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2008年 07月 29日
『野干(のぎつね)王城を攻むるの話』
往時某山の岩窟の中にありて、帝王の道を記し載せある書を読むものありけり。その書には臣下を御する法、国を治むる法、戦争の法、人を用ゆる道など様々の事を載せありて、普通人の知るべくもあらぬものなりけるに、一匹の白き狐ありて岩窟に忍び居り、其れを読む人の声を聞き年月を経るほどに心に悟る節あり。

白き狐次第に驕る心を生じ「我は読書の声を聞きて万法を知れり。されどこのままにては甲斐無し。獣の王に成るべし」と勇み立ちて棲所を立ち出で諸処を巡り行きけるが、某野にて一匹の痩せたる野狐に逢いしかば、突然に打ってかかり打ち殺さんとしけるにぞ、痩せ狐は驚きて「何とて弱き我をば殺さんとは」と叫びける。

「我は獣の大王なるに汝敬礼を欠きたれば、その罪を責むるなり。今より心をあらためて、良き臣下となり忠義を尽くさば許さん」と云うに痩せ狐は降伏して従いけり。一匹の臣下を連れ野を歩きけるに、また一匹の野狐に逢いけり「この無礼者を打ち殺せ」と二匹ながらに飛びかかれば、この野狐も降伏し臣下となりぬ。

それより白き狐は前の如くして、遂には数千匹の野狐を従えて威勢を奮い、使いを遣りて狸と鹿を説き伏せ、猿を降伏せしめ、狐狸鹿猿の総勢をもって猪を征伐し、熊を討ち従え、牛と馬とを従え、狼と豹を降参せしめ、象を臣下となし、虎を従え、獅子をも味方となしければ、白き狐は真実に獣の大王とぞなりける。

白き狐は驕りの心長じて「我は獣の王なれば、人間の王女を妻となさん」と望みを起こし、自ら白き象に跨がりて数十万の獣を引き連れ、王城を十重二十重とぞ取囲みける。国王驚きて使者をもて尋ねれば、白き狐は進み出で「我は一切の獣の王なり。されば王女を娶らんとて此処へ押し寄せ来たりしが、我が言葉に従い王女を与えればよし、さもなくば命令を発して王城を粉となし呉れん」と云いしよしを、使者は帰りて王に申す。

『野干(のぎつね)王城を攻むるの話』_e0130549_18301777.jpg


王は愁い悩みて臣下を集めて問わるるに、臣下らもまた恐れ「人のみにては猛獣に敵い難し。王女は傷ましきことながら、一城の民の命と一人の恥辱とは替え難ければ、王女を白狐に与えて戦争なきようするには如かじ」と群臣同じく云い出でける。

そのとき一人の大臣座をすすめて「如何に方々、忌わしきことを云いたもうものかは。古今の歴史を承るに未だ曾て尊き王女を獣に与えしということあるを知らず。彼に力あれば我に智慧あり。彼に牙あれば我に刀あり。何の恐るることあらん。恥辱を受けて生きんよりは美しく死するがよし。それがし愚かなれども謀事あれば誓って無礼めの狐を打ち殺さん。戦争は望むところなり」と申さば、王は大いに悦びて「その謀事は如何に」と尋ねたもうに「いと易きことなり。その時に臨みて我が為すところを視たまえ」と申し置きたり。

いよいよ戦うことを狐の陣に云い、且つ又「戦いの前に此方よりも閧の声をあぐれば、其方にても獅子に閧の声をあげさせよ。その後大いに戦わん」と云いければ、狐は王女を与え呉れざるに怒りをなし「さらば王城を揉み潰して呉れん。我が臣下ども明日は力めて戦うべし」と命令を下しける。

翌日となりければ狐は堂々と陣を進め整々と隊伍を整えけるが、まず城中よりして、天地も響くばかりの大音あげ、皆一斉にどっと声を合わせ揚ぐれば、狐の陣にては獅子躍り出でて、岩をも裂くべき猛き声もて一声高く吼えたりけり。

もとより狐は小賢しき智慧のみありて勇気なければ、我が臣下の獅子の必死となりて叫びし声を聴くと、ひとしく白き狐は大いに驚き心騒ぎして、象の上より地に落ちければ、諸々の獣共この様を視て、己が王の頼みにならぬを悟り、棲所へ棲所へ走り還りける。狐は腰の骨を打ちて痛さに苦しみ居るところを、この馬鹿者めと国王の臣下にただちに踏み殺されける。

幸田露伴編『宝の蔵』より(彌沙塞部和醯五分律巻三縮張一ノ十一丁)

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by hishikai | 2008-07-29 18:40 | 資料


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