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2008年 07月 10日
夏の食事
夏の食事_e0130549_12188.jpg食事は風情で食う。そう決めても良いのだ。一年中同じものを食っている昨今のグルメブームは冷房設備の普及に負うところが大きく、機械の力で食っているに等しい。だが昔は季節のままに暮らしたので、殊に夏などは風情の力で食わねば遣り切れない。現代人は唯物主義的に食うが、昔の人は唯美主義的に食った。

「夕顔や一丁残る夏豆腐」許六の句である。豆腐を冷たい水にひたして皿に盛る。別に葱と青紫蘇と茗荷を細かく刻んで、ここに鰹節をたっぷりかき込んで生醤油とまぜる。これに冷えきった豆腐をつけて食う。薬味の爽やかさと鰹節に滲みた生醤油が口の中に広がり、冷えた豆腐が舌の上をつるりと滑る。これを冷奴という。

あるいはこれを洒落て水貝と呼ぶ人もある。今は聞かない。もとより上等な食い物ではないが、廉くて涼しげだ。浅い煤竹のような鰹節の色に茗荷の蘇芳紫と青紫蘇の若緑が絡み付いて、それらが漆のような生醤油に溶けて豆腐の白い肌を引き立てている。樋口一葉の『にごりゐ』にも青紫蘇の香たかくと書かれていて床しい。

外を黒く、内を鮮やかな朱に塗った漆の重箱に少し硬めに炊いた飯が盛られて、その上に蒸籠で脂を抜いたふかふかの鰻の蒲焼きが乗っている。朱漆と蒲焼きの間から見える飯にも飴色の垂れが万遍なく掛かっている。山椒を振る。箸をつけると鰻の身がさっとほぐれて微かに炭火の香りが上がる。飯と一緒に頬張る。

国学者の齋藤彦麿は著書『神代余波』で鰻の蒲焼きは「一天四海に比類あるべからず」と云う。江戸期に創業した食べ物屋で今に続いている老舗に鰻屋が最も多いことを考えれば、齋藤彦麿の言葉も大袈裟ではない。但し「蒲焼きの匂いを嗅いで飯を食う」と云われたほどに贅沢なのは今も同じで、懐中の涼しい時には難しい。

幼い頃、父に連れられて蕎麦屋に行くときまって冷麦を食う。空色の水盤に水を漲って氷の浮かべてある中に桃色や薄緑色の麺を幾筋か混ぜた白い冷麦を泳がせて、その上に缶詰めの蜜柑と紅い桜ん坊が乗っている。箸を入れると、カランと氷が鳴る。日盛りの往来に眼をやれば人影はない。柳が揺れて風鈴の音がする。蝉が盛んに鳴いている。

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by hishikai | 2008-07-10 01:16 | 日常


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