2008年 02月 06日
嘉村磯多はある日街上で、学習院卒業式に出席された天皇陛下の行列に出逢う。汚れた足袋を脱ぎ、ふところにねぢ込む。襟前を掻き合わせ、羽織の折り目も正して、今か今かと両足を揃え、込み上げる恭敬の感情も押え難く立っている。すると「君、君、ちょっと」巡査に見とがめられ、住所、氏名、職業を調べられる。結核から腸出血を患い、異様な顔色の悪さが原因であった。群衆の視線が射すようだ。 「時節柄、直訴状でも携えて居はしないかと疑ぐられたのである。あれほどの多人数の中でたった一人。心、痛むとやせん!身、痛むとやせん!が、やはり私のどこかに直犯的な嘆かわしい形相が仮にも認められるのなら、なんとも恐れ入るほかない。 愁い多ければ定めて人を損ずるというが、触ればう人毎へ、闇をおくり、影を投げ、傷め損ずる、悪性さらにやめがたい自分であることが、三十三年の生涯で今日という今日は、真に眼にみ、耳にきき、肝に銘じて思い知らされた有難い気持から、落ち切った究竟の業因の牽くところ日月不照 千歳の闇室に結跏して無言の行をこいねがう、かような猛き懺悔改悛のこころで、室穴に差すしばしのみひかりをおろがむこと香光荘厳の御車のひびきのきこえなくなるまでボロ洋傘に凭れ掛って私は一心不乱にうなじを垂れていた」(曇り日/嘉村磯多) 嘉村磯多に救いは無い。ヘルダアリンの如くに自己と現実の狭間で崩壊する純潔も無い。ただ自らを潜在的犯罪者と恐れ苛む精神の牢獄の中で平伏し、運命に許しを乞い、時々に跳ね起きて奇声を発し、自身を自身で膺懲するのみである。 しかし私は理解する。社会の成功者、家庭の成功者、世間の承認、至尊の御稜威、それらを闇室の中から眺め上げ、己の不肖の浅ましさに頭を地に叩き付けて煩悶するその孤独を理解する。 以前に近しい人がこれを読み「馬鹿を言うな、誰だって我慢して懸命に生きているんだ。こいつは自尊心ばかり高い臆病者だ」と言ったが、この反応は正当に主張されてよい。が、やはり⋯と継ぐべきではない。抗弁は罪を重くするだけだ。 臆病な自尊心ということから引いて考えると、中島敦の『山月記』が想い起こされる。李徴は自らの才能を信ずるが活かし切れず、それでも詩業に立たんとするが終に家族が飢凍の身となるに至り官職に降る。その怨念と呪詛が彼をして一個の虎へと変身させるのだが、中島敦の典雅な漢文調がその比較を妨げているとはいえ、李徴の焦燥と嘉村磯多の懊悩は響きあう和音である。 あるいはこれが妄想の翼を逞しうして、二二六事件首謀者である磯部浅一の「天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」という獄中の叫びと「室穴に差すしばしのみひかりをおろがむこと香光荘厳の御車のひびきのきこえなくなるまでボロ洋傘に凭れ掛って私は一心不乱にうなじを垂れていた」という嘉村磯多の文章が、その不遇と怨念と呪詛とが一転して至尊への恋闕へと転ずるところに通じている、この両者の関係はオクターブだと言えば言い過ぎであろうか。
by hishikai
| 2008-02-06 14:33
| 文学
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