2011年 02月 18日
上水道と下水道
e0130549_15571538.jpg去年の『憂国忌』で印象深い話があった。──もっとも以下は、私の曖昧な記憶に基づいていることを最初に弁明して置く──それは登壇された井尻千男氏と遠藤浩一氏の、次のやり取りの中でのこと。

井尻氏曰く、ある座談会で三島由紀夫は福田恆存に「あなたは西洋と暗渠で繋がっている」と云った、そこから三島由紀夫は真性保守、福田恆存は近代保守である、両者は戦後の二つの保守思想を代表しているが、この対立は今日も続く問題である、と。

これに遠藤氏が付加えて曰く、いや「暗渠」という言葉は後に訂正されたもので、その時は「下水道」という言葉を使ったのです、つまり三島由紀夫は「福田さん、あなたは西洋と下水道で繋がっている」と云ったのです。

この発言で井尻氏と来場者に苦笑があったが、遠藤氏は頓着することなく、さらにマイクを取って云う。これに福田恆存が何と返答したかといえば、こうです「三島さん、あなたこそ上水道で日本と繋がっているではないか」と。

見事な返答だと思った。三島にしてみれば、福田の保守主義者を標榜しながらも西洋臭の強い、その発言者としての有り様が、実は精神の底の底から西洋と結託した人の、世を欺く擬態であると云いたかったのであろう。なるほど、福田はこうも云っている。

西洋文明を受け入れることは、同時に西洋文化を受入れることを意味します。和魂をもつて洋才を取入れるなどといふ、そんな巾着切のやうな器用なまねが出来ようはずはない。和魂をもつて洋魂をとらへようとして、初めて日本の近代化は軌道に乗りうると言へるのです。(福田恆存/『日本への遺言』より「和魂洋才」)

こうした考えを批難しようと思えばいくらでも出来るであろう。しかし福田恆存が敢えてこれを云うのは、自分ならざる文明と文化を受容しなければ生存の可能性の無かった、近代日本の苦渋を深く心に刻み付けた、その決断に立った百も承知の汚れ役ではなかったか。

それよりも上水道である。上水道で日本と手を結ぶことは、心地よく、美しく、正統であるに違いない。何人もそれを批難出来ないであろう。だがその汚れなき衣服をまとって、それだけで事は済むのか。福田恆存の返答はそういう意味だと、暗い客席で思った。

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# by hishikai | 2011-02-18 15:58 | 憲法・政治哲学
2011年 02月 17日
近代の奔流
e0130549_1242777.jpg日本人が自国に流入した「近代」の奔流をどのように経験したかというイメージを探していたところ、谷崎潤一郎の『細雪』にあった。ただし、この「近代」の正体について、私の浅学の及ばぬところであろうし、ここでは触れない。その文章を引用する。

只今、と云いながら十になる息子の弘が息を切らして這入って来た。おや、学校はどうしたの、と云うと、今日は一時間で授業がお休みになったんだよ、水が出ると帰り路が危険になるからこれで帰って宜しいって云ったんだよ、へえ、水が出そうなのかい?と、女史がそう云うと、何云ってるんだい、僕が歩いて来る後から水がどんどん追っかけて来たんで、僕、追い付かれないように一生懸命駈けて来たんだ、と、弘少年が云っているうちに、もうざあッと音がして、庭に泥水の奔流が侵入して来、見る間に床へ上がってきそうなので、女史と妙子とで慌てて其方側の扉を締めた。と、今度は反対側の廊下の方で潮騒のようなざわめきが聞えて、今弘少年が這入って来た戸口から水が室内へ流れ込んで来た。
扉を中から締めたぐらいでは直ぐに開けられてしまうので、三人の体で暫く押さえつけていたが、それでもどしん、どしん、と、戸口を叩き割るように打つかって来る。三人は協力して、テーブルや椅子などで突っかい棒をして堰き止めていたが、やがて、安楽椅子を戸の内側へぺったりと寄せつけてその上に胡坐を掻いて頑張っていた少年が、「やあ」と大声で笑い出した。と云うのは、忽ち戸が開いて、安楽椅子が、坐っている少年ぐるみ浮き上がったのであった。まあ、大変だわ、レコードを濡らさないようにしてよ、と女史が云うので、大急ぎでキャビネットからレコードを出して、何処か高い所へ置くと云っても棚も何もないので、もう水に漬かっているピアノの上へ積み上げたりしていたが、そうこうするうちにお腹ぐらいの深さになって、三つ組みのテーブルだの、珈琲沸かしのグラスの球だの、砂糖壺だの、カーネーションの花だの、いろいろなものが室内の彼方此方にぽかりぽかり浮き始めた。女史が、あら、妙子さん、その人形大丈夫か知らと、暖炉棚の上に載っている、妙子の作った仏蘭西人形を気にしたので、大丈夫でっしゃろ、まさかそんなに来えしませんやろ、などと云っていたが、実際まだその時分には三人ながらいくらか面白半分にきゃッきゃッと云っていた。
弘少年が学校の鞄が流れて行くのを摑まえようとして体を伸ばした弾みに、浮いて来たラジオの角へ頭をコツンと打つけて「あ痛ア」と云った時なんか、女史も、妙子も、頭を押さえている当人も、可笑しくて笑いこけたりした。そして、何でも半時間ぐらいはそんな風に騒いでいたのであったが、或る瞬間から、急に三人申し合わせたように真剣な顔つきになって黙り込んでしまった。妙子が記憶するところでは、あッと思う間に乳の辺まで水が来たので、カーテンに摑まって壁に寄り添っていると、多分そのカーテンが触ったのであろう、頭の上から額が落ちて来て眼の前に浮かんだ。(谷崎潤一郎/『細雪』より)

鹿鳴館以降、盛んになった舞踏会。尊王攘夷から僅か二十年後の光景に、早くも今日の私たちの姿がある。

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# by hishikai | 2011-02-17 12:06 | 文化
2011年 02月 12日
「ピアノdeシネマ」
今年の紀元節は荒天の一日であった。気象庁の予報したような積雪になるとは思われなかったが、それでも朝から身を斬るような冷たい風に吹付けられた霙混じりの雪が窓を打った。このような季節に建国の偉業を成し遂げた先人に、毎年のことながら畏敬の念を覚える。

私は夕方から「ピアノdeシネマ」という催事に出掛けた。サイレント映画をピアノの演奏と共に鑑賞しようというもので、演目は『肉體と悪魔』。1926年制作のアメリカ映画で、主演はジョン・ギルバート、助演女優はグレタ・ガルボ、上映時間は111分、当時としては一大長編映画である。

会場となったのは、大正時代に建てられ、昭和十年には東久邇宮盛厚親王の宿所にもなった渡辺氏所有の洋館である。私が到着したときには既に人々が集まっており、中にはいつもダンディな音楽史研究家の郡修彦先生や、十代のモダンガール若林さくら嬢の見知った顔もあった。

人々が上映室となる一室に案内される。灯りが落とされて上映が始まると、ピアノが刻一刻と移り変わる場面に合わせて演奏される。奏者は柳下美恵女史。女史の演奏は、時に楽しく、時に悲しく、絶妙の抑揚を以て作品を立体的に膨らませていく。技術はもとより非常なる集中力に感服する。

作品の舞台は第一次世界大戦前のドイツであろうか。グレタ・ガルボ演ずる魔性の美女が、二人の美男子を翻弄する愛憎劇である。明るい銀幕にグレタ・ガルボの美しさは際立っていた。ダンスパーティーの場面、彼女がアップになると客席は「おーっ」と感嘆の声を上げた。

映画が終わると戦前の服飾について講演があった。講師は淺井カヨ女史。日本モダンガール協會を主催する女史は、この世界では超の付く有名人である。お話はグレタ・ガルボの解説に始まり、1920年代の服飾の流行から1930年代の流行まで、大変に興味深いものであった。最後に蓄音機でリスト作曲『愛の夢』を聴いて散会した。

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写真 淺井カヨ女史と。淺井女史とお会いするのは二度目だが今回も緊張した。この時もカチンコチンである。

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# by hishikai | 2011-02-12 19:22 | 文化