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2010年 03月 30日
『新帝国ホテルと建築家の使命』と『建築家を坑にせよ』
e0130549_148510.jpgF.L.ライトが『新帝国ホテルと建築家の使命』の中で述べているのは、次のようなことであろうと思う。自然の背後には大きな摂理がある。多種多様に見える自然の細部、例えば葉先の葉脈の一本にまで、この摂理は完全に貫かれている。人間の文明もまた同じである。

文明の背後には大きな摂理があり、人はこれを感得しなければならない。そして創作物の細部に至るまで、この摂理を貫徹させなければならない。そのとき各々の風土は各々の個性を生むであろう。あたかも梅の木に梅の実が成り、葡萄の蔓に葡萄の実が成るように。

文明が真に普遍的な価値を持つのは、摂理を把握して貫徹させるときである。そして文明が真に個性的な価値を持つのも、また摂理を把握して貫徹させるときである。文明の一表現である建築も、この原則を知らねばならない。そのとき建築は自然と渾然一体となる。

日本人の建築家に欠けているのは、この摂理を把握することである。この摂理を細部にまで貫徹させることである。いたずらな模倣を行なうために、日本の建築は日本の風土に根をおろさない。近代日本文明もまた然りである。日の丸は沈む夕日か、昇る朝日か。──

遠藤新が『建築家を坑にせよ』で述べていることも、これと同様であろう。彼はF.L.ライトが「my son」と愛した弟子である。文中の「建築の使命は…遥に大きな所にある。人生の真実に徹して、美を将来するの真骨頂に触れ」という一節がそれにあたる。

しかし遠藤新にはF.L.ライトの知らない憤りがある。文中の「一にも耐震、二にも耐震でこしらへて、よいものが出来る道理なし」という一節がそれにあたる。これは誰のどのような考え方への憤りであろうか。おそらく佐野利器の構造偏重、工学偏重への憤りであろう。

自由学園明日館(みょうにちかん)正面外観 大正十年(1921)自由学園の校舎としてF.L.ライトと遠藤新が共同で設計。木造漆喰塗の建物は高さが抑えられ、前庭との一体感が図られている。窓の意匠も面白い。重要文化財。

館内で記念撮影をしていた女性数人が、私の通り過ぎた後で、数秒の沈黙があり「見た 紳士、紳士」とささやきあっていた。紳士の何が悪い。


by hishikai | 2010-03-30 02:03
2010年 03月 24日
F.L.ライト『新帝国ホテルと建築家の使命』より
e0130549_12225839.jpg東京広しといえども、日本人であれ、西洋人であれ、建築を理解したつもりで建った建物、あるいは建築と名のつく代物、どちらでもよい。その一つとして真に日本に対する愛を表していると言い得る建物があるか。彼等は何れも、まずい手本を、まずく真似た、まずいまがいものである。(中略)

日本はいわゆる洋館を手際よく造ることを覚えてきた──否、かなり旨くもやった。例えれば、かの三菱銀行の様な──棺桶──日本から遠い遠い何処かの国なら誠にふさわしい建物。これが日本と何の関係があるというのか、──屈辱だ──むしろ笑い草だ。現代日本が、いかに自分の姿を見失っているかを明白に示しているに過ぎぬ。(中略)

真個の進歩を将来する努力には、必ず大法(プリンシパル)なる中軸がある。その大法こそは、研究するに値し、把握するに値するものである。そして一旦把握し得たら、そのほかは誠に刃と迎えて解けるのである。日本の建築界に欠けたるものとは、即ちこの大法の把握である。(中略)

日本はまさに悲惨である。特にかつては美に対する特有の概念と完一性への優れたる天性の完璧があっただけ、それだけ更に悲惨である。今や日本の足下に「渉れ」と妖魔の如く横たわる深淵──世界何れの国民が、かつてかくの如く危険な場合に面接したことがあるか。(中略)

日本がよく、この深淵を渉り得たりとすれば、それは真の日本が自分を見出し、それを発達せしめた時である。日本の「個」の特有なる表現に到達した時である。しかもその「個」は今のままではない。更に普遍性に於いて深まり、広まり、更に自身の精神の力に自覚を持って表れてきた時である。

新帝国ホテルは、この混沌下の日本に対する同情の捧げ物、──日本の古きに負う所の多い一人の芸術家が、報恩の意味で日本の建築界に寄与する捧げ物である。同じく建築にたずさわる日本の諸兄が、これによっていくばくかその個性を発見するの一助となるならばとこい願いつつ。

夕ありき朝ありき。夕と朝との別はただ進歩である。一国の生命にあっては、一世紀はまさに一日である。変化はいかに激しくとも、真の進歩は誠に遅々たるものである。日本にひるがえる旗の日の丸、誰か知る、沈む夕日か、昇る朝日か。(F.L.ライト/『新帝国ホテルと建築家の使命』/訳 遠藤新)

前池に影を落とす帝国ホテル旧館 F.L.ライトの設計により大正十二年に落成した帝国ホテル旧館は、栃木県産の大谷石を壁面の素材として豊富に用いるなど、その国柄を意識した個性的な威容は、まさにナショナルホテルと呼ぶにふさわしい品格を備えていた。

by hishikai | 2010-03-24 12:30 | 文化
2010年 03月 19日
東京は美しくなりつこなし
e0130549_1213296.jpg「外観をのみ修飾して百年の計をなさざる国家の末路は即ち此の如し」永井荷風が江戸見阪上から震災の焼け野原に快哉を叫んでいたとき、残された人々は早くも余煙の向こう側に自分たちの父祖と同じ、あの文明開化の眼差しで新しい東京を幻視していた。

翌大正十三年七月に時事新報社から発行された『新しい東京と建築の話』には、建築家や芸術家の復興への抱負を述べた小論文が集められている。黄色い布表紙には意匠化された太陽と、その中にやはり意匠化された住宅と植栽とが同じ濃赤色で描かれている。

ページをめくると、ある人は耐震構造を、ある人は耐火資材を述べている。帝都復興院建築局長の佐野利器は復興に採用すべき建築様式を述べている。そうした中で建築家の遠藤新だけは、全く別の視点から見解を吐露していて異彩を放つ。以下に抜粋して引用する。

「私はいふ、東京は美しくなりつこなし。一體地震前に一として碌な建築があつたか。一つもない。出来なかつたのだ。頭がないのだ。腕がないのだ。(中略)
 殊に地震で腰をぬかし、おつかなびつくり、一にも耐震、二にも耐震でこしらへて、よいものが出来る道理なし。(中略)
 全體、建築は地震に耐えなくては困る、然し耐えるのが當然なので、建築家の自慢にはならない。建築の使命は一地震に耐えるや、耐えないの小つぽけな所ではなしに、それを越えて、遥に大きな所にある。人生の真実に徹して、美を将来するの真骨頂に触れて居るものは、天下誠に寡しとする。(中略)
 世間は、所謂研究とは、統計の無機的堆積であること、研究家もまた無機的知識の堆積に過ぎないこと、そこから何等断案を期待し得ないことを知らねばならぬ。」(遠藤新/『建築家を坑にせよ』)

このとき遠藤新は三十五歳。七年前よりF.L.ライトに師事して帝国ホテルの建設にチーフアシスタントとして携わっている。その帝国ホテルは落成の日に震災に遭遇しているが、一部を損壊しただけで大きな被害を免れ、その堅牢は一躍世間に知られるところとなっている。

だが遠藤は(建築は地震に)「耐えるのが當然」と云う。もっと「遥に大きな所」を見よ、「美を将来するの真骨頂」を考えよと云う。世間が帝国ホテルの堅牢にだけその価値を見出していることを、日本人の近代文明に対する気質の問題として憂いている。

『大震災の印象』有島生馬 無論のこと後藤新平を中心とした帝都復興院の人々が都市や建築の美しさに無頓着であったというわけではない。戦後の東京の現状に比較すれば、戦前の帝都復興事業の成果は称賛に値する。だがそこで語られるのは技術者の「景観」であっても、芸術家の「美しさ」ではない。近代日本文明の中で、それら二つの価値観が断絶してきた事態には、看過できない問題が潜んでいるように思われる。

by hishikai | 2010-03-19 12:11 | 文化