2008年 06月 18日
近頃では三味線といえば津軽三味線かサンシンと相場が決まっていて「三味線弾けますか」「はあ、多少は」「津軽ですか」「いや、津軽ではありません」「それじゃあ、沖縄のサンシンですな」と本州の北端から一っ飛びに南洋の楽園へ辿り着くことが多い。 別に津軽三味線やサンシンが嫌いというのではないし、話の相手が青森や沖縄の人ならいざ知らず、関東の人にしてそれだから困る。「むむ、すると小唄か都々逸ですか。粋ですなあ」とどうしてこうならないのかと、全くの拍子抜けで寂しいような心持さえする。 もっとも万事がそうであるように、こんなことにも理由はあるだろうし、思えば青森や沖縄の芸能がかつては低い地位に甘んじていたのを、関係者のご努力により回復されたところにもってきて、ジャズやロックの演奏家との「コラボレーション」がそれまで邦楽に縁遠かった人たちに、その面白さを教えたためでもあろう。 してみると江戸邦楽の認知度の低迷は、関係者の努力不足に原因が求められそうだが、とかく江戸や京都といった都会の音曲はその静けさに生命線があり、これが「コラボレーション」をして出来ないこともないが、そのことの意味はさして大きくないように思われる。 例えば小唄は引き算で出来ていて、これらは音数を少なく絞り込んで、その果てにある余白を聞かせる音楽であるために、これが和音で構成された西洋音楽に合わせて足し算を繰り返すことは、その静けさを深めるのに一向役立たないばかりか、むしろ下世話で安っぽくなるように思う。 こう言ってしまえば結局は聞く人がこれらの美しさを理解してくれるのを待つしかないようだが、なんとも仕方のないことかも知れない。そういえば小唄と似た音曲で歌澤というものがあり、これは常磐津も清元もやり尽くした人の選ぶ江戸邦楽のいわば桃源郷のようなものであるといわれる。 興味のある方は、このような極致から逆コースで鑑賞してみるのも刺激的で面白いかも知れない。ただこれは不思議に思うのだが、歌澤を嗜む方にはなぜか眉目秀麗な御婦人が多い。そのために私などは御尊顔を拝し奉っているばかりで、ともすると芸の鑑賞は上の空になりがちである。
by hishikai
| 2008-06-18 14:22
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