2008年 11月 25日
例えば橋川文三は著作『美の論理と政治の論理』で三島由紀夫の思想を政治思想史上の一般的知識に照らして非論理的かつ非現実的であると言っているが、それが当面の三島由紀夫の思想に対する批判として成立することが間違いないとしても、少なくとも現在の時点でそれを言うことに然したる意味はない。 むしろ問題なのは三島由紀夫の存在が年々遠退いていくということで、例えば三島由紀夫と夏目漱石とはその没年で五十年近い隔たりがあるにも拘らず、その遠近は最早五十年の実感を待たずに急速な速さで歴史に埋没していくように感じられるということである。 そのことは偏に現在の日本人が三島由紀夫の思想の正否を問う以前に、その前提であるところの政治的と非政治的との対立を理解できなくなっていることに因っていて、それは言うならば人間世界全体に対して統治は特殊で限定的な活動であるが故に、政治は人間の全てを覆い得ないという確固たる信念の消滅である。 年金制度の崩壊をすなわち国民生活の崩壊と考え、従って政府に人生を預けても何ら違和感を感じない人々が圧倒的多数を占める現状は、三島由紀夫が生前に言った「弱者の論理」を国民自らが極限まで推し進めた結果であるが、それに対する批判はこの場合、西欧的市民意識の欠如などということから言われるものではない。 それは幕末の国学者達が政治権力への恭順の根拠を、単に非政治的な神意の道具であると理由付けることで、却って政治は人間の全てを覆い得ないという認識を獲得し、それが平田派の政治に対する非政治的反逆へと結実するという先人達の自立した思考と、現在の人々の依存した思考との比較から言われるものである。 日本人の政治への依存は先天的な性向ではなく、明治政府と戦後民主主義による後天的な馴致の結果である。そしてこれに唯々諾々と従ってきた現在の人々は、政治に対する非政治的反逆を訴えた三島由紀夫の思想的前提を理解できず、これを黙殺し歴史に埋没させてしまう。それが三島由紀夫と現在の絶望的な距離となっている。
by hishikai
| 2008-11-25 18:27
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