2008年 12月 19日
「じっさいあの『廃虚』の季節は、われわれ日本人にとって初めて与えられた希有の時間であった。ぼくらがいかなる歴史像をいだくにせよ、その中にあの一時期を上手にはめこむことは思いもよらないような、不思議に超歴史的で、永遠な要素がそこにはあった。(中略)ぼくらはその一時期をよびおこすことによって、たとえば現在の堂々たる高層建築や高級車を、みるみるうちに一片の瓦礫に変えてしまうこともできるように思ったのである。(中略)そのせいか、ぼくには戦前のことよりも、戦後数年の記憶の方が、はるかに遠い時代のことのように錯覚されるのだが、これはぼくだけのことであろうか? ともあれ、そのようにあの戦後を感じとった人間の眼には、いわゆる『戦後の終焉』と、それにともなう正常な社会過程の復帰とは、かえって、ある不可解で異様なものに見えたということは十分に理由のあることである。三島がどこかの座談会で語っていたように、戦争も、その『廃虚』も消失し、不在化したこの平和の時期には、どこか「異常」でうろんなところがあるという感覚は、ぼくには痛切な共感をさそうのである。」(若い世代と戦後精神/橋川文三) 徴兵検査に失格して戦後に共産党員となった橋川文三は、しかし歴史の喪失感に於いて三島由紀夫のそれと同じであった。戦前と戦後の間に存在し歴史の連続を遮断している「壁」の、自身は向う側に魂を留めながら肉体はこちら側に日を送ることによって、橋川文三は廃虚と繁栄の二重写しの幻影の中で日本と接していた。 そのような橋川文三の眼からすれば、昭和三十年に『太陽の季節』昭和三十三年に『飼育』で世間の華々しい注目を浴びた石原慎太郎と大江健三郎という戦後の新しいランナー達の姿にも「どこか『異常』でうろんなところがある」と映った。 橋川文三は石原慎太郎も大江健三郎も共に「壁」を信奉していて、一方は「壁」への盲目的な体当たりを言論とし、一方は「壁」への呪われた凝視を言論とするのみで「壁」を歴史的に相対化する志向に欠如しているために、その姿はいかがわしい「平和」の中でむずがったり脅えたりしている子供のようだと言った。
by hishikai
| 2008-12-19 15:01
| 大東亜戦争
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