2009年 02月 24日
戦後日本人の自画像によくあるのが「日本人は敗戦でアメリカの民主主義を受入れた」と言いながら「小泉竹中改革のようなアメリカ的発想は日本人の性分に合わない」と言う態度である。しかし日本人がアメリカの民主主義を受入れたのならば、小泉竹中改革もすんなり受入れるはずで、両者の並記は辻褄が合わない。 例えば合衆国憲法と占領軍が起草した日本国憲法が全く異なる原理に立脚している事実はどう説明するのか。日本国憲法の基本原理である「主権在民」は合衆国憲法の条文にこれを見い出すことが出来ず、また合衆国憲法が改正するに易い軟性憲法であるのに対し、日本国憲法が改正するに難い硬性憲法である点も異なる。 このことは占領軍が日本に導入した民主主義が自由を重視するアメリカ型の民主主義ではなく、フランス革命に端を発し、やがて欧州大陸でファシズムや社会主義へと移行していった、平等を重視するヨーロッパ型の民主主義であったことを意味している。 民主主義ならば全部同じと思ってはいけない。ヨーロッパ型の民主主義の基底となる欧州大陸思想と、アメリカ型の民主主義の基底となる英米思想とでは根本的な考え方が全然違う。欧州大陸思想は「人間のあるべき姿」を追い求め、英米思想は「人間の現実にある姿」を追い求めた。それだけ両者は水と油なのだ。 欧州大陸思想が「人間のあるべき姿」を追い求めて民主主義を形成するとき、それは道徳論となる。民主主義を道徳に拡大して各人の平等を重視する。英米思想が「人間の現実にある姿」を追い求めて民主主義を形成するとき、それはシステム論となる。民主主義をシステムに止めて個人の自由を重視する。 日本人は戦前の欧州大陸思想の強い影響が尾を引いて、戦後もなお「人間のあるべき姿」から政治や経済を考えている。こうした中で2001年以降の小泉竹中改革は日本人が歴史上初めて出逢った「人間の現実にある姿」から政治や経済を考えた英米思想で、日本人はこれを市場原理主義と呼んで現在に至っても嫌悪する。 だがそれは「日本人の性分に合わない」などという主体的な問題ではなく、明治から慣れ親しんだ欧州大陸思想が、不慣れな英米思想に異物反応を示しているに過ぎない。つまり戦後日本人の本当の自画像は、自身が誇るほどに伝統的思考の持ち主でもなく、また自身が嘆くほどにアメリカナイズされてもいないのだ。
by hishikai
| 2009-02-24 04:21
| 憲法・政治哲学
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