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2010年 07月 29日
夕涼み
e0130549_15434911.jpg私の住む郊外では高速道路の建設が行なわれている。先日も建設用地の広大な空き地の遥か彼方、江戸川の上の大きな夜空の中に、柴又の花火の鮮やかに咲き誇るのを、再び戻らぬ過客を見送るように、妻とふたり工事用の鉄冊にもたれて眺めた。

江戸の夕涼みは旧暦五月二十八日の川開きを頂点とする。これは両国橋辺の両岸を八月二十八日までの三ヶ月間だけ歓楽地として御上が認めるもので、この間は川下にかけて葭簀ばりの華やかな茶店が並び、あらゆる物売や見世物がごった煮のように集まる。

ここにやって来る人の群といえば凄いもので、平賀源内によると「人群衆は諸国の人家を空しくして来るかと思はれ、ごみほこりの空に満つるは、世界の雲も此処より生ずる心地ぞせらる」というのだから、それこそ押すな押すなの大混雑である。

第一の呼び物はやはり花火だが、どうやらそれが美しいとか芸術的だとかの理由から歓ばれたのではないことは、例えば「小百両灰にする夜のおもしろさ」という川柳からも伺うことができ、その不埒な感覚が何ともいえず江戸らしい。

そして玉屋と鍵屋がけんらんたる技術を競い、両国界隈が人の山になるのだが、他の日でも小舟に乗った花火屋が客の希望で上げる。あるいは川辺の大名や豪商の催す花火の宴も連日のようにあるので、両国橋の上はいつでも人垣が築かれているという有様である。

そんな時に夕立でも来ると大騒ぎだが、舟を浮かべている人にとっては「屋形から人と思わぬ橋の上」と優越感にひたることができる。また、そうした人生の悲喜を「あれも一生、これも一生」と、鋳掛道具を川に投げ込んで泥棒に転身する鋳掛屋松五郎のような人もある。

あたりまえだが全ての人が隅田川辺で花火を見物したわけではないようで、演劇評論家の秋山安三郎氏は、ご自身の幼かった明治中頃の思い出を次のように語っている。
「私などは貧乏長屋で育った子供なもんだから、いつも川開きの花火見物はゴミ箱に上がって背伸びしては遠く花火の音のするたびに「玉屋ッ鍵屋ッ」を叫んでいた組で…」(秋山安三郎/『江戸と東京』)


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by hishikai | 2010-07-29 15:56 | 文化
2010年 07月 24日
「逝きし世」という感覚
e0130549_17262877.jpg渡辺京二の『逝きし世の面影』は平成十年の発行以来、多くの人々に読まれ「和辻哲郎文化賞」も受賞した名著だが、実際のところ日本人の読者が彼の歴史感覚を、自身のこととして深刻に受止めたかは疑わしいように思う。その冒頭に記された箇所を引用する。

「私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、一つの文明の滅亡から始まる。
 日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振った清算の上に建設されたことは、あらあためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて十分に自覚されているとはいえない。十分どころか、われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実体の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。
 実は、一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。それは江戸文明とか徳川文明とか俗称されるもので、十八世紀初頭に確立し、十九世紀を通じて存続した古い日本の生活様式である。」(渡辺京二/『逝きし世の面影』)

ここに言われている文明は民族のメンタリティーではなく、もしも私たちが江戸時代へとタイムスリップしたならば、そこで現実に目の当たりにする、建築や着物や装身具や様々な物売りの姿で構成された世界と、それを現実としている価値観のことであろう。

そうだとしても、確かに私たちは同じ時間軸の上を江戸から明治へと、転がるように文明が姿を変え、それが現代まで綿々と続いて来たと考えているわけで、江戸文明の廃墟の上に、明治という全く別の文明が近代国民国家の体裁で出現したとは考えていない。

だから渡辺京二の歴史感覚は私たちには耐えがたいものかも知れないが、それでも私たちの側からしても、例えば岡本綺堂今泉みねの文章に、当時彼らが経験した江戸的な生活の滅亡が克明に描かれている以上、私たちはその事実に対して率直に向き合うべきであろう。

小粋な女 1860年代 ベアト 島田くずしに吾妻下駄で帯に手を入れる姿が、江戸下町の女性の粋であったようだ。当時は着こなしを見れば下町の人間を判別できたというが、この写真を見るとそれも頷ける。

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※当ブログ管理人のニックネームを「菱海孫」から「菱海」へ変更致しました。今後ともご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

by hishikai | 2010-07-24 17:27 | 文化
2010年 07月 20日
箱と中身
e0130549_2141619.jpg私のように詩を解さない朴念仁を含め、世の中の人々が詩人と理論家どちらの言葉に魅かれるかといえば、やはり詩人であろう。草臥れる理屈より人生の実感に沿った詩に魅かれるのは人の健康な本能である。G.K.チェスタトンは詩と理論について次のように言う。

「詩が正気であるのは、無限の海原に悠然と漂っているからである。ところが理性は、この無限の海の向こう岸まで渡ろうとする。そのことによって無限を有限に変えようとする。その結果は精神がまいってしまうほかはない。(中略)詩人の望みはただ高揚と拡大である。世界の中にのびのびと身を伸ばすことだけだ。詩人はただ天空の中に頭を入れようとする。ところが理論家は自分の頭の中に天空を入れようとする。張り裂けるのが頭のほうであることは言うまでもない」(G.K.チェスタトン/『正統とは何か』)

これはこれで尤もなことだが、こうした考え方は政治にも同じくあてはまるであろうか。つまり詩が正気であるのならば、詩を根拠とした政治もまた正気であるはずで、ならば詩人による政治とか、詩的に語られる政治にも問題はないはずだが、ということである。

例えば国民皆年期制度が「世代間の助け合い」という、明らかに正気な醇風美俗の詩を根拠としながらも、一方で世代間の受給の不公平という問題を抱えている現状は、そうした詩的な政治の危うさを示す最も身近な例ではないだろうか。

考えてみれば政治は人々の背景にある共通項を考慮するために、客観であり、形式であり、つまりは箱である。一方で詩は人それぞれの多様な人生の実感を詠うために、主観であり、内実であり、つまりは中身である。

そして箱にとっての正気は箱の役割を忠実に努めることにあるで、箱が中身であるならば正気を欠いていると言わざるを得ない。同じく中身にとっての正気は中身の役割を忠実に努めることにあるので、中身が箱であるならば正気を欠いていると言わざるを得ない。

政治が人々の詩を一つに要約して中身としたり、詩が自身の多様さを忘れて何事にもぴったりと合う箱になろうとすることは、どちらも正気とは言えない行為で、そのことで期待したような結果を得られなくとも、それは自業自得と考えるより仕方がない。

詩人の言葉に魅かれるあまり、詩を世界に実現しようとすることは正気を失っている。だからどんなに苛立たしくとも、ときには理論家の形式の言葉に敬意を払わなければならない。政治は箱で、中身には自分の詩を入れるという原則を忘れてはならない。

A.ヒトラーは形式を憎悪していたという。民主制における投票や代表による政治は形式に過ぎないが、それが形式であるからこそ多様な人生を盛ることができる。だがそれに飽き足らずに形式を偽善的な「うそ」として、一方で自己の内実を「真の民意」として直接無媒介に表出するならば、国家は地獄となる。

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by hishikai | 2010-07-20 21:47 | 憲法・政治哲学
2010年 07月 17日
即興詩の男
「その本を読んで全てを信じるのなら、読まない方がよい」という言葉がある。学生のときに倫理の教科書の一頁に見かけた言葉で、遠い記憶でもあり、また西洋の諺でもあるので、本当はもう少し違う言い方をするのかも知れないが、正確なところは判らない。ともかくも私はこの言葉をいつでも心の片隅に留め置いて本を読んできた。

物事は多面体の宝石のように多様な側面を持っている。だから何であれ、本の内容には必ず取り逃がされた面があり、それを承知せずに全てを信じることは理解として危うい。ときに古書の行間に「そんな馬鹿な!」という書き込みを見つけると、私にはそれが先んずる人々の懸命な努力の痕跡であるように思われてならない。

ところが詩人のまとまった文章を読むと、そうした考え方とは正反対の率直な感性に出くわすことがある。そのなかで彼らは多面体の宝石を用心深く眺め回すかわりに、手の中の宝石に映った自分の姿を見て茫然と立ち尽くしている。例えば詩人の伊東静雄の日記には、彼の傷ましいような他者への自己投影の姿が記録されている。

「今日大手前に行こうと堺東駅に来たら遺骨の凱旋に出会ふ。皆直立し頭を垂れて迎へてゐると、群衆中の四十位の男──縞のワイシャツに半パンツ、地下足袋ばき、戦闘帽をかぶつてゐる。服装は清潔だが、顔色実に黒く、一見して屋外労働に従事してゐる男らしい。直立不動で、最敬礼し、やがて遺骨に向かつて朗々と何か歌ひ出した。詩吟に似たうたひ方で、又和歌の朗詠のやうでもある。二度ほどくりかえしてうたふ間に遺骨は駅の構外に出て行つた。

富士、清き流れ、もののふ(ますらを)、桜の花の散るがごとく、神武天皇様、靖国の社といつたやうな語句からなるうたで、二度くりかへす文句が少しづつ違ふところをみると、即興詩らしかつた。人々は半ば感動し、半ばうす笑ひ、不思議さうにみつめてゐた。その声は堂々とさびがあり立派であった。

自分は眼底のあたたかくなるのを感じた。いくらか常軌を逸した人らしい眼光もないではなかつたが、狂とも愚とも人は見るこの男の胸に素直に宿り、やがて率直単純に表現せられた皇国の詩情とまごころにうたれた。自分の近来の不安焦燥と、詩人としては緊張のゆるんだ生活を省みることが痛切であつた。

まじまじと人の見つめる視線の中で謡ひをへると、はるか彼方の遺骨の行方に最敬礼し、やがてプラットホームの人の少ない辺に行つて直立しつづけてゐた。(中略)その声の美しさに似ず、それに自ら酔つたやうなひそかにそれを誇つてゐるやうなところの皆無なことが気持よかつた。又人を圧するやうなところもなかつた。謹直と敬虔、英霊と遺族はどんなにうれしかつたらう」(昭和十九年七月八日の日記)

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戦友の胸に抱かれて英霊の凱旋 言うまでもないことだが、伊東は即興詩の男に戦争の中で詩をうたう自分の姿を見ている。そこでは、うたうものとうたわれるもの、それを見るものとが、同じひとつの祈りのなかで渾然一体となっている。

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by hishikai | 2010-07-17 09:40 | 文学
2010年 07月 15日
名文
e0130549_1572481.jpgいや、なるほど君の言うことは筋が通っている。宙で憶えているほど練りに練った理屈だからな。そしてたしかに、いろんなことがみなぴったりと君の説明に当てはまる。それは認める。君の理屈で説明のつくことは実に多い。

だが、その説明では取り逃がしてしまうことも実に多いではないか。世の中には、君の理屈以外に理屈はないのか。誰もかれも、みんな君一人のことにかまけきっていると君は言うのか。なるほど瑣細な事件はいちいち君の言うとおりだとしよう。

往来で君と擦れちがう男が、君のほうを見ないとして、それは奴が陰謀を洩らさぬために、わざとそうしているのだと認めよう。あるいは警官が君の名前を訊いたとして、知っているのにわざわざ訊いていたのだと認めてもよい。

だが、こういう連中は実は君のことなどてんで気にもとめていないのだと君が知ったら、そのほうがどれだけ幸福か、君は考えてみたことはないのだろうか。君がこの世の中でいかにちっぽけな存在かを知れば、この世の中が君にとってどれほど広々した存在となることか。

普通の人間は、他人に対して、ただ普通の好奇心と喜びを持っているだけだ。君もただ虚心にそれを眺めさえすればそれでいい。他人は君に興味なぞ持ってはいないからこそ、君は彼らに興味を持つことができるのだ。

今の君は、せせこましくもけばけばしい劇場だ。やっている芝居は相も変わらず、いつでも君が作者で、君が主役で、そして君が観客だときている。こんな息のつまる劇場は叩き壊して、思いきりよく外へ飛び出せ。そこにはのびやかな空が広がり、街路の見知らぬ人びとの群が無限の歓びを君に与えてくれるだろう。

(G.K.チェスタトン 著 福田恆存・安西徹雄 訳/『正統とは何か』より)

世界と自分の関係について「普通」に考えることは案外に難しい。生きていれば息のつまることや、いろいろと嫌なこともある。そんなとき、G.K.チェスタトンの文章は、扉を開けること、外へ出かけること、深呼吸をすること、空を見上げること、鳥の声に耳を傾けることの大切さを教えてくれる。

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by hishikai | 2010-07-15 15:09 | 文学
2010年 07月 14日
詩の解らないこと
e0130549_1146311.jpg詩が解らない。詩と言っても杜甫とか李白とかのそれではない。石川啄木とか中原中也とかのそれである。杜甫や李白は中国語だからよいとしても、石川啄木や中原中也は日本語で、それでいてさっぱり解らないのだから、不安になる。

詩など解らなくても良い、いや、解らない方が良いとも思う。もしも私に子供があって、それが娘であったとして、それが年頃になって家に結婚したいという男を連れて来たとして、その男の職業が詩人などと言うのなら、詩など解らなくても良いと思う。

それほどまでに詩というものは、きざで、独りよがりで、いけすかないものに思える。しかしきざで、独りよがりで、いけすかないものを懸命に書いている人間がいて、それを幾らかの金銭で買う人間がいるのだから、やはり不安は尽きない。

三島由紀夫は詩人の伊東静雄の作風の『夏花』から『春のいそしぎ』への変貌に浪漫的イロニイを感じると言い、それを受けて橋川文三は、その変貌の姿の中に戦争に青春を過ごした自分ら多くの仲間の群像をうつしてみることができると言う。

「われは叢(くさむら)に投げぬ、熱き身とたゆき手足を。/されど草いきれは/わが体温よりも自足し、/わが脈搏(みゃくうち)は小川の歌を乱しぬ。(後略)」
(伊東静雄/『夏花』より「夏の嘆き」)昭和十五年

「おほいなる 神のふるきみくにに/いまあらた/大いなる戦ひとうたのとき/酣(たけなわ)にして/神讃(かみほ)むる/くにたみの高き諸声(もろごゑ)(後略)」
(伊東静雄/『春のいそしぎ』より「わがうたさへや」)昭和十八年

こうして『夏花』に戦前を過ごし『春のいそしぎ』に戦中を過ごした伊東静雄は、終戦後に軍服で復員してきた友人の来訪をひどく嫌ったいう。同じ人間の中に三つの人生がある。しかしこうして詩を比較してみても、詩を解ったことにはならない。

宵待草(セノオ楽譜)竹久夢二 画 昭和九年「まてど暮らせど来ぬ人を/宵待草のやるせなさ/こよひは月も出ぬさうな」(竹久夢二/『宵待草』)そう、このくらいなら何となく解る。でも、もうちょっと難しいやつが解ると申し分ないのだが。

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by hishikai | 2010-07-14 12:00 | 文化
2010年 07月 12日
近代国民国家との遭遇
e0130549_1355931.jpg昭和二十年八月十三日の夜、東郷外務大臣と梅津、豊田両総長がバーンズ回答文を受諾するかしないかで会談している首相官邸に大西瀧治郎が姿を現した。軍令部次長であるが閣議の外にいる人間だから、横から口をはさむのは越権行為であることを承知で嘆願した。

「私は今次戦争勃発以来、戦争をどうすればよいかということを日夜考え続けて来たつもりだった。しかしこの両三日になって考えてみると、これまで戦争を考えた考え方が、いかに真に真剣なるものに及ばなかったかが判った。私はこの両三日ほど戦争を真剣に考えたことはない。我々は自分では気付かずにいたが、真に戦争を考えたことはなかったのだ。この点は国民の全部がそうではなかろうか。今この真剣さをもって考えたら、必ず良い作戦が策出せられ、陛下を御安心させ申し上げることが出来よう。」(迫水久常/『降伏時の真相』)

吶々として声涙ともに下る言葉で、居合わせた者の胸を打ったが、今しばらくの時日を得て敵に最後の一撃をというのであれば、梅津も豊田も同じ考えであるはずだが、彼らは黙して語らなかったという。ややあって大西は、迫水の手を握ると淋しく去って行った。

大西の言葉には恐ろしくも、しかし奇妙な触感がある。恐ろしいというのは、玉砕を否定しながら「全国民を戦力化して敵を殲滅せよ」と言う大西の「真剣」に本土決戦を委ねたならば、現在想像するより遥かに壮絶な運命が、日本人を襲ったであろうという意味で。

奇妙なというのは、海兵入学以来三十余年のあいだ、戦争を「日夜考え続けて来た」大西瀧治郎という人間が祖国の滅亡に臨み、思念の地獄の道端で、外道な合理神を超える殺戮神と出会った、その体験の驚きの報告であるように見受けられるという意味である。

その殺戮神が何であったのか、私は近代国民国家であったと思う。それは近代史の中から共同体を乗り越えて出現したもので、共同体が共同を他者にも意識する性質であるのに比較して、近代国民国家はそういった共同を一切排除した、無道徳の玉座に君臨する王である。

道義国家建設とか、五族共和王道楽土とか、悠久の大義とか、天佑神助とか、国体護持とか、そういう生暖かい観念は、一つの列島に一つの民族が美しい四季のもとに営んで来た共同体の道徳の吐かせる言葉で、およそ近代国民国家とは縁もゆかりもない。

その驚きを大西は「我々は…戦争を真剣に考えたことはない」「国民の全部がそうではなかろうか」と言っている。これは例えば、A.ヒトラーの「戦争を遂行するにあたっては正義など問題ではなく、要は勝利にあるのだ」という言葉と、同じ曲の序奏を成している。

赤坂で南京陥落を祝うダンサーたち 昭和十二年 私たちは善きにつけ悪しきにつけ国家統治に道徳を持ち込んで来た。いや、国家と道徳を同じものと考えて来たと言ってもよい。このことが今日でも続けられていることは、例えば外国人参政権法案や東アジア共同体構想を支持する人々の心の底に、歴史の贖罪意識が通奏低音として流れていることを聴けば明らかである。しかし知っておくべきは、その被害者を名乗る民族でさえ、こと国家行動の原理には、一片の道徳心も持ち合わせてはいないということである。

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by hishikai | 2010-07-12 13:15 | 憲法・政治哲学
2010年 07月 10日
自身が一個の世界として立つべきこと
e0130549_13391672.jpg先日あるブログに「痴呆化する保守」という記事があった。文芸春秋に掲載された藤原正彦の文章に対する批判で、論旨は定式化された保守批判で目新しくはないが、それにしてもこの類いの批判が根強くあることについて、保守主義者は無頓着であるように見える。

戦後の思潮として、あるいは喫緊の要請としても、自己の思想的立場を明らかにすることは経済を語ることで為される。政府の市場への介入がどこまで許されるのかという課題を入り口として、国内外の様々な問題に向かって思考の道が拓かれているのが現状である。

政府の市場への介入に否定的な人々は、個人による生活の自立を訴え、政府の市場への介入に積極的な人々は、政府による生活の保障を主張している。一般的な分類でいえば前者が自由主義者で後者は社会主義者であろうし、その中間の立場も無限に存在するであろう。

ともかくも、こうした議論が単に経済政策にとどまらず、むしろ国内外の諸問題と密接に関わっているということは、経済思想というものが「人間とは何か」を出発点として、具体的な制度論へと結実し、一個の完結した世界観を形造っているからに他ならない。

例えば共産党という集団がそれなりに存在を認められ、あるときは人々から一目置かれるというのは、彼らが彼らなりの「人間とは何か」を出発点として、具体的な経済体制のモデルと完結した世界観を持っているためで、いつでも増税に反対しているためではない。

戦後日本人の歴史認識の全てをGHQの思想統制に求め、その流れから自由主義的な経済政策をアメリカの陰謀と批判し、民主党の国内政策を中韓の陰謀と批判し、最後に大和魂と武士道で締め括るという保守主義者の主張の、人々に対する説得力は如何がであろうか。

冒頭に指摘した記事のタイトルが「痴呆化」であるというのは、そうした保守主義者の主張が、かつての小林秀雄や福田恆存の文学的知性すらも失い、いまや時代に取り残された老人の繰り言になったという、人々の倦んだ印象の一端を表しているのではなかろうか。

であるならば保守主義者は経済を語るべきではないか。「人間とは何か」を語り、人間の集まりである社会を語り、社会が依って立つべき経済体制を語り、経済体制が現実に機能する制度を語るべきではないだろうか。自身が一個の世界として立つべきではないのか。

『岩倉大使欧米派遣』山口蓬春 画 帝国列強から我国を護り、今日の礎を築いたのは明治の元勲たちと、それに前後する有名無名の人々であったが、彼らが武士道を心底深くに堅持ながらも、なお強く抱いていたのは「今は何が必要か」という問題への、文化の国境を度外視した非情なまでのリアリズムであった。

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by hishikai | 2010-07-10 13:47 | 憲法・政治哲学
2010年 07月 02日
小瀬温泉
e0130549_16361959.jpg小瀬温泉は軽井沢を北へ一里ほど登ったところにある。一時間に一本通じるバスで断崖の細い上り坂を揺られて行くと、窓の外には梅雨時の若々しい緑がどこまでも広がり、雲の切れ間から射す光が木漏れ日となって、車中を前から後ろへと流れていく。

バスを降りて、森の中の小径をトランクと傘を持って歩く。小川の流れる音、葉の風に鳴る音、鳥の呼び交う声とが聴こえるばかりで、他には何もない。見上げれば、木々の間を大きな鳥が一羽、ゆっくりと飛び去ってゆく。しばらく歩くと一軒の小さな宿に着く。

部屋は八畳の日本間で、窓の下に細長い板の間がある。そこにトランクを置き、傘を押入れにしまい、麻の三揃えの背広を衣紋掛けにかけると、さっそく露天風呂へ行く。湯の中に立ち、腰に手を当てて森を見渡せば、緑、緑、緑、体の中まで緑色に染まるようだ。

浴衣で部屋に戻りトランクを開け、白い函入りの赤い布表紙の本を取り出す。背に『増補 日本浪漫派批判序説 橋川文三』とある。コップの冷たい水を飲み、座椅子に腰を下ろし、白い函を抜き、広い机の上に赤い布表紙を開け、最初のページを繰る。

「この特異なウルトラ・ナショナリストの文学グループは、むしろ戦後は忘れられていた。それはあの戦争とファシズムの時代の奇怪な悪夢として、あるいはその悪夢の中に生まれたおぞましい神がかりの悪夢として、いまさら思い出すのも胸くその悪いような錯乱の記憶として、文学史の片すみにおき去りにされている」(橋川文三/『日本浪漫派批判序説』)

日本浪漫派は保田與重郎を中心に昭和初期から敗戦まで続く文学運動で、文明開化の精神とプロレタリア運動と日本主義とを斥け、日本人に頽廃ともいえるほどに古典美への回帰を呼びかける。殊にその主張は、戦中の学徒動員や勤労動員下の青年たちに支持される。

著者の橋川文三は丸山眞男に師事した政治思想史の研究者で、自身も日本浪漫派に「いかれた」戦中の記憶を持つ。その語り口調は戦中と戦後の二つの日本を生きた人の静かな告白の風を呈している。「みごとな文体」と後年、三島由紀夫は橋川宛の書簡に記している。

「私たちと同年のある若者は、保田の説くことがらの究極的様相を感じとり、古事記をいだいてただ南海のジャングルに腐らんとした屍となることを熱望していた!少なくとも『純心な』青年の場合、保田のイロニイの帰結はそのような形をとったと思われる」(同上)

渾々と読み耽り、部屋を出て風呂場へ行くと、浴室の大きな硝子窓の向こうで、夜が白々と明けてゆく。湯は透明で柔らかく、豊かに湧くがままになって流れてゆく。体を沈め、手足を思う存分に伸ばす。明日も、あさっても、こうして本を読もう。

宿の近くの竜返しの滝。山道の入り口に「野生動物〈クマ〉生息地域」と書かれた看板があり、思案の末、滝まで往復の道のりを大きな声で歌いながら歩く。曲目は「愛国行進曲」と「森のくまさん」で、ときに歌詞となり、ときに伴奏となる。冷たい汗が流れ、次第に早足となる。

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by hishikai | 2010-07-02 16:49 | 文学