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2010年 04月 21日
野田俊彦『所謂日本趣味を難ず』より
e0130549_104917.jpg私は今、C.ビアードの公共建築に日本式を採用すべしとの提言に対して、当時内務省の技師であった野田俊彦の反論が、大正十三年九月に総合雑誌『太陽』誌上に『ビアード博士に一言す』と題して表明されたことを内田祥士著『東照宮の近代』によって教えられている。

内田氏の引用によれば、野田の反論は「吾々には迷惑千万な事だ」「今日の吾々は、西洋人の真似をして西洋風を着ているのではない」といった内容で、内田氏はこれを「書かなければ、怒りが収まらないといった文面である」と評していて興味深い。

本来であればこの『太陽』を手に取り、野田の反論をまとまった文章で読んでみたいのだが入手することができなかった。そこで野田が近代建築への日本的な意匠や形態の適用を批判した『所謂日本趣味を難ず』(『建築雑誌』大正六年十二月発行)を読んでみたい。

ここで野田は、構造と材料の自然な適用を目指すべき近代建築に日本趣味を適用する行為は「虚偽」であって「幼稚なる国粋保存主義」である論じている。そして日本の近代建築に伝統的な国民性を表現する企ては無意味であるとして、その理由を次のように述べる。

我々の國民性は現代に於ける我々の特性である。前時代の我國民の特性が我々の國民性を形造る上に於ける一大因子であることは論を待たないけれ共、それは明かに我々の國民性とは別物である。『日本趣味』の内に、建築の上に見られる我國民の特性の表れを求め得るには違いない。けれ共其の特性たるや維新前に於ける我國民の特性である。現代に於ける我々の國民性ではないのである。(野田俊彦/『所謂日本趣味を難ず』)

当時列強各国に追いつこうと懸命に近代化を推し進めていた日本人にとって、殊に野田俊彦のようなエリート官僚にとっては、近代化の象徴であるべき近代建築に伝統様式を採用することなど、それこそ退歩以外の何物でもなかったであろうことは想像に難くない。

だがそれよりも野田の脳裏を占める「現代に於ける我々の特性」という感覚は、私自身胸の奥を探って思い当たる。それは現在から過去を位置付けても、過去から現在を規定されることは御免蒙るという態度である。そのとき過去はせいぜい現在のための訓話でしかない。

いわば「いま」への信仰である。それは明治維新以後に徳川体制を蔑み、敗戦後は大日本帝国体制を蔑むことで、常に「いま」を正当化してきた私たちの歴史と深く関わっている。二度まで棄教を強いられた私たちの苦悶が生んだ宿痾である。

東京歌舞伎座 関東大震災の翌年、大正十三年に竣工。鉄骨と鉄筋コンクリートを使った建築物だが、その外観は大胆に伝統様式を取入れている。設計者は東京帝国大学建築学科を明治三十九年に卒業した岡田信一郎。岡田は昭和九年には日比谷交差点近くのお濠端にある明治生命館も手がけているが、そちらはルネサンス様式である。なお現在の歌舞伎座は今年、平成二十二年五月からの建替え工事が予定されている。

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by hishikai | 2010-04-21 10:17 | 文化
2010年 04月 19日
洋臭畸形の街
e0130549_1104575.jpgC.ビアードの『東京復興に関する意見』は、関東大震災の前年、大正十一年(1922)から十二年の半年を東京に滞在して作成された彼の東京市政への意見書を下敷きとして、これに震災直後に再び来日し調査した内容を加え、大正十三年十月に公表されたものである。

これは街路、運輸、財政問題等についての小冊子だが、この最後に「帝都の尊厳及び美観に関する考察」と題された第十一章があり、ここで彼は東京が「洋臭畸形建築」に有余った都市であるとし、その古代美を忘れ、地に委せられる現状に戦慄を禁じ得ないと記している。

そして東京の復興に際しては帝都建築美術委員会を設置して、これに公共建築物の設計を審査させるよう提言している。この制度によって公衆の美に対する興味を喚起し、以て趣味を向上させ、併せて美観を損なう建築を防止する効果のあることを彼は期待している。

都市に於ける美術委員会の設置は、彼の母国アメリカでの経験を基礎としている。アメリカでは1890年代から全国の市民が美化団体を結成し、租税で購入する美術品や、施工する建築の審査を行なう公式の美術委員会の設置を市に要請し、これを実現している。

その運動の活発であったことは、美化団体の数が1894年に50団体であったものが、1905年には2426団体と急増していることにも伺われ、その啓蒙家としてはジャーナリストのチャールズ・マルフォード・ロビンソン(Charles,Mulford,Robinson)が知られている。

彼の1901年の著書『町と市の美化』は、街路計画、街路の美化としての電線地中化、建築の美的規制、交通の規制、広告の規制、街路樹・公園・遊び場の必要性、そして公衆教育の重要性を訴え、十一版まで増刷を重ねてアメリカの多くの人々に読まれている。

このとき美化団体に参加した人々の美意識は、建築ではフランスの新古典主義、公園ではイギリスの自然美を目指していたといわれる。これは独自の伝統様式を持たないアメリカの人々が、その建国の源流をヨーロッパとイギリスの伝統に見出した自然な発想であろう。

これに対して我国は永い歴史の中で、独自の伝統様式を育んできた。したがって美術委員会のような制度を我国で行なう場合、その美意識を独自の伝統に見出すことは同様に自然な発想である。C.ビアードもそうした発想に立ち、以下の提言をしている。

曰く、日本建築の様式を公共建築物に採用すること、日本式の記念建造物を造ること、公園は日本式となすこと、である。だが進歩とは常に欧化であった我国近代の心理には、過去を呼び戻すこうした施策を、常に退歩と視る不安がつきまとっている。

実際これに対しては二つの反論があった。一つは『建築非芸術論』を著した野田俊彦によるもの、もう一つは海軍を退役して未来戦記の作家となった福永恭助によるもので、そのいずれもが日本人の目指すべき美意識を、現在と未来の中に見出していた人であった。

並木通りの人々「銀座画集」織田一磨 画 たそがれの銀座である。ほのかに夕闇が漂いはじめた並木通りを浮き出るように洋服の人々が行き交う。織田一磨は新しい東京を、そうしてうつりかわる東京の風俗を愛情をこめて描きつづけた。

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by hishikai | 2010-04-19 11:35 | 文化
2010年 04月 16日
ビーアド博士『東京復興に関する意見』より
e0130549_022673.jpg歴史の舞台は大西洋より太平洋に移りつゝある。日本はこの舞台に於いて立役を勤めるであらう。而して東京は多くの印象深い場面の舞台となるであらう。故に日本の帝都が、帝都としての特異性を有たねばならぬといふことには深奥なる意義を有する。蓋し貧弱なる帝都は列強の間に伍するとき、國家の尊厳と威容とを傷けるであらう。

而してこの特異性は米國第三流處の邊陬都市の建築を再現して居たのでは達成されぬ。既に東京は洋臭畸形建築に有りあまつて居る。日本の帝都は唯日本國民の建築的天才を発揮することに依つてのみその特異性を有つであらう。過去に於ける壮観を目睹した私は、かの古代美の精神が再建時代に於いて地に委せらるゝにあらざるかを疑ひ、戦慄禁じ得ざるものがある。勿論私は商舖及び工場の實際的要求が古代建築の或る點と到底両立し得ざるものなることを知る。それ故に私は不可能を強いんとするものではないが、敢えて左の提案を為さうと思ふ。

一 能ふ限り日本建築の様式を總ての公共建築物に取り容れること。
二 洋式の記念建造物及び銅像を斥け、純粹なる日本式の記念建造物を造ること。
三 公園は總て純粹の日本式となすこと。

多くの主要米國都市は、建築美術委員會を設けて總ての公共記念建造物及び建築物の設計を審査せしめて居る。この委員會は公衆の趣味を向上せしむることに非常に成功して居る。勿論建築美術委員と雖も人間なるを以て幾多の誤謬に陥りはしたが、しかし彼等は美に對する公共の興味を喚起し、且つ幾多の畸形的建築物の出現を防止した。故に私は嘗て提案せる永久的帝都建築美術委員會の設置を再び慫慂する。尚保守的な實際家諸君の杞憂を除かんがために、東京に美観及び特異性を與へることは「算盤がとれる」ことを附言したい。世界の各地方から数多の観光客を誘ひ寄せるからである。もしも東京が唯單に近世歐米商業都市の複製に過ぎぬものであつたならば、誰か来遊を思ひ立つ者があらう。もしも日本國民がその帝都に美観と特異性とを與へるために十分なる努力をしなかつたならば、この大災害の傷も癒へ、日本精神が光芒を放つ頃になつて、自ら悔ひ且つ愧づることにならう。(C.ビアード/『東京復興に関する意見』の中から「第十一 帝都の尊厳及び美観に関する考察」)

チャールズ・オースチン・ビアード(Charles A. Beard)大正十二年(1923)九月一日、関東大震災が発生。翌二日に山本権兵衛内閣が成立する。内務大臣に就任した後藤新平は九月五日、ニューヨーク市政調査会専務理事を努めるC.ビアードに招聘を打電。これに応え十月六日、廃墟と化した横浜に上陸したC.ビアードは精力的に被災地を視察。数々の資料と意見とを日本政府に提供した。上記の文章は彼が後藤新平に宛てた意見書を、翌大正十三年十月に財団法人東京市政調査会が冊子で公開した一部。〈Beardのカナ表記は大正当時「ビーアド」だが、本編では便宜上「ビアード」に統一〉

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by hishikai | 2010-04-16 00:19 | 文化
2010年 04月 14日
技術への信仰と不真面目な美
e0130549_1103680.jpg今日明治の建築を仰ぎ見るとき、私たちはそこに様々な様式のあることを知る。あるものはゴシック、あるものはバロック、あるものはルネサンスである。さらに設計者の名前を調べるとき、それら様式が同じ建築家によって使い分けられたものであることを知る。

そのことは明治の建築家にとって様式が技術の一分野であったこと、美しさは構造や材料の問題と同じく技術の習熟によって克服可能な問題で、だからこそ様々な様式に精通し使い分けることが、建築家に必要不可欠の技術であったことを私たちに教えている。

そして明治も暮れようとする頃、我国でも鉄筋コンクリート構造がその堅牢さを以て注目を集める。その先駆者としての佐野利器が『建築家の覚悟』を、やがて教え子の野田俊彦が『建築非芸術論』を発表する。そのとき時代は日露戦役の峠を越え大正となっている。

彼らの論文による衝撃は大きく、野田俊彦は「非芸術論の野田」として有名であったという。今日ではこれを「ヨーロッパ近代建築思想につらなるもの」と評価する見方もあるが、そうした見方は希望的に過ぎるように私には思われる。

明治の建築家が美しさを技術の問題と考え、次世代を継ぐ佐野や野田もまた美しさを技術の問題と考えていたことは同じである。ただ彼らは明治の建築家が必要と考えた「様式という技術」を始め、建築における美の探求の一切を不要だと主張したに過ぎない。

そのような主張からヨーロッパ近代建築思想への、あるかないかの道筋を辿るよりも、もっと直接に彼らの主張に見られる、美しさへの執拗な憎悪、美を不真面目な嗜好品としか認識しない、その歪んだメンタリティーに目を向けるべきではないか。

それは明治を代表する英文学者として「ブルヂヨア文化の最高美を表現した人」と保田與重郎に評された上田敏が我国に紹介した西洋の詩の美しさを、ついに受入れなかった大衆の、胸の奥に秘められた西洋文明への屈折した情念と、同じ情念の暗い炎だと私は思う。

生活に美を考え、建築に美を考え、都市に美を考えることが、日本人の性情にそぐわぬとは思われない。問題は近代を迎えた日本人が、そうした考えを後発国の国情にそぐわぬ嗜好品として拒否した事態にある。その事態は今日でも引き続いて私たちを貧しくている。

『The Bilders』フェルナンド・ロジェ 1950 明るい色を使って人間と技術的環境との調和を楽観的に認めている。こうした絵画を見ると、技術への信仰が日本に限ったわけではないことが知られるが、そうした信仰が日本でとりわけ強かったこともまた一方の事実である。そのことを村松貞次郎は著書『日本近代建築の歴史』で次のように述べている。

「まだ開発途上国であった日本では、機械生産・工業生産の進展こそが、もっとも具体的な近代化であり、極論すれば『善』であったから、そういう望ましい時代の表現を先取りすべき合理的・機械的な設計態度と、そのデザインこそが近代建築のあるべき姿であり、その金科玉条に背くものは唾棄すべき非近代建築とされてしまったのである。ときには『人民の敵』とまでされた」(村松貞次郎/『日本近代建築の歴史』)


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by hishikai | 2010-04-14 01:26 | 文化
2010年 04月 06日
野田俊彦『建築非芸術論』より
e0130549_1025215.jpg※1)建築の實用的目的、自然の気候的壓迫から人間を保護して其生活を完全ならしめんとする目的に何等の貢献もなさないが人に快感を與ふる物がある。凸凹なしに無地にて差支ない壁を縦横に仕切つて之れに繰形を作り柱型を出し彫刻を施したり色分けをしたりする。

見る者に快感を與へんが為である。この種の快感が人間生活を充分に遂行せしむるものとなるとか、其快感が無ければ生きて居られぬとかの理由から人生に貢献するものであり、其快感を生せしむる原因に存在の理由があるかも知れぬと云ふ問題が未だ残つて居る。※2)

而して吾々が若し建築に美が必要であると云ふ事を肯ひ得るとすれば其美は上の如き意味の美でなければならぬ。此れを必要とし不必要とするのは各人の人生観から分かれて来る。快感を感ずる事それ自身人生の幸福を増す物であると考へる者には其美の存在が必要であるかも知れない。

けれ共自分は序に於いて、一も二も無く其の必要を肯定する譯にはいかぬと述べた。※3)吾々には酒や煙草が眞面目な意味で用ゐられては居ない様に其種の美は不眞面目である。酒や煙草は人體に害あるが故に排斥すべきであるが單なる美しきものを作ること事や鑑賞する事は人類に有害ならざる故に許す可きであると言ひ得るであろうか。

酒や煙草を以て自分には事務の進捗に役立つ物であると言ひ、又それが無くては生きて居られぬ故にそれ等は自分には必需品であると言ふ者は必ずやそれ等から受ける快感に慣れて之れから離れる事の出来なくなつた者である。

吾々は快感の刺激物としてより外に意味のない美に慣らされて居る。それから離れる事は出来ない様になつて終つて居るかも知れない。然し決して其の必要を主張し得るものではない。それ等の虚偽な美の無くなる時を理想にしている。斯くて世界は装飾的分子の少しも無くなつた物になる。而かも吾々の人生は其為に荒涼落莫たるものとなるかを怖れる必要は無い。却て眞の美を以て世界が充たされるであろう。(野田俊彦/『建築非芸術論』)

※1)野田は人間の行為の価値は、人類の幸福に貢献するか否かであるとする。そして美を追求する行為は人間を淫らで誤った方向に導くために、無価値であるばかりか有害な行為で、したがって建築を美しくしようとする行為も誤りであると断じている。

※2)この段落に至るまでに※1)の前提から、建築の外観上の装飾についての論駁を終え、あとは野田が言うところの「見る者に快感を與へんが為」の美についての論駁が残るだけであるとの意。

※3)野田は本論冒頭において、例えば食事の目的は栄養素の摂取で、味覚の「快感」を得ることではなく、したがって食事に味覚は必要不可欠の要素とは言えない、それと同じ意味で、建築の目的は自然条件から人間を保護することで、美の「快感」を得ることではなく、したがって建築に美は必要不可欠の要素とは言えないという主張を展開している。

科学で作られた笑い この愉快そうな人は、ギローム・ダッチェン博士が作った電気装置を取り付けられている。装置が強制的に笑いの表情を作り出すのである。19世紀の多くの人々にとって、科学とは信仰と芸術、哲学に代わる希望と幸福への鍵であった。野田俊彦が『建築非芸術論』を発表した大正四年(1915)の日本もまた例外ではなかった。

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by hishikai | 2010-04-06 10:30 | 文化
2010年 04月 03日
無意味の贅事
e0130549_10212174.jpg佐野利器が『建築科の覚悟』で述べているのは、次のようなことであろう。日本の建築家の職務は丈夫で役立つ建築物を廉価に作ることにある、したがって日本の建築家は技術者である、技術者である建築家が芸術を勘案することは不要である。──

その理由として佐野は、日本の富力が到底未だ列強の脚下にも及ばないことを挙げている。列強と同じことをやっていては、富力の差は工業力と軍事力を間にはさみ、現実的な国力の差となって、彼我の距離を加速度的に開かせてしまう、そう考えている。

何か近道を探さねば。実際、明治日本はそうして列強に追いついてきた。案件の成功は外国製の資材を輸入し、国産の設計と運用の工夫で成果を得ることであった。戦艦安芸は一万トンを超える船舶としては、世界で初めてアメリカ製蒸気タービンを積んで快速を誇った。

全てを満足させることはできない、我々は何かを捨て何かを得なければならない。そうした心情は、後発国日本の喫緊の要請であった。そして国民の道徳でさえあった。それが留学中の佐野をして、建築における芸術性を「無意味の贅事」と言わしめたのであろう。

ここで建築における芸術性が不要であるか否かを問う必要はないと思う。一国の文明の表象である建築が、そこに居住する人間の情操に配慮すること無く、ただ丈夫で役に立ち廉価であれば良いなどという議論は成立の余地をもたない。

ただ佐野が「日本の建築家は何であるべきか」に解答を与えた要因に注目したい。「解答を與ふるものは唯一、今日の日本の事情より外ない」そう言っている。「事情」である。ここに「大法(プリンシパル)の把握」を言うF.L.ライトとの根本的な違いがある。

例えば一台の馬車を想像してはどうだろう。車室には御者が乗り、馬を操っている。車室は国家、御者は思想、馬は技術である。佐野は御者(思想)による操縦を拒否している。すると馬(技術)は、道(事情)なりに走るしかない。

そうした姿は日本の近代そのものではないだろうか。馬に曳かれた馬車は風を切って走っていく。御者はまるで玩具のように車室のうえでゴトゴトと揺れている。一体どこで道を誤ったのか、誰にもそれを知る術はない、ただ馬は道のあるままに走っていく。

学士会館 設計は佐野利器と高橋貞太郎。昭和三年(1928)に落成したこの建物は、現在も神保町のオフィスビルの間で佐野の理想を今日に伝えている。二二六事件では第14師団東京警備隊司令部、終戦後はGHQの将校クラブとして接収されている。現在、館内にはレストランやバーが入っていて、なかなか美味しそう。是非一度お邪魔してみたい。登録有形文化財。高橋貞太郎は佐野の教え子で、F.L.ライトの帝国ホテル旧館を取壊した後の、帝国ホテル新館を設計している。高橋は川奈ホテルの設計を手がけるなど、大倉財閥との深い繋がりを伺わせる。川奈ホテルについては稿を改めて紹介したい。彼処はもう最高である。

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by hishikai | 2010-04-03 10:49 | 文化
2010年 04月 01日
佐野利器『建築家の覚悟』より
e0130549_104682.jpg日本の建築家は何であるべきか、懐中字書に依て直にアーキテクト(即ち芸術家)と早合點すべきでない、大學一覧に建築學科をアーキテクチュラル、デパートメントと譯して有つても、夫れは有合の譯語である、文字や、歴史や、學校組織では凡て満足な答は探し得らるべきでない、此問題に解答を與ふるものは唯一、今日の日本の事情より外ないのである、(中略)

國家の要求、茲に記念銅像の台を作るとき、要求は元より純美術であらふ、神社佛閣を作るとき要求は美術が主であらふ、劇場を作るとき、美術上の要求は少くはあるまい、然し以上の如く美術上の要求に多く迫らるゝ場合は建築事情として多くはない、而して建築事情中の大勢力をなす公共的建築、實利的建築を起こす場合の要求は殆ど全部科學である、茲に市町村が學校を作るとき、市町村の念頭には子弟教育所と云ふ實利の外には多く出でない。茲に銀行を作るとき、着實なる支配人の思慮は事務處理の便と其の永続との外余り多くを考ふる暇ない、之を受取つた建築家が眞先に「ゴシックに仕様か、クラシックに仕様か」など、様式如きに襲はれて居やうなどとは夢にも思つて居はしない、

茲に図書館、博物館と一々同じ様な事を繰り返すには當るまい、早い話が、國家が最も多くの経費を投じて造営しつゝあるものは倉庫工場等の如き純科學體である事を考へたならば國家の要求の主なるものは何であるかゞ推想される。

國家當然の要求、余は財政の事に暗いが聞く所に依ると日本國民は一人につき約五十圓づゝの外債を負つて居ると云ふ事である、そんな事を擔ぎ出す迄もなく我國の富力が残念ながら到底未だ列強の脚下にも及ばざる事は誰しも承知の事であらふ、(中略)

現在の國家は正に臥薪嘗膽の時機である事を自覚せねばならぬ、臥薪嘗膽の時機にある國民の覚悟と其の進路とは自ら他と同一では有り得ない、何事も夫れより割り出されねばならぬ西洋文明の直輸入では何時迄経つても間に合ふ時期が来る筈があるまい、して見ると國家の建築的要求は實利を主としたる科学體であり又あるべき事は當然である、無意味の贅事に浮身をやつして居られる時ではないのである。

着實なる國家現在の要求が以上の如くであり又國家現状に見て國民擧げて實利を主とする要求をなすべきが至當であるとすれば日本の建築家は主として須く科學を基本とせる技術家であるべき事は明瞭である、西洋のアーキテクトは何で有らうとも日本は日本の現状に照らして余は此の結論に到達するのである、科學は日に月に進歩する、「如何にして最も強固に最も便益ある建築物を最も廉価に作り得べきか」の問題解決が日本の建築家の主要なる職務でなければならぬ、如何にして國家を装飾すべきかは現在の問題ではないのである、(佐野利器/『建築家の覚悟』)

佐野利器(さのとしかた)東京帝国大学建築科を卒業してドイツに留学、帰国後に東京帝国大学建築科教授に就任。帝都復興院理事、東京市建築局長、日本大学工学部長、清水組副社長を歴任し、戦後は復興建設技術協会会長。上記文章は佐野がドイツから寄稿し、明治四十四年(1911)七月「建築雑誌」に掲載された。

by hishikai | 2010-04-01 10:49 | 文化