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2010年 01月 22日
永井荷風の尋常ならざる呪詛
e0130549_0441433.jpg明治四十年も暮れようとする暖かい一日、東京の深川不動境内に永井荷風の姿がある。本殿の屋根が夕日に黒くそびえ建ち、参詣の人が二人三人と上り下りする石段の横には易者の机や二、三の露店が並んでいる。阿呆陀羅経の声が子守や子供や大勢の人を集めている。
 
阿呆陀羅経の隣には塵埃で灰色になった髪をぼうぼう生やした盲目の男が、三味線を抱えてしゃがんでいる。男は三味線の調子を合わせるとチントンシャンと弾き出して、低い声で「秋イーの夜」と引張ったところで、白眼をきょろりとさせて仰向ける顔と共に首を斜めに振りながら「夜はーア」と歌う。
 
夕日が左手の梅林から流れて男の横顔を照らしている。しゃがんだ哀れな影が如何にも薄く後ろの石垣に映っている。声は枯れ三味線も上等ではないが、節回しから拍子の間取りが山の手の芸者には聞くことのできない正確な歌沢節である。荷風は男を見つめながら想う。
 
自分は何の理由もなく、かの男は生まれついての盲目ではないような気がした。小学校で地理とか数学とか、事によったら、以前の小学制度で、高等科に英語の初歩位学んだ事はありはしまいか。けれども、江戸伝来の趣味性は九州の足軽風情が経営した俗悪蕪雑な「明治」と一致する事が出来ず、家産を失うと共に盲目になった。そして栄華の昔には洒落半分の理想であった芸に身を助けられる哀れな境遇に落ちたのであろう。その昔、芝居茶屋の混雑、お浚いの座敷の緋毛氈、祭礼の万燈花笠に酔ったその眼は永久に光を失ったばかりに、かえって浅間しい電車や電線や薄ッぺらな西洋づくりを打仰ぐ不幸を知らない。(永井荷風/『深川の唄』)
 
荷風の近代日本への呪詛は尋常ではない。尋常ではないが、亡父の宅地を売却して得た「弐萬参千参百〇四円弐拾銭」という金銭を懐にして社会の外側に身を置く自由よりする批判は倫理性に乏しい。それは紳士然とした身形で下町を散策する残酷な観察者の言葉である。
 
とは云え同様の批判を社会の内側に身を置く苦悶から発した夏目漱石の言葉が、対照的に教科書に載るほどの倫理性を備えていたとしても、それ故に漱石には自己呵責と口ごもりがあり、却って時代と社会のグロテスクを無遠慮に射抜いたのは荷風であるように思われる。その尋常ならざる呪詛は大正十二年十月三日の文章で最高潮に達する。
 
十月三日。快晴。(中略)銀座に出で烏森を過ぎ愛宕下より江戸見阪を登る。阪上に立って来路を顧れば一望唯渺茫たる焦土にして房総の山影遮るものなければ近く手に取るが如し。帝都荒廃の光景哀れというも愚なリ。されどつらつら明治以降大正現代の帝都を見れば所謂山師の玄関に異ならず愚民を欺くいかさま物に過ぎざれば灰燼となりしとて決して惜しむに及ばず。近年世間一般奢侈驕慢貪欲飽くことを知らざりし有様を顧ればこの度の災禍は実に天罰なりと謂うべし。何ぞ深く悲しむに及ばむや。民は既に家を失い国幣亦空しからむとす。外観をのみ修飾して百年の計をなさざる国家の末路は即ち此の如し。自業自得天罰覿面というべきのみ。(永井荷風/『断腸亭日乗』)

『大震災油絵 本郷より見たお茶の水』徳永柳洲 大正十二年九月一日、午前十一時五十八分、大地震が関東地方を襲った。激震は昼餉の家々に火災を起こし、火は風を呼び、火勢はたちまち東京市の七割をなめ尽くした。死者九万一千名、被害家屋五十二万七千戸。明治以来の帝都は一瞬にして焦土と化した。

by hishikai | 2010-01-22 00:54 | 文化
2010年 01月 19日
小沢一郎という私たちの問題
e0130549_1427416.jpg例えば遠藤浩一拓殖大学教授は昨年12月23日にizaのコラムで小沢一郎の政治思想について「選挙という民主主義的ツールを活用して多数派を形成すれば、あとは何でもありというのは、全体主義が鎌首をもたげ始めるときに特有の光景」として、その本質を民主主義を装った全体主義と評しているが、小沢一郎が目指しているのが全体主義などではなく、まさに民主主義そのものであるとすれば、事態はさらに悲観すべきものであろう。

現に小沢一郎は昨年12月21日の定例記者会見において「天皇陛下の行動の責任を負うのは国民の代表、国民が選んだ政府内閣。だから内閣が判断したことについて、天皇陛下がその意を受けて行動なさるということは当然」と発言していて、そのことで彼が目指すものが民主主義であることを明確に表明している。

敗戦後もなおGHQが天皇を憲法一条に明記される法的な存在としたことは──たとえそれが表向きの理由であれ──我国の歴史慣習を根拠にしていると考えるより他に何もないが、小沢一郎としてみれば主権者である国民の民意はこのような歴史慣習としての法を超える、すなわち「民意は法を超える」と言いたいのだ。

これは今月16日の民主党大会で自身の政治資金疑惑に対する検察の捜査手法について「これが通るならば、日本の民主主義は暗澹たるものになる」と──法手続きの問題ではなく──「民主主義」の観点から言ったのも小沢一郎の政治思想の主眼がここにあるためで、これを一部で言われているように官僚と政治の対決と見る視点は、我国の戦後問題を卑近に引きつけ過ぎているために日本人の心の底にまで回った民主主義の功罪に対する考察を、いとも簡単に放棄してしまっている。

小沢一郎の問題は同時に私たちの問題でもある。現在のところ私たちは安全保障上のことや外国人参政権のことによる反発から小沢一郎の主張する民主主義を異様なものと感じ始めているが、つい昨秋も私たちは子供手当や生活第一と呼び換えられた国家による生活保障の拡充を、財政規律や生活の自助努力という──それが成文法ではないとしても──当然の慣習法を忘れて新しい政府に期待したことは記憶に新しい。

そしてこれこそまさに「民意は法を超える」その民主主義の典型であって、戦後一貫して私たちが信奉してきた民主主義の本質である。小沢一郎はそれをストレートな姿で私たちに示したに過ぎない。しかし、その姿の異様さを目の当たりにした今だからこそ、私たちはあらためて民意と法のどちらが重いのか、さらには「人の支配」と「法の支配」のどちらが私たちの選択すべき世界なのかについて、思いを巡らせるべきではないだろうか。

これまで私たちは民主主義を善なる政治思想として無批判に受入れ、そこから民主主義に対立する悪の政治思想をナチズムやスターリニズムに代表される全体主義と考えてきたが、これは誤りである。全体主義は民主主義を始祖として、ともに人間理性の絶対を信ずる同じカテゴリーの政治思想である。我国のように天皇陛下を戴く国家が信ずべきは人間理性などではなく、先人たちの歴史的経験が錬磨してきた慣習である。

by hishikai | 2010-01-19 14:42 | 憲法・政治哲学
2010年 01月 02日
『サッチャー回顧録』より
e0130549_3254515.jpg私はビクトリア時代の人々に、多くの理由から親愛の情を抱いてきました。それは当時の自発的団体や博愛団体の増大、偉大な建築物、都市への寄付金などの形で示された公共精神に敬意を表するというだけにとどまりません。私は「ビクトリア朝の価値観」──私独自の用語では「ビクトリア朝の美徳」──を賞賛することに不安を感じたことはありません。なぜなら、これらの美徳は決してビクトリア時代だけのものではないからです。ビクトリア時代の人々はすでに、現在私たちが再発見している事柄について語っていたのです。それは「援助に値する」貧困と「援助に値しない」貧困の区別です。ともに救済してしかるべきですが、それでも公費の支出が万事を他人に依存する体質を強めないためには、両者への援助はずいぶんと違った種類のものでなければなりません。私たちの福祉国家で生じる問題は──ある程度は避け難いことですが──本当の困難に陥り、そこから脱出するまでに何らかの援助を必要とする場合と、単に勤労と自己改善への意思や習慣を失ってしまっている場合との峻別を忘れてしまい、両者に同じ「援助」を施してきたことにあるのです。援助の目的はただ単に半端な人生を送るのを許すことにあるのではなく、自らの規律を回復させ自尊心をも取戻させることにあるのです。(サッチャー回顧録/M. サッチャー)

新年明けましておめでとうございます。昨年は民主党による左派政権が誕生しました。果たして日本人は彼らの諸政策から何を学ぶのか。今年はそこに注目しつつ、相変わらず政治や文化について迂遠に書こうと思います。なにとぞ引き続きのご愛読をお願い致します。

1989年に国連総会で演説するM. サッチャー。サッチャリズムのような自由主義政策が、我国では中曽根康弘や小泉純一郎によって実行されたと考えることは、おそらく自惚れである。なぜなら当時のイギリス国民とは異なって、いまだに私たちは社会主義政策による辛酸を嘗めてはいないのだから。

by hishikai | 2010-01-02 03:28 | 憲法・政治哲学