2009年 06月 23日
戦争はなぜ起こるのか。これはほとんど答えの無い問いであるように思われる。人間の宿命だ。そう言ってしまえば何もかも説明しているようだが、それはかえって過剰な説明になる。その説明は戦争をする国家と、そうではない国家があるという事実について答えない。 私たち日本人も戦争には苦い経験を持つ。だから今日でも戦争を感情的に忌避するのだが、忌避することで戦争勃発を予見し、これを避け、あるいは避けるべきではないという切迫した判断がなされるかといえば、答えはノーである。忌避することは人を守らない。 昨年12月19日に帝国ホテルの一室で開かれた民主党幹部とアメリカの安全保障専門家との会談の席上、アメリカ側の一人で元国防次官補J.S.ナイが、民主党の政権公約に掲げられている安全保障政策に対して懸念を表明したということも、そのような戦争への考え方の違いを示している。 これを産経ニュースは「民主党が掲げる政策を一度にぶつけたら、米議会や政府は反米とみなすかもしれない」というアメリカ側の発言と共に伝えているが、問題なのは反米という言葉ではなく、この後でJ.S.ナイも指摘しているように、民主党の公約には「日米協力の全体像(トータル・パッケージ)がない」ということである。 それは現在の国際社会の構造、主要なプレーヤーである諸国家の歴史的な背景、同盟関係の現状、相互依存の度合い、それによる行動の予測、パワーの分析、脅威の特定といった観点から安全保障を考える、それも常に動いている情勢の中で考えるという思考が、民主党とこれを支持してきた日本人に欠如していることに起因しているのではないか。 戦争を感情やイデオロギーから考えることは、考える対象の内容に何らの区別も設けないために、あまりにも多くのものを説明してしまい、肝心の安全保障の実際については何も説明しない。そのような思考パターンをJ.S.ナイは次のように表現している。「止まった時計の針は、一日に二度正確な時間を告げるが、それ以外には用をなさない」 『ゲルニカ』P.ピカソ 1937
by hishikai
| 2009-06-23 16:58
| 憲法・政治哲学
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