2009年 02月 12日
権力分立論はこれまで一般に三権分立と表現されてきた。そこでは国家作用が「司法/行政/立法」の三つに分離して説明され、私達も学校の授業を通じてそう教えられてきた。だがこの三権分立という考え方は、モンテスキューが説いた権力均衡を狙う権力分立論とは別の、よりイデオロギッシュな側面を持っている。 三権分立は、国家作用Aは機関aが担当し国家作用Bは機関bが担当すること、機関aと機関bは相互に強い対抗手段を持たないこと、機関aと機関bは異なった人的構成を持つこと、といった謂わば一作用一機関対応型の国家統治像をイメージしている。 その上で三権分立は立法作用の国会による独占を強調してきた。それは国民に選出された代表から成る国会の立法と、その下での司法・行政という全体像を描くことで、立法府たる国会の他機関への優位を説き、これこそが法治国家だと主張されるとき、権力分立論と民主主義とがピタリと合致するという考えに基づいている。 三権分立が敢えてこのような道筋で国家統治を捉えようとするのは、その根底に「権力分立論とは君主の持っていた行政権を議会が統制しようとする民主的理論だ」という理解を通じた内閣への警戒感があるためで、だからこそ三権分立の理解の下で内閣は「行政を統括する機関」即ち「行政府」と呼ばれることとなる。 だが英国には「行政」とは別に国王の「大権」があり、米国には「行政」とは別に大統領の「執政権」がある。我国でも内閣には解散権、外交権、予算編成権等があり、これら権限の作用は国会の制定した法律の誠実な執行を指す「行政」とは明らかに異なる。 この事は内閣が「執政機関としての内閣/行政機関としての官僚団」という重層構造を持ちながら、同時に執政機関が行政機関を指揮監督する組織であることを示す。この広い権限を警戒し、内閣を単なる「行政府」の位置に抑え込もうとするときに、執政機関の行政機関への指揮監督権が後退し、官僚団のルールに基づかない活動を許すこととなる。つまりこれまでの三権分立という考え方は、その警戒する方向を完全に誤っていたのだ。
by hishikai
| 2009-02-12 15:11
| 憲法・政治哲学
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