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2009年 09月 28日
基本的なこと
e0130549_13171376.jpg政治思想と国家について基本的なことを書く。ただし以下のことは極端に単純化してあるために正確さを欠いており、またすべての事柄に当てはまるわけでもない。また私の選好は英米思想の側にある。そのことは予めことわっておく。

政党を分ける基本中の基本は、その掲げる理念がイギリスのコモン・ローからアメリカ建国へと連なる英米式であるか、フランス革命から共産党ソヴィエトへと連なる大陸式であるかの違いにある。

英米式は人間を歴史的存在と見る(国民の権利)そのため一世代の投票を絶対視しない(法の支配・墓石にも投票権を・保守主義)また人間の知性を信頼しないために歴史の生成物であるマーケットを重視し(自由主義)政府による富の再分配を拒否する(小さな政府)。

大陸式は人間を人格的存在と見る(人権)そのため一世代の投票を絶対視する(人の支配・人民の望むことは正しい・啓蒙主義)また人間の知性を信頼するために人間の構築物である計画経済を重視し(設計主義)政府による富の再分配を奨励する(大きな政府)。

我国では小泉純一郎・竹中平蔵から河野太郎へのラインが英米式で、民主党左派から社民党・共産党が大陸式である。民主党右派と自民党主流は双方を折衷している。

これらは確かに西洋流の考え方だが、結局のところ近代国家が西洋人の発明である以上、私たち日本人もこうした考え方によって政党を判断しなければ明確な色分けができず、ひいては二大政党制も実現しない。

一方で、言語や文化による共同体と近代国家とはイコールではない。近代国家は共同体を乗り越えて出現してきたもので、共同体は戦前においても社稷と呼ばれ国家と峻別されてきた。例えば農本主義者である権藤成卿は次のように述べている。

「自然の風俗が出来、其の風俗が一歩を進めて社稷を成し、其社稷が国の基礎となり、漸(すす)んで制度組織の必要が起」こる。つまり「天化自然の社稷を土台として、その国が建設されたものである。そこで国家の政体組織は幾回変化しても、社稷は決して動かぬ」(権藤成卿/『自治民範』)

国家は社稷集団が統治と自己防衛の必要からとる人為的・相対的・便宜的な組織であり機構である。したがって私たちが政体を選択する場合でも、現実的な判断から採用し、あるいは捨てなければならない。ある意味、冷淡にこれを眺めなければならない。

『老人たちの顔』L・ダ・ヴィンチ 1490年ごろ 人間個々の性格の違いと、その奥に潜む本性が巧みに捉えられている。政治思想の違いとは、結局のところ「人間とは何か」という問いへの答えの違いである。

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by hishikai | 2009-09-28 13:25 | 憲法・政治哲学
2009年 09月 24日
猫可愛がり
e0130549_1105472.jpg猫はすこぶる技巧的で表情に複雑味があり、甘えかゝるにも舐めたり、頬ずりしたり、時にツンとすねてみたりして、緩急自在頗る魅惑的です。しかも誰かそばに一人でもいると、素知らぬ顔をしてすまし返つてゐる。そして愛してくれる対手と二人きりになつた時、はじめて一切を忘れて媚びてくる───媚態の限りを尽くして甘えかゝつてくる、と云った風でなかなか面白い。(谷崎潤一郎/『ねこ』)

氏には氏の趣味があり、人に迷惑をかけない限りそれは良しとせねばならないわけだが、そういった意味では私には私の趣味があるのだから、その方面から勝手を云わせていただければ、上の文章に視られる谷崎潤一郎氏の趣味はいただけない。

「高嶺の花」という言葉があるように、美とはおよそ触るべからざる処に在り、触るべからざるを憧れをもって仰ぎ見る処に在る。してみると美とは憧れの結晶である。それは手に入れてしまえば終わるもので、これは猫という動物の美についても同じである。

その点で猫飼いという人種は往々にして猫可愛がりをするもので「おーヨチヨチ、いい子でちゅねー」などと幼児語を使用するに至っては美を甚だしく毀損した醜態の中の醜態であって、まして一端の男子がこれを行うなどはあるべきでない。

もっとも谷崎氏はそうとまで書いていないので、あまり先回りする必要はないのかも知れないが、仮令そうでも人前では素知らぬ振りをしながら、内々に入ると媚態の限りを尽くすなど破廉恥である。そのような陰日向が氏の美意識を深く退廃させている。

私と黒猫の関係はさにあらず。私が廊下を行くと、彼は簞笥の上に寝に行くのか知らないがともかくも向こうから歩いてくる。そこで二人はすれ違う───刹那「あゝ甘やかしたいvs.甘えたい」という情念が交錯するも、グッと抑えてそのまま何事もなく行き過ぎる。

『黒き猫』菱田春草 1910年(部分拡大)

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by hishikai | 2009-09-24 11:23 | 日常
2009年 09月 23日
美しい文体
e0130549_12105970.jpg私は文章を読むより、文体の愛玩を好む。自分の意に叶わぬ文章でも文体が美しければ二度も三度も読み返すことがあり、また内容の立派な文章でも文体が気に入らねば、すぐに放り出してしまう。そういうわけで、内容についての記憶は希薄であるから困る。

近頃愛玩した文体では幸田文のものが美しく、芯のある語り口を基調としながら、それでいて女性らしいふわりとした柔らかさが表面を覆い、そのことで頼もしい色気といったものが漂う。あたかも年増の装う銀鼠の鮫小紋といった風情がある。引用する。

夕立。暗くなったとみるまに、ぽつりとくる。あとは早い。どおっと降る。たちまち往来に人がいなくなって、雨と雨の音だけになる。いきなり光って、鳴る。こうなってはおそれおおくて、御通過を待つ間しばしは、縮んでいるよりほかない。だが、むしむししてかなわない。二階から雨戸を細目に、みていた。雨はまだ白くしぶいて大降りだし、道は川になって流れている。蛇の目のひとが、たった一人でくる。顔は傘でみえないが、まだ若い。紺地に白く竹を抜いた、大模様の浴衣だからである。片手で裾をからげあげ、下着の水色が急ぎ足にからむ。その足、つま皮をかけない男ものの下駄をはいていた。男ものの下駄を──法界悋気のおきるほど、その男下駄にいろけがみえた。(幸田文/『ゆうだち』)

句点の使い方が絶妙で、短く切られた文節が演劇的でさえある。「雨戸を細目に、みていた」と、突然現れる過去形から一転して続く現在形は視覚をズームアップし、これが再び「男ものの下駄をはいていた」の過去形で二階の小暗い部屋に引き取られる。実に巧い。

佐藤春夫は日本語の文体を省略や飛躍を生命とするために、読者と作者による協力的進捗と心読を要求する貴族的なものだと云ったが、してみると三島由紀夫などは独りで喋り過ぎるし、谷崎潤一郎は名人芸が過ぎて恐れ入る。そこへいくと幸田文は加減を心得ている。

名所江戸百景『大はしあたけの夕立』歌川広重 19世紀

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by hishikai | 2009-09-23 12:01 | 文学
2009年 09月 22日
個人、制度、社会
e0130549_125184.jpg本来の意味で制度とは、ある世代の国民が投票で選んだり、それによって選ばれた代表者が議会で決めた仕組みを指すのではなく、長い時間をかけて各世代の人々が生活の中で無限の調整を加えながら受継ぎ、反復してきたパターンを指す。

例えば出会った人に頭を下げる身体の動きが「挨拶」として了解される、というような一見何気ないパターンによって私たちは相手の行動を予測し評定する。このような制度としてのパターンの無数の連続が人間の集団に骨組みを与えることで社会は形作られてきた。

したがって社会は途方もなく複雑である。私たちの知性はその細部と、それら細部が互いに結節している本当の様子を把握することができない。限られた知性は時間と多数の人手による仕事を的確に理解することはできず、またそれに十分備えることもできない。

あるいは私たち個人にしても過去の人々が実際の生活から編んできた制度に接し、その制度で形作られてきた社会の中に暮らすことによって、生まれたときの生物としての人間から、家庭を経て社会的な人間へと成長し、これがさらに風土に影響されるために多様である。

これらの考えは、二つのことを私たちに教えている。一つは私たち個々人はもちろんのこと、どのように聡明な思想家であれ政治家であれ、長く受継がれてきた制度を批判し、改革を提案するにあたっては極めて慎重に考慮しなければならないということ。

もう一つは制度により形作られた社会に暮らすことで、生物としての人間から社会的な人間へと成長してきた私たちに与えられるべき権利は、人権というような非社会的な権利ではなく、特定の社会的歴史的枠組みの中で発展してきた国民の権利なのだということである。

この二つことは、私たちが政府による制度設計を評価する上でも欠かすことができない。例えば国民皆年金制度や子供手当などにみられる政府による人為的な富の再分配はどうであろう。はたして当局者が社会の細部までをも把握し、実効をあげることは可能であろうか。

例えば永住外国人への地方参政権を認めようとする制度改革はどうであろう。確かに彼らは我国に住み納税しているかも知れない。しかし彼らが恩恵を受けている社会は誰が作ったものであろうか。考えられるべきは人権であろうか、それとも国民の権利であろうか。

暑かった季節もようやく終わろうとしている。とはいえ、去り往くものは惜しまれる。


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by hishikai | 2009-09-22 12:19 | 憲法・政治哲学
2009年 09月 20日
保守主義者たちよ、制度を語れ。
e0130549_2017817.jpg自由論は、ふたつの学問分野で展開されてきただけに、その論法・捉え方はそれぞれ特有である。ひとつが道徳哲学上の自由論であり、これは人間にとって自由がいかなる道徳的価値を持っているかを論ずるものをいう。(中略)他のひとつが政治哲学上の自由論であり、これは、いかなる政治体制であれば人が自由でいられるかを問うものである。この区別は、既にG.ヘーゲルがカントを批判するさいに──政治制度を語らないカントの自由論は超越論だと──なしたところであったが、多くの人の気づくに至ったのは比較的最近のことである。(阪本昌成/『法の支配』)

この文章は「制度を語る」という根本的な問題を私たちに提起している。ある理念についての道徳的あるいは社会的な価値を考えたのならば、次には国の制度として、それがどのような形で実現されるべきかを考えねばならない。

折しも9月18日に開催された自民党総裁選挙の候補者所見発表演説会において、西村康稔、河野太郎、谷垣禎一の三氏が各々の所見を述べた。三氏はいずれも自由民主党を保守政党と定義したが「小さな政府」という明確な制度を示したのは河野氏ただひとりであった。

西村氏は適材適所の人材配置と老壮青の持つ力を結集しようと呼びかけ、谷垣氏は保守主義の原点は皆で支え合う絆の精神であり簡明に言うならば「みんなでやろうぜ」ということであると訴えたが、ついに両者は制度論へと踏み込まなかった。

一体何であろう。政党人が制度を語らずにその存在意義を確認できるであろうか。ある理念を語り、ある理想を語って人間が結集するのであれば、それは謂わば精神修養塾のようなもので、政権獲得を目指す政党ではない。

政党ばかりではない。保守主義者一般が制度を語らないことも問題である。憲法の構造、政府の規模、経済体制、地方自治、福祉制度などを保守主義の言葉で紡ぎ出し、保守主義の観点からどうあるべきかを表明しなければ、保守主義はその輪郭を茫洋とさせたままである。

日本民族の美点を語るのも結構、戦前の偉人の功績を語ることも結構、日本文化の如何に美しいかを語ることも結構、それらは真に善いことである。しかしながら、それと同時に制度を語ろうではないか。──制度を語らない保守主義は超越論──でしかないのだから。

『鑑真和上東征絵伝』 蘇州黄泅浦から遣唐使の船に分乗する一行 13世紀作 留学生たちが命懸けで伝えたものは仏教や文物だけではなく、制度もその重要な一つであった。

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by hishikai | 2009-09-20 20:30 | 憲法・政治哲学
2009年 09月 19日
保守主義者の思違い
e0130549_1411773.jpg「市場原理主義」とは誰の言葉であろうか。少なくとも私がこれまで読んできた本の中には──例えばそれが、A・スミスであるにせよ、F・ハイエクであるにせよ、M・フリードマンであるにせよ──ただの一言半句もこれを見出すことができない。

それでも世に高名な評論家連がこの言葉を書き、賢明なる日本国民の負託を請けた議員連が口にするのだから、この出典を知らないことは私の浅学の結果であるに違いない。しかしながら印象として市場原理主義は便利な俗語として日本人と歩みを共にしてきた感がある。

かつて小泉・竹中改革の頃に反対者たちの怨み節であったその言葉が、福田内閣では生活者への慰撫となり、安倍内閣では保守回帰への宣言となり、リーマン・ショックではグローバリズムへの罵声となり、鳩山論文に至っては国民生活疲弊の根源となった。

こうした一連の経緯が社会主義者たちによって行われ、その結果が今日の民主党政権誕生に繋がっているのであれば話は簡単だが、ここに保守主義者たちも加担していることは、我国の保守主義者たちの思違いと、そのことによる戦後政治の絶望を表している。

我国の場合、保守主義者たちの自由主義者への嫌悪は反米感情に根差しており、その意味で保守主義者は社会主義者と呉越同舟である。しかしながら保守主義者は重要な点を、つまり市場が歴史の産物で、この尊重が保守主義の根幹に適うことを見落としている。

保守主義は歴史ある社会に蓄積された英知は人間ひとりの知性を超えると考える。ならば何故これまで人類が営々と築き上げてきた市場という英知を軽蔑し、浅はかな知性の産物である「設計された社会」へと国家を導く人々と言辞を同じくするのであろうか。

一体に我国の歴史書のどこをどう読めば優しい社会があり、大きな政府があり、生活への保障があったと言えるのだろうか。そこにあるのは何の保証もないからこそ日々額に汗して働く農工商三民と、彼らの子細な統治を町村落の長に委ねた武士団ではなかったか。

それは大きな政府という人知から社会を設計する福祉家たちの夢想よりも、小さな政府という自然知から社会を営む実際家の信念ではなかっただろうか。ならば私たち日本人に蓄積された英知は、人為による経済と市場による経済のどちらに適しているだろうか。

私は保守主義者を自認する人々には国史の正確な理解をお願いしたい。明治よりも以前の世界に飛躍して我が身をそこに置くようなつもりで父祖たちの生活を想像してもらいたい。そして私たち日本人に蓄積された英知がどのような性質のものであるかを考えてもらいたい。

担ぎ屋 1860年代 F.ベアト

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by hishikai | 2009-09-19 14:30 | 憲法・政治哲学
2009年 09月 16日
新しい自由
e0130549_1353536.jpg個人主義や自己責任という言葉はいまや徹底的に叩きのめされ、悪臭の漂う手垢にまみれてしまった言葉であるが、それでも私たちがそれらの言葉に手を添えて助け起こしてやらなければならないのは、それらが人間に欠くことのできない自由の忠実な従者だからである。

自由とはそもそも他人に迷惑をかけない限りにおいて、まだ試してもいないことを予め「だめだ」と遮られないことで、そのとき彼の行動を個人主義が「何が一番幸せであるかは誰も知り得ない、それは本人にしか分からないのだ」と弁護し、自己責任が「その結果については彼本人が責任を引き受けるであろう」と保証して、これを後押しする。

だが現代において、そのような考え方が受入れられることはない。現代人の幸福への道筋には交通標識のような定式が与えられ、その結果には鋳型のような定形が与えられている。したがって政府がこれを支援することに容易であり、人々もこれを受入れることに安易である。例えば小沢一郎はその著書『小沢主義』で次のように言う。

みんなが幸せな生活を、豊かで平穏な生活を送れるようにするために、何をすべきか。それを考えるのが、政治の役割、政治家の役割であって、それ以上でもそれ以下でもない。(小沢一郎/『小沢主義』)

この思考には何が幸せであるか、何が豊かであるか、何が平穏であるかを最初から問い直そうとする回路が欠落している。それらはあらかじめ決定されているために、あたかもショウウィンドウの中の定食サンプルである。政府は素材も盛り付けも同じ幸せの定食を配給し、国民は嬉々としてこれを受け取っている。

それでも日本人が自分を自由だと思い込んでいるのは、個人主義と自己責任を従者とした古典的な自由の解釈に対して、現代の新しい自由の解釈が取って代わり、人々の脳内に君臨しているためである。そして新しい自由は脳内の玉座からこう言い放っている。「政府が国民生活を保障し、人々を経済問題から解放したとき、はじめて人々は自由なのだ」と。

こうした自由の変更がいつ行われたかについて正確な日付は定かではない。が、少なくともそこに産業革命による労働者の困窮と、これを救おうとした人々の憤りが反映されていることは間違いない。それはフェビアン協会でありマルクス主義である。(事実としてはヨーロッパの社会改革が、より実際的な動機に基づいていたことは前に書いた。)

それは全く当然の憤りであるし、労働者の困窮については大いに同情すべきである。しかし彼らはやり過ぎたのだ。生存権と呼び名を変えて日本国憲法に受け継がれた彼らの主張は、戦後日本人の臓腑の底の底まで汚染してしまった。憲法の謳う「最低限度の生活」の内容は際限もなく高められ、政府への要求はいまや止まるところを知らない。

産業革命の頃の貧しい労働者たちが人間らしい生活を望んだのは当然であるとしても、彼らは貧しいが故に人間の自由を忘れ、人間の自立を忘れ、やがて唯物的になったのだ。日本人が信じて疑わない政府による国民生活の保障にしても、その美名とは異なり、いびつで苦悶に満ちた彼らの主張が土台となっていることを、私たちは覚えておくべきである。

1905年、ロシアのオデッサで皇帝に憲法制定をむりやりに承認させて歓喜する革命家たち

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by hishikai | 2009-09-16 13:18 | 憲法・政治哲学
2009年 09月 09日
進歩の時代
18世紀末から19世紀中頃、ヨーロッパでは封建制度が崩壊して農民たちが解放される。だが土地に頼って生活をし、手工業によって収入を得てきた彼らにとって、それは餓死への解放に等しかった。やがて職を求め無数の農民たちがイギリス、フランス、ドイツ、オーストリアなど、産業革命で急激な膨張を続ける新興工業地帯に移動を始めた。

だが初期の工場労働者である彼らに与えられたのは長時間の労働と低い賃金、家庭での貧しい食事と病気、ただそれだけであった。栄養は不足し住居の衛生状態が劣悪であったために、生きてゆくことそのものが難題であった。ロンドンの労働者の30%は慈善施設で息を引き取り、1850年には死亡者の94%が伝染病による死者であった。

子供たちも働いた。1860年にはイギリスのある地方長官がノッティンガムのレース工場で雇われている子供たちは朝の4時から夜の12時まで働かされていると報告し、1863年に政府の調査委員会に対して陶器製造所の少年は「おとといの夜からまったく寝ていません」と答えた。そうした彼らの平均寿命はおよそ17歳と少しであった。

医者として労働者たちの治療にあたる夫と共にベルリンのスラム街に住んだ画家のケーテ・コルヴィッツは、彼らの絶望を木炭とペンで描いた。彼女は病気の子供を見つめる親や、妻の死をなげく夫を描くことで、そのような悲惨な場面に何度も立ち会い、その心境を次のように書いた。「私の生活のすべては、死との対話の連続である」

こうした現実こそK.マルクスに生涯のテーマを提供したものであったが、意外にも最初の改革は富裕層の間から起こった。イギリスきっての大地主アシュレー卿は全産業における女と子供の労働時間に制限を設ける法案を成立させ、ソールト卿を始めとする幾人かの有力な工場経営者は、工場を地方に移して従業員のための模範的な町を造った。

次いで貧困層の間から改革が起こった。イギリスでは1871年に労働組合を認める労働組合法が制定され、組合は全国的な組織へと発展した。その活動は雇用者側との協定や仲裁を通じて行われ、ストライキは1889年以前にはほとんど行われなかった。このようなイギリスの状況をF.エンゲルスは「あらゆる国の中で最もブルジョワ的」だと指摘した。

ドイツ帝国を建設したビスマルクは「国家は救済事業でもある」と宣言し1883年に医療保険法、1884年に災害保険法、1889年に老廃疾者保健法を制定した。それらは陸軍の戦力維持という目的から徹底され、法律にはトイレの窓の場所と必要数も定められた。こうしたドイツの状況を社会主義者のW.リープクネヒトは「刑務所長の国だ」と評した。

だが彼らが何と評しようと現実は彼らの社会理論にほとんど関係なく進行した。1900年には労働者の賃金が30年前より50%上昇した。L.パスツールは細菌が病原体であることを示唆し、R.コッホが結核菌やコレラ菌を発見し、J.リスターが消毒法を開発し、R.フィルヒョーが下水が細菌の繁殖場所であることを突止めて、衛生施設が改善されていった。

都市には最初にガスが、次いで電気が普及して家庭や街頭を明るく照らし、一般の人々のための公園やレクリエーション施設が造られた。1890年から1910年までウィーンの市長を努めたK.ルエーガーはガス、水道、市電などの公共事業のほか、孤児院や葬儀場のような施設も市営に移し、町を緑地帯で囲んで市民のための牧場も管理した。

1868年から1886年にかけてイギリス、フランス、オランダ、ベルギー、イタリア、ドイツ、スイス、オーストリア=ハンガリーで初等教育が義務制となり、1900年までにイギリス、フランス、ドイツ、スカンディナヴィアでの文盲率は5%以下にまで減った。もっともこれら一連の改革について、ロシアとバルカン諸国は大きな例外ではあった。

それより50年前の1851年、ロンドンで万国博覧会が開催されるにあたってヴィクトリア女王の夫アルバート公は「この展示会は進歩の方向を示すべきものだ」と語ったが、それからの50年間はまさにその言葉どおり「進歩」の時代であった。しかしそれは人々が苦しい思いをして、悲惨な代償を払ったあげくの「進歩」であった。
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『ピエタ』ケーテ・コルヴィッツ 1903年

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by hishikai | 2009-09-09 12:55 | 第一次世界大戦
2009年 09月 07日
鳩山論文に就いて
e0130549_13252128.jpgVOICE+に掲載された論文『祖父・一郎に学んだ「友愛」という戦いの旗印』の中で鳩山由紀夫民主党代表は、自由と平等という長いあいだ近代人を悩ませ続けてきた二つの概念と、自身の掲げる友愛との関係について多くの字数を費やしながら述べている。

ここで彼は1935年にC.カレルギーが自由と平等の均衡を図る目的から自著で「友愛」の理念を提唱したこと、祖父・鳩山一郎がこの「友愛」に共鳴したこと、これが自民党の労使協調政策に影響を与えて日本の高度経済成長期を支える思想的基盤になったことを紹介する。

その上で、今日の道義と節度を喪失した市場至上主義に対して歯止めをかけ、国民経済と国民生活を守っていくという課題のもと、彼は友愛を自由の本質に内在する危険を抑止する役割を担うものとして位置づけ、これを旗印として立とうと決意したのだという。

この辺りの論の運びはいかにも「スマート」だが、要するに彼は自身の考える今日的な要請から、かつては自由と平等の仲裁者であった友愛の理念を、平等の擁護者へとその解釈を根本的に変更し、その上で自身の標語に採用したということである。

もっとも彼の率いる民主党が打ち出した富の再分配を強く押し進めようとする政策の、その動機を自由と平等の問題という把握の仕方で説明しようとしたことは、わが国の政治風土あるいは国民一般の意識のあり方を考えれば評価に値する。

しかしながら彼が自由と平等の問題に、友愛というどこからどう見ても道徳的な理念を持ち込んだことは「自由/平等」という政治の問題を──これまでもそのような傾向は多分にあったが、なお一層──「不平等/平等」という正邪の問題に変質させたように思われる。

そして今回の政権交代が本格的な二大政党制への契機であるとしても、政権党がどちらであれ富の再分配の是非が正邪の問題である限り、自党の政策を「不平等ではありますが何卒ご理解を…」などと説明することはできず、したがって争点は平等の多寡でしかなくなる。

そうなれば、所得の使い道こそ最も端的に表明された人間の自由であるという主張はエゴイストの戯言となり、富の再分配の彼方には強制収容所が控えているという主張は笑い話となる。そして革新党は格差是正から、保守党は愛国心から富の再分配を要求することになる。

1951年、ニースのアパートで、お気に入りの鳩をスケッチする82歳のH.マティス

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by hishikai | 2009-09-07 13:29 | 憲法・政治哲学