008年 11月 27日
黒猫
e0130549_14335398.jpg私と暮らしている黒猫は午前四時に二階の寝室の窓の外で鳴く。これは今年の夏頃からで、どうやら彼が縄張りの巡回を終えて屋内へ入らんとする時の意思表示であるらしい。私は最初のうち窓を開けて彼を屋内に招じ入れていたが、一向に終む気配がない上に、午前四時のことであるからいい加減苦痛になってきた。

私の考えでは、およそ動物というものは自身の主体的意思に優先して、習慣によって行動を規定されているものである。そしてこの考えが正しければ、彼の夏以来の行動は既に習慣となっているために、これを終わらせようとするならば、別の習慣を彼に与えてやらなければならない。

そこで私は一つの改革工程を案出した。それは第一段階として、彼が二階の寝室の窓の外で鳴いた時に、私は布団を抜け出し素早く階下へ降り、庭に出て彼を呼ぶ。そして彼が降りてきたところを抱きとめて褒めてやり、階下に設置した猫ドアから屋内に入れる。これにより彼に巡回後には庭に戻る習慣が与えられる。

然る後に第二段階として、庭にいる彼に対して私は庭に出ることなく猫ドアの屋内側に位置し、ここに口を近付けて猫ドアの扉を半ば開けたまま彼を呼んで屋内へと招じ入れる。これにより彼には縄張りの巡回を終えて庭に戻り、なおかつ階下の猫ドアから屋内へ入るという、別の習慣が与えられるというものである。

次の朝、これを実行に移す。彼が二階の寝室の窓の外で鳴く。すると私は布団を抜け出し、とぼとぼと庭に出る。二階の屋根で彼が「ニャアニャア」と鳴く。私が庭から「おいでおいで」と呼ぶ。すると彼はどたどたと庭に降りて来て走り回る。これを何とか捕らえ、嫌がるのを無理矢理に猫ドアから屋内へと押し込む。

こうして数日が過ぎた。そして今朝、彼は窓の外で鳴くのを止め私の布団で寝ていた。理由は「寒い」ためであるらしい。彼は習慣ではなく主体的意思で行動を決定していた。してみると、ここ数日来早朝の「ニャアニャア」と「おいでおいで」は彼には愉快な遊びであったに違いない。やがて寒さが緩み、彼は巡回へと出掛けた。

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by hishikai | 2008-11-27 14:41 | 日常
2008年 11月 25日
三島由紀夫と現在の距離
e0130549_1804171.jpg例えば橋川文三は著作『美の論理と政治の論理』で三島由紀夫の思想を政治思想史上の一般的知識に照らして非論理的かつ非現実的であると言っているが、それが当面の三島由紀夫の思想に対する批判として成立することが間違いないとしても、少なくとも現在の時点でそれを言うことに然したる意味はない。

むしろ問題なのは三島由紀夫の存在が年々遠退いていくということで、例えば三島由紀夫と夏目漱石とはその没年で五十年近い隔たりがあるにも拘らず、その遠近は最早五十年の実感を待たずに急速な速さで歴史に埋没していくように感じられるということである。

そのことは偏に現在の日本人が三島由紀夫の思想の正否を問う以前に、その前提であるところの政治的と非政治的との対立を理解できなくなっていることに因っていて、それは言うならば人間世界全体に対して統治は特殊で限定的な活動であるが故に、政治は人間の全てを覆い得ないという確固たる信念の消滅である。

年金制度の崩壊をすなわち国民生活の崩壊と考え、従って政府に人生を預けても何ら違和感を感じない人々が圧倒的多数を占める現状は、三島由紀夫が生前に言った「弱者の論理」を国民自らが極限まで推し進めた結果であるが、それに対する批判はこの場合、西欧的市民意識の欠如などということから言われるものではない。

それは幕末の国学者達が政治権力への恭順の根拠を、単に非政治的な神意の道具であると理由付けることで、却って政治は人間の全てを覆い得ないという認識を獲得し、それが平田派の政治に対する非政治的反逆へと結実するという先人達の自立した思考と、現在の人々の依存した思考との比較から言われるものである。

日本人の政治への依存は先天的な性向ではなく、明治政府と戦後民主主義による後天的な馴致の結果である。そしてこれに唯々諾々と従ってきた現在の人々は、政治に対する非政治的反逆を訴えた三島由紀夫の思想的前提を理解できず、これを黙殺し歴史に埋没させてしまう。それが三島由紀夫と現在の絶望的な距離となっている。

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by hishikai | 2008-11-25 18:27 | 文化
2008年 11月 24日
アルフォンス・ドーデの作品
e0130549_2338540.jpgアルフォンス・ドーデは1840年、フランスのニームに生まれる。十六才の時に父の経営する絹織物工場が倒産し大学進学を断念、十八才でパリへ出て文学者を志す。そして1868年に自伝的小説『ちびくん』を、翌年にプロバンス地方の暮しを描いた『風車小屋だより』を発表し作家として認められる。

1870年、普仏戦争が勃発するとドーデもこれに応集する。だが六ヵ月後、戦争はフランスの惨敗に終わり、ナポレオン三世の見かけ倒しの帝国は崩壊する。パリには飢餓が迫りフランスは無政府状態寸前に立ち至る。そして1871年3月26日、パリ民衆がパリを占拠、これを六十二日間守りとおすパリ・コミューンが起こる。

ドーデはこの普仏戦争とパリ・コミューンの体験をもとに一冊の短編集をまとめあげ、1873年に『月曜物語』として発表する。その中の一編『最後の授業』は我国でも1927年から1985年まで教科書に採用され、多くの人々に感銘を与えている。林達夫の終戦の記録にも以下の記述が見られる。

「あの八月十五日の晩、私はドーデの『月曜物語』のなかにある『最後の授業』を読んでそこでまたこんどは嗚咽したことを想い起こす。(中略)日本のアメリカ化は必至のものに思われた。新しき日本とはアメリカ化される日本のことであろう」(新しき幕明き/林達夫)

私達もかつてはアメル先生やフランツ少年だった。それだけにこの物語は、占領という行為を受けた無念が深い同情に転じて登場人物達へ投影されて心に響く。だが私達が彼らを見上げざるを得ないとすれば、それは占領者に対して彼らが自国の文化を守り通そうとしたのに較べて、私達が必ずしもそうではなかったためだ。

またドーデには『フランスの妖精』という作品がある。妖精という聖物を葬った国と民への怨念が、あたかも二二六事件蹶起将校らの魂の独白のように語られている。聖なるものを失った国に聖なる戦いなど出来ようはずもない。そのようなものは全て燃やしてしまえという老婆の言葉は、そのまま私達の堕落を告発している。

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by hishikai | 2008-11-24 00:11 | 文学
2008年 11月 20日
『最後の授業』(アルフォンス・ドーデ作)より要約
e0130549_12564992.jpgその日の朝、僕は走っている。学校に遅刻しそうだ。暖かいよく晴れた日、森でツグミが鳴いている。途中にある小さな掲示板の前に人だかりがしている。広場を通り抜け、学校になっているアメル先生の家の小さな庭に息せき切って飛び込む。けど教室に入るといつもと違って静かだ。もう席についている友だちの顔が見える。

アメル先生は終業式にしか着ない、立派な緑色のフロックコートを着て、細かいひだのある胸飾りを付けている。教室の後ろには、村の人達が生徒と同じように静かに座っている。もとの村長さん、郵便屋さん、それからいろいろな人達。オゼールじいさんは、ぼろぼろになった初等読本を開いている。アメル先生は言う。

「みなさん、私が授業をするのは今日が最後です。ベルリンから命令が来て、アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語以外の言葉を教えてはいけないことになりました。明日、新しい先生が来られます。今日はみなさんにとって最後のフランス語の授業です。どうか一生懸命聞いて下さい」

やがて授業が始まり、僕の名前が呼ばれる。むずかしい動詞の規則を暗唱しなくてはならない。これを大きな声で、はっきりと、一つも間違えずに言うためなら僕はどんなことでもしただろうに。でも僕は自分の席で立ったまま、体を左右にゆするだけで顔をあげることもできない。アメル先生の声がする。

「フランツ、先生は君を怒りはしない。これで君は十分に罰を受けた。私達は毎日こう思う(まだ時間はたっぷりある。明日勉強しよう)とね。その揚句がご覧のとおりだ。先生だって非難されるところがないとはいえない。君達に庭の水撒きをさせたり、鱒を釣りに行きたくなれば簡単に学校をお休みにしたのだから」

そこでアメル先生はフランス語についての話を始める。フランス語は世界で一番美しい、はっきりした、しっかりした言葉であること。だから僕たちでしっかり守り続け、決して忘れてはならないこと。なぜなら民族が奴隷になったとき、国語さえしっかり守っていれば、自分達の牢獄の鍵を握っているようなものなのだから。

それから先生は文法の本を読み始める。そして習字、お手本には「フランス、アルザス、フランス、アルザス」と書いてある。聞こえるのは紙を走るペンの音だけだ。庭のクルミの木は大きくなり、先生が植えたホップは窓から屋根まで花飾りを付けている。発音の練習ではオゼールじいさんの声も聞こえる。震えている。

そのとき、教会の大時計が正午を告げ、そして窓の下にプロシア兵のラッパが鳴り響く。アメル先生は、はっとして立ち上り何かを言おうとする。

「みなさん⋯私は⋯私は⋯」

だけど何かが先生の咽をつまらせて、先生はそこまでしか言えない。先生は黒板の方を向くとチョークを一本取り、全身の力を込めて大きな字でこう書いた。

フランス万歳!


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by hishikai | 2008-11-20 13:08 | 資料
2008年 11月 18日
『フランスの妖精』(アルフォンス・ドーデ作)より要約
e0130549_18171345.jpg「被告人は立ちなさい」

裁判長の声が響き渡ると、一人の老婆がふるえながら出てきて前の冊にもたれ掛かる。穴のあいたぼろ布をまとっている。血の気のない、日焼けした、しわだらけの顔をしている。パリ・コミューンの騒乱に乗じた石油放火犯の女達が腰掛けている席の辺りがざわついている。

「名前は」
「メリジューヌです」
「年は」
「いくつだか、もうわかりません」
「職業は」
「妖精です」

傍聴人も、弁護人も、政府委員も、皆が一斉に笑う。しかしメリジューヌは、落着いて言葉を継ぐ。

「フランスの妖精はみんな死んでしまいました。私が最後です。妖精はこの国の詩であり、純真さでした。妖精達がいた頃のフランスは美しかった。泉の石、古いお城のやぐら、池の霧の中には私達がいて、何か不思議な力が立ちこめていました。人々は信仰を守り、私達は信仰の中に生きていました。

けれども時代が進んで鉄道が敷かれると、池は埋め立てられ、森は切り拓かれ、私達は居るところを失いました。人々は信仰を棄て、私達は生きるすべを失いました。しばらくの間は、枯木の束を引き摺ったり、落ち穂拾いをしていましたが、やがてみんな死んでしまいました。そしてフランスは報いを受けたのです。

皆さん、どうぞお笑いなさい。でも私は妖精のいなくなった国がどんなものか、この眼で見てきたんです。満腹の腹を抱えて、人をあざけり笑っている人々が、プロシア兵にパンを売って、道まで教えてやるのを見てきたんです。そう、人々は妖精を信じなくなったけれども、それより祖国を信じなくなったんです。

もし私達がいたならプロシア兵を一人として生きて還えさなかった。魔物を遣って彼らを追い立て、その逃げ込んだ森の中の刺草をもつれさせて混乱させることができたのに。戦場で死にかけているフランス兵の、半ば閉じられた目に屈み込んで、故郷の懐かしい景色や人々を思い出させてあげられたのに。聖なる戦いはこうやってしなければならないのに。だけど妖精を信じなくなり、妖精のいなくなった国では、こういう戦いはできないんです」

ここで彼女の声はしばらく途切れ、裁判長が質問する。

「これまであなたの言ったことは、あなたが捕まったときに持っていた石油で、何をしようとしたかには触れていないようだが」

「私があの石油でパリに火をつけたんです。パリが嫌いですから。パリは何でも笑い者にするし、私達を殺したのもパリですから。私はあなた方のパリが燃えるのを見て嬉しかった。そうですとも、放火した女達の缶に石油をなみなみと入れたのは私です。そしてこう言ってあげたんです。『さあ、なにもかも燃しておしまい⋯』って」

傍聴席から浴びせられる罵声の中、裁判長が言う。

「連れていくんだ」

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by hishikai | 2008-11-18 18:23 | 資料
2008年 11月 13日
歴史の諸相
e0130549_1211015.jpg過去は存在しない。私達にあるのは常に現在で、過去は現在を証拠として理解された結果である。食べ残しの皿に食事をした人間を想像し、開け放たれたままの扉に起きた事態を推測する。この理解の連続が歴史を構成し、その諸相は私達の過去への態度で決定される。それは同時にこの世界に対する私達の態度の表明でもある。

私達に提示された歴史の最も古い形は神話である。そこには時代と場所とを特定されないイメージがある。それらはときに英雄であり姫君である。正義は剣となり邪悪はドラゴンとなる。善き必然は神々となり悪しき必然は悪魔である。それらが絵画となり詩となるのは、観察よりは印象への重視が芸術と共通するからである。

やがて私達が科学を知ると、歴史も科学の手法で理解される。原因と結果は一般的で必然的な関係を指示するために、これから生起すべき事象の前兆であると考えられる。仮説が立てられ、これを証明するための推測が繰返される。それらが指示書となり演説となるのは、観察よりは説得への重視が政治と共通するからである。

そして歴史にはもう一つの形がある。それは神話としての歴史と同じように古く、科学としての歴史よりも人々を説得する。それが訓話としての歴史である。その関心は私達の生きている現在との関係において過去を組織化し理解することである。そこでは何が望ましく何が望ましくないかに関する信念が常に述べられる。

だがこれは歴史を後ろから読んでいる。これを主張する人間に都合の良い過去を、現在から遡って見つけ出してくる。訓話によって構築された世界は、過去からのメッセージを受取ることだけを望んでいる。それはあらかじめ言うように仕込まれた教訓を、過去の権威をもって、そして過去に憑依して繰返す降霊術である。

もし私達がそれら以外の歴史の形を探ろうとするならば、私達は現在を証拠として過去を理解しながらも、同時に過去を現在から解放しなければならない。そのとき歴史の語法から「悲惨な戦争」や「非業の死」という価値評価の言葉は姿を消す。歴史の人物はそれまで生きなかった誰かで、これからも生きない誰かとなる。

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by hishikai | 2008-11-13 12:41 | 憲法・政治哲学
2008年 11月 11日
袋小路の設問
SORA様、こんにちは。先ず最初に返事が遅れましたこと、お詫び申し上げます。ここ数日所用がありました。さて、私が貴稿『ソフトバンク孫正義氏にみるグローバリズム』に寄せました拙い批判に『グローバリズムと日本の伝統』で丁寧にお応え頂き、ありがとうございます。

そこでSORA様は、日本人の伝統というものを「質実倹素な生き方、暮らし方」であるとし、これを倫理として「孫正義氏の一千万円携帯電話端末プレゼント」という行為にあてた場合には、その行為は倫理的に「低い」と述べられています。この点は私も理解します。彼の行為は尊敬されるべきではありません。

(まあ、上戸彩氏につきましては最近のデコラティブな流行も考慮すべきかと思います。いや、別に贔屓をするのではありませんが⋯)

イエスの価値観は私には解りかねますが引用された箇所の厳しさは、これを我身に顧みて慄然とします。確かに「悪」を行ったことにはならないでしょうが、やはり当人はショックでしょうね。人間世界には、政治的なあるいは法的な「有徳/不徳」を超えた倫理があり、これが指し示す彼方に絶対的な「善/悪」があるだろうことをうかがわせます。私は高校がカソリック校でしたので、神父様がこういう雰囲気でやんわりと諭すの経験があります。結構こたえるんですよ、これが。

もう一つお詫びしなければならないのは、私の文章が下手なために、批判の意図が少しずれて受取られた印象があるということです。誠に申し訳ありません。ですから以下にもう少し明確に書きたいと思います。

これは私の想像ですが、キリスト教世界では政治的なあるいは法的な「有徳/不徳」を侵したとしても、例えばカルヴァンの予定説のような考え方からすれば、人間倫理の最終的な課題は絶対者に預けておくことができるので、これが必ずしも「善/悪」を侵したことにはならないのではないでしょうか。神はエレミアが生まれる前からエレミアを知っていたのですから。

それに対し我国の人が想定する世界は謂わば「世間」ですから、人間倫理の最終的な課題は、人々がこれを預け置くところを知らず、世間知でもって自身なり共同体なりで解決に努めねばなりません。ですから自然、政治的あるいは法的な「有徳/不徳」は「善/悪」を兼ねて混同されがちであるように私には感じられます。

このような「世間」がグローバリズムと出逢うと、どのような反応を示すのか。ここにグローバリズムの持つ負の側面であるところの格差の拡大等を、政治的な「有徳/不徳」の問題と認識しながらも、同時にそれよりも強い印象をもって「善/悪」の問題と見なす思考が成立するのではないでしょうか。

それはかつて日露戦勝から大正を経て昭和初頭にかけて、日本人が近代を西欧化によって強国となったことによる「善」の側面と、それが伝統的価値の破壊を招くという「悪」の側面に分離して捉えながらも、現実としてはそれらが一体不可分であるディレンマの中で懊悩した事態と酷似しているように思います。つまり西欧化の不可避と伝統文化防衛を同じテーブルに乗せたところに生ずるディレンマです。

しかしその懊悩が結論を得ることなく『米国恐るるに足らず』という言論にとって代わられ、やがて真珠湾攻撃に快哉を叫ぶに至り、日本人は自らに課した自問を放棄したのでありましょう。しかしそのことは同時に日本人の近代に対する設問そのものが、最初から袋小路の構造を持っていた可能性をも示唆しているように思われます。

そのような中で貴稿『ソフトバンク孫正義氏にみるグローバリズム』に接したとき、そこに「アメリカ・グローバリズムの申し子竹中平蔵氏」や「堀江貴文氏などは、伝統的な日本の文化、価値観から外れたアメリカグローバリズムの悪しき申し子」の言辞を発見し、そこに私はまたかつての袋小路を見たのです。

「何か他の理路はないのか」それが私の感想でした。そこで私は、グローバリゼーションが歴史的な相互依存のネットワークでアメリカ発ではないこと、全体の状況と伝統の縮約との優先順位を言い、この衝突を避ける理路を提示しようとしたのです。それが迎合的であるかと言えば、あるいはそのとおりかも知れません。

しかしながら敗戦以来の私達は「アメリカが」と言った途端に、西欧と非西欧の間の袋小路に入ってしまうように私には思われます。現在のグローバリゼーションと、それを推進しようとするグローバリズムは不可避のことで、私達は今その岐路に立っているのかも知れません。

であるならば私達は近代化以来ずっと自問してきた袋小路の設問に換えて、そろそろ出口の見える設問の仕方を発見しても良いのではないのか、そのためには何かしらの「選択」が必要なのではないのか、それとも私達は永遠に近代化のディレンマをアメリカへの憤激のうちに解消しなければならないのか、そのようなことをSORA様にお聞きしたかったというのが私の批判の真意です。

追記

私の言う「全体の状況」は社会全体の状況です。しかしその社会は「世間」に代表される実体化され、存在することが信じられてきた、人肌の温もりのある有機体ではなく、F・ハイエクの言うように、諸個人が目的を追求する行為の重なりの中から姿を現し、なおかつ諸個人の意思とは必ずしも合致することなく形成される秩序であることを指しています。

「伝統の縮約である諸基準」は社会形成の後から、慣習の時間的積み重ねである伝統の中から人間が縮約して作り出した倫理的価値の標識で、諸個人の行為が時々刻々止まらないために、これも常に変化を余儀なくされると考えています。

by hishikai | 2008-11-11 20:56 | 文化
2008年 11月 08日
古代のごちそう
e0130549_15224180.jpgポンペイにある葡萄酒商人の邸宅の食堂。正面に祭壇と思しき遺物が見える。古代ローマの人々はあらゆる家庭に農園と家を護る神ラレスと、貯蔵場の神ペナテスが棲むと信じていた。そして食事の時には、この二神を左右にして中央に家族の守護神を配した祭壇で少量の食物を燃やしたという。

いま見えている食堂の祭壇も上部がアーチ状になった壁の窪みに納められていて、そのアーチの内部が煤けたように黒くなっているのだから、あるいはその儀式に用いたのかも知れない。祭壇の正面には神殿で見かける聖なる蛇のモチーフが刻まれているようにも見える。その上のレリーフは家族の守護神だろうか。

周囲の壁には深い青を地として神話に登場する神々と動物が描かれている。祭壇の手前、部屋の中央には泉水がしつらえてあり、オリーブの紋様を彫刻した噴水筒が立っている。客はその周囲に座を占め、部屋の片隅で演奏される音楽を聞きながら食事を摂る。

古代ローマの社交生活で饗宴は最も重要な行事である。招待客のリストは三人から九人までの人数になるようにつくられ、それは「グレースよりも多く、ミューズよりは少なく」と言い表わされている。グレースは美と魅力と幸福を与える三人姉妹の女神、ミューズは学芸と詩と音楽を司る九人姉妹の女神である。

客は靴を脱ぎ、ゆったりとした臥台に左ひじをついて横たわる。部屋は多くの花々で飾られている。花の香りはランプ油の匂いを消し、葡萄酒の酔いを覚ます。音楽家が左手でキタラという楽器を弾き、右手でハープを奏でている。やがて食事が移動式のテーブルに乗せられ運ばれてくる。今夜のメニューは何だろうか。

前菜

クラゲとタマゴ
塩漬けのウニを詰めた雌ブタの乳房
ミルクとタマゴで煮た脳みその鉢物
キノコ煮 コショウ入り魚油ソース添え
ウニ、薬味、蜂蜜、油、タマゴのソース添え

メインコース

シカの蒸し焼き オニオンソース、イェリコ産のナツメ、干しブドウ、油、蜂蜜添え
ダチョウの煮物 スイートソース添え
ヤマバトの丸煮
オウムの蒸し焼き
ブタ肉とマツの実を詰めたヤマネ
イチジクと月桂樹の葉を煮込み、蜂蜜をかけ、パン粉をつけて焼いたハム
ベニヅルとナツメヤシの煮込み

デザート

薔薇を小麦粉でまぶしたフリカッセ
蜂蜜で揚げ、クルミとマツの実を詰めた種なしナツメ
アフリカのスイートワインのホットケーキ、蜂蜜添え

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by hishikai | 2008-11-08 15:24 | 文化
2008年 11月 06日
平板な理解
e0130549_13244877.jpg国家にはタブーがある。そのことは近代国家が古代からの共同体を乗越えたところに成立し、立憲主義や民主主義といった普遍的な概念を基礎とした統治体であるにもかかわらず、事実としてはそれを構成する人間の意識が個別的な歴史の影響下で形成され、これを修正するに極めて困難であることを物語っている。

我国でのタブーは戦前的価値の復権だと思われがちだが、それならばドイツのように特定思想の復権にだけ注意を払っていれば済むことである。だがそうではなく、平和という単語にさえ人類普遍の理想というニュアンスを込める我国の言論状況が示しているのは、そのタブーが武力の一般化だということである。

このことはドイツにおけるニュルンベルク裁判が主として国家社会主義ドイツ労働者党員によるホロコーストの犯罪性を印象付けたのに対し、我国における極東軍事裁判が日本の国家行為全般を犯罪として扱ったために、そこに含まれた武力行使までもが犯罪行為であったかのような認識が日本国民の間に生じたことによる。

一方で憲法が共通して持っている構造として、権力分立制度や議会制度など時間的変遷の影響を受けにくい事柄を規律対象とするのに対し、経済体制の選択、外交、軍事といった時間的変遷の影響を受けやすい事柄を基本的に開放しておくというものがあり、これが国民生活と安全保障に対する現実的な措置となっている。これは統治と軍隊の関係の外堀である。

しかしまた非公選部門でありながら情報と権限を蓄積する行政を、民主的に制御することが議院内閣制の歴史的課題であったがために、軍事部門に対しても正規軍の予算や編成等に関する議会の審議承認権を明文化して規定することで、これを制御するシヴィリアンコントロールと呼ばれる法制度が適用される。これが統治と軍隊の関係の内堀である。

だが、いかに行政を民主的に制御するための法制度とはいえ、軍隊が他の官僚団以上に専門知識と装置を抱える機能集団で、また国家の正規軍が武力を互いに行使しあう戦争状態は、一般的な行政活動を超えているのが現実である。したがって議会が軍隊を行政と見なして制御することは常に原理的な不整合を含んでいる。これが統治と軍隊の関係の本丸である。

しかし極東軍事裁判の影響により武力の一般化をタブー視する日本国民は、自衛官と行政官僚とを単に同質と見なすことが平和維持に寄与すると素朴にも信じて疑わない。この歴史的なトラウマによる平板な理解を利用し、今回の田母神空幕長の件を平和国家への造反としてシヴィリアンコントロールの侵害を言い募る人々がある。

彼らはその頭脳の中に統治と軍隊の微妙で多重層的な関係に対して平板な理解しか持ち合わせていないか、あるいは日本国民の理解を平板なままに留め置こうとする意図のあることを露呈している。このことは浜田靖一防衛相を始めとする政府関係者もまた同類で、彼らこそまさに日本の安全保障を危殆に瀕せしめている張本人達である。

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by hishikai | 2008-11-06 03:18 | 憲法・政治哲学