<   2009年 04月 ( 13 )   > この月の画像一覧

2009年 04月 03日
『よしわら』より 運河
e0130549_051288.jpg運河 M店にて みよ子

身の上ばなしなどということを私は好まない。はなしをすることによつて現在の私自身には何の変化もないからである。

しかも、このような運河の流れのまにまに流されてゆく女になつたわたしに、身の上ばなしなどということは、あまりにも意味がないからである。私のまわりの、誰彼がもつているありきたりの過去が、現在のわたくしの過去でもある。

私の魂は、悲しんだり、怒つたりすることを、ここ幾月かの間やめてきた。そしてその忘れられた魂に、もう一つの上ぬりした別の魂が、ここで生まれたのである。そうしなければ、ここでは生きてゆけないからだ。

「大学を出たんだつてね」

ある客が、そう言つて、私の前に、英語の詩集をおいた。それは、一生涯かかつて、愛する人をもとめてさすろう、あまりにもいたいたしい純情な女の姿をかいた長い叙情詩であつた。エヴァン・ジュリン──その詩を見た時、忘れていた魂が、鈍い痛みでわたくしの現在をおしのけようとしていた。

私の「忘れようとしていた魂」が、その詩をそらんじた。おそらく、この男達にとつてその時の私は、手品をつかう女奇術師に見えていたかもしれないのだ。わたしは彼等の目の中にそれを見た。吉原の女が、原書の英詩を読む──というマジックにひとしい手ぎわは、彼等の好奇心を充分に満足させた。

思わず二、三行読んで、私は何時もの私にかえつた。私はひそかに笑つた。英詩を読む──それがいつたい今の私にとつてなんであろう。今となつては、それはかくし芸のひとつであるにすぎないのだ。

(よしわら/大河内昌子 編)

by hishikai | 2009-04-03 00:54 | 資料
2009年 04月 02日
『よしわら』より えらい人
e0130549_2382713.jpgえらい人 京一 路子

菊花のバッジをつけた偉い婦人が
私達を前に話している

一人の婦人はこう言つた
「私にもあなた方と同じ年頃の娘がいます、それを考えると胸がつぶれそうです」

白いお揃いのかつぽう着をきて
みんな一生けんめいに話をきいた
そっと隣の、のりちゃんを見たら
鼻の頭は汗でぶつぶつだつた

一人の婦人はこう言つた
「でも皆さんは若くてお美しい 心の中まで汚さずがんばつてね」

みんなうつむいてしまつた
私たちはちつともお美しくなんかない
心が汚れるつてどういうことかしら

「みなさんはちつとも悪くないのです みなさんをほつとく政治が悪いのです」

それから悪い政治の話を聞いた

──法 ──法 ──法

そうすればみんな救われて
社会は明るくなるのです、と

政治つて一体なんだろう

私は
もう四時をすぎてしまつたし
店から迎えがこないかと思つて
ひやひやしてしまつた

(よしわら/大河内昌子 編)

by hishikai | 2009-04-02 02:50 | 資料
2009年 04月 01日
『よしわら』より 佛だん
e0130549_150232.jpg佛だん S店 澄子

わたしの四畳半のへや──。床の間には、菊の花がいけてあり ちがい棚にはガラスのケースの中に はなやかな人形もかざられてありますのに なんだかわたしには、もの足りないのです

スーパーも、時には、にぎやかになりたてて さびしいはずもないのですが── やつぱりわたしはさびしくてなりません それは わたしの小さなねがいが果たされないからです

さまざまの苦しみにたえてきたわたしという女のあしあとが この部屋で消え去り わたしのいじけた、しぼんだ心が あきらめといつしよにふくれあがつたとき わたしはねがうようになつたのです

この色とりどりの部屋のどこかに わたしの父母たちの位はいをかざりたいと。 古びて、すみの色もにじんだおいはいですが わたしにとつてはなつかしい親たちなのです

「とんでもない。ブツダンなんて── そりアね こおいう部屋にかざつておくもんじアないよ」 おばさんは、いいました 「そりアねあんたの心の中にかざつておくもんだよ そつとね」と。

わたしは心の中に、おいはいをもつているのは重くて仕方がありません。 わたしの心の中だけではとても ささえきれません この部屋の誰の目にふれないところ 押入れの片すみでもいい。 

この古びた父母の位はいを かざつてみたいのです ひそかにささげた線香のにおいが この部屋にただよう日のことを わたしは思つてみるのです。

(よしわら/大河内昌子 編)

by hishikai | 2009-04-01 15:02 | 資料