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2008年 07月 13日
『人には棒振りむし同前におもはれ』井原西鶴(要約)
e0130549_1213834.jpg上野の池之端に大きな金魚屋があった。水を入れた箱を幾つも並べて、浮き草にくぐる紅い金魚の姿を見せていた。ここに一人の男が入って来た。小桶を持ってむさくるしい装りをしている。男は金魚の餌となる棒振蟲を集めて小桶に入れ、この店に二十五文の値で売ってゆくのだ。

偶々ここを訪れていた三人の商家の旦那がいた。彼らの一人がふとこの男を見ると、それはかつての伊勢町の利三衛門という大金持ちで、昔日彼らと共に吉原で遊び暮らした仲間であった。利三衛門が家を払って姿を暗ましてからというもの、三人がこれを気にかけていたところへ、偶然この金魚屋で出逢ったのだ。

見れば生活に困っている様子、十分とはいえないまでも助力しようと申し出た三人に利三衛門は、このような姿も女郎買いの行末で世の習い、さのみ恥ずかしいとは思っていない、また悪所の縁で生きていると言われるのは口惜しい、それより再び会うことも無かろうから一杯飲もうと皆を茶屋へと誘い、なけなしの二十五文を投げ出すのだった。

なんのそれなら利三衛門の住まいで昔語りでもしよう、さてそれにしても今の境涯は如何にと道々尋ねれば、吉原から身請けした女房はよくやってくれている、いまは四つになる男の子もあり、夢のように暮らしているとのことだった。やがて入谷の侘び住居に近づくと、中から「ととさま銭もって戻らしゃった」と子供の声。

女房はと見ればこれも以前に吉原で知った顔。家に招き入れて、先ずはお茶と思ったけれども薪が無かったので、仏壇の扉を打ち割って間に合わせた。子供が裸なので理由を問えば、先ほど溝にはまったが着替えが無い、だから乾くまで裸でいるのだと言った。

三人は秘かに打合わせ、手持ちの小金をそっと置いて家を出た。夕闇迫り帰路を急ぐ三人に、やがて小金を握りしめた利三衛門が追いついて、これはどうしたことか、筋なき金を貰うべき仔細なしと言って、その金を投げ捨て立ち帰ってしまった。

それから二三日たった頃、三人は心付いた品物を使いの者に持たせてやったところ、侘び住居はすでに空家となってもぬけのから。慌てて方々詮索したが利三衛門と家族の行方は終に知れなかった。三人はこれを嘆き悲しみ、思えば女郎狂いは迷いの種だと口々に言い合わせ、そろって廓通いをやめたのだった。

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by hishikai | 2008-07-13 12:39 | 資料
2008年 06月 11日
『ミリンダ王の問い』
e0130549_1142289.jpg今を去ること二千百年の昔、インド大陸の西北ガンダーラからガンジス川支流一帯を治めてバクトリア王国が栄えた。二つの河に挟まれた要衝の地シャーカラを都と定めて、これを望む丘陵に白城を構えて王宮とする。このとき王の名はミリンダ。第四代の王にしてギリシャの人、武勇と学識に優れて並ぶ者なき最上者である。

ある日の夕暮、王は五百の家臣らと共に車を連ねて白城を発し、サンケッヤという寺を訪う。それは先頃一人の尊い仏僧にして長老がここに寄宿したことを王が知ったからである。一行が寺に到着する頃には早や日も暮れて伽藍は暗夜に没し、ただ一条の篝火が出迎える長老と八千の比丘衆の影を敷石に長く揺らめかすばかりである。

王問うて曰く
「尊者よ、あなたは何者ですか」
「大王よ、私はナーガセーナとして知られています。比丘衆は私をナーガセーナと呼んでいます。しかしながら大王よ、これは名前に過ぎず、そこに人格的主体は存在しないのです」
「御参集の各位、五百のギリシャ人と八千の比丘衆よ、これなる人物ナーガセーナは『人格的主体は存在せぬ』などと申しますぞ。はたして是認してよかろうか」
王は向きなおり、再び問う
「尊者よ、もし人格的主体が認められぬとするならば、あなたに資物を寄進する者は誰ですか。それを受取る者は誰ですか。修行に励む者は誰ですか。尊者よ、もしそうであるならば、あなたを殺す者に殺人の罪はないのです。尊者よ、『ナーガセーナ』と呼ばれるものは何ですか。あなたの頭髪がナーガセーナなのですか」
「大王よ、そうではありませぬ」
「尊者よ、ではあなたの爪が、歯が、皮膚が、肉が、筋が、骨が、骨髄が、心臓が、汗が、脂肪が、涙が、唾液が、鼻汁が、小便が、頭蓋の中の脳髄がナーガセーナなのですか」
「大王よ、そうではありませぬ」
「そうではなくてと、では尊者よ、様態、感受、知覚、表象、認識の総体がナーガセーナなのですか」
「大王よ、そうではありませぬ」
「尊者よ、私はあなたに問いを重ねつつ、ナーガセーナの何たるかをいっかな合点できませぬ。ナーガセーナとは単なる名辞に尽きるのか。それにしてもこの際ナーガセーナとは何者か。尊者よ、あなたは事実無根の虚言をなされますぞ。『ナーガセーナは存在せぬ』などと」
ナーガセーナ問うて曰く
「大王よ、もしやあなたが車でおいでになりましたのなら、それがしに車の何たるかを述べて下さいませ。大王よ、轅が車でしょうか」
「いや、尊者よ、そうではありませぬ」
「大王よ、では車軸が、車輪が、車室が、車台が、軛が、軛綱が、鞭打ち棒が車なのですか」
「いや、尊者よ、そうではありませぬ」
「そうではなくてと、ではそれら各部分とは別に車があるというわけですか」
「いや、尊者よ、そうではありませぬ」
「大王よ、私はあなたに問いを重ねつつ、車の何たるかをいっかな合点できませぬ。車とは単なる名辞に尽きるのか。それにしてもこの際車とは何たるか。大王よ、あなたは事実無根の虚言をなされますぞ。『車は存在せぬ』などと」
「御参集の各位、五百のギリシャ人と八千の比丘衆よ、これなる人物ミリンダ王は『車は存在せぬ』などと申しますぞ。はたして是認してよかろうか」
「尊者よ、それがしはうそ偽りをしゃべってはおりませぬ。車とは轅、車軸、車輪、車室、車台に依存して、名のみのものとして成立するのでございます」
「よくこそ申された、大王よ、あなたは車の何たるかをお解りでいらっしゃる。それと全く同様でございます。大王よ、それがしにつきましても『ナーガセーナ』とは頭髪、爪、歯、皮膚、肉、筋などの各部位に依存し、様態、感受、知覚、表象、認識に依存して、名のみのものとして成立する一方で『人格的主体は存在せぬ』という次第であります」

『ミリンダ王の問い』(那先比丘経)より
参考文献:ミリンダ王/森祖道・浪花宣明 三島由紀夫が復活する/小室直樹

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by hishikai | 2008-06-11 11:33 | 資料
2008年 04月 04日
合田忠是君(ごうだ ただしくん)坪田譲治童話集・魔法より
e0130549_4212454.jpg大正十四年十一月の或日、南アメリカのサントスといふ港にハワイ丸といふ日本の船がつきました。この船にはブラジルへ移住する七百人の日本人が乗ってゐました。こゝまで来るのに五十幾日かかったのです。みんな船の手すりにしがみついて、陸地の方をながめてゐました。空には一かたまりの白い雲が浮かんでゐました。

この七百人の日本人の中に、合田忠是君といふ六つになる子どもがゐました。お父さんと二人でこのブラジルにやつて来たのです。お母さんは一人でドイツにゐるのでした。さん橋から汽車に乗って一日がかりでサンパウロといふ町につくと、合田君たち二人は小さな下宿へはいりました。

忠是君にはこんなに遠い、知っている人一人もゐないところへ来たことが、どんなに心細いかといふことも、今しみじみ分かって来ました。もうお父さん一人がたよりです。だから「お父さんお父さん」と言つて、そのあとばかり追ひかけました。

お父さんはブラジルで廣い土地を買つて、そこを開いて田んぼをつくり、忠是君と二人で農業をしながら、だんだんに土地を開いて、そこへたくさんの日本人をお國からよぶつもりでやつて来ました。日本は土地が少ないところへ人数が多いのですから、移住でもしなければ食べていくことが出来なくなるりくつです。

お父さんは開墾する土地を探すため、忠是君を一人おいて旅行に出かけることがたびたびでした。「坊や、お父さんはまた旅行に出かけなければならないんだ。こんどは少し永いんだよ。」忠是君は何とも言はず、たゞ暗い顔をしてぢつと下を向いてゐました。「ね、坊やはいゝ子だからね。」涙がポロポロとほほをこぼれて落ちました。

二十五日がたちました。或日、忠是君が外からかへつて見ますと、部屋の中に、まつ黒い顔をした日本人が立ってゐました。忠是君はふしぎさうにその顔を見つめました。「坊や、どうしたんだい。お父さんだよ。」これを聞くと忠是君は大聲をあげて、お父さんにとびつきました。お父さんもぽろぽろ涙を落としました。

大正十五年七月、やつといゝ土地が見つかつて、お父さんと忠是君と神尾さんといふ人と三人でサンパウロを立ちました。そこは、サンタカタリーナ州のハンザ植民地といふところでした。そこまでいくのには、汽車に乗り、汽船に乗り、河蒸気、乗合自動車、軽便鉄道や馬車で八日もかかりました。

お父さんはそこに百町歩もある土地を買ひました。そこの片はしへ板がこひの家を建てゝ、土地を開きにかゝりました。それから馬を一頭、山羊を十頭、犬を二ひき、鶏二十羽も飼ひました。こゝからは、ものを買ふにも、八里も先の村までいかなければなりません。となり家へでも一里からあります。

忠是君は犬や山羊を友だちにして暮らしました。ときには三尺もあるトカゲが森の中から出て来て、鶏の卵をのんでいくのを見てふるへ上つたこともあります。また、頭とおしりに火をもつた蜂や、トンボのやうな大きな螢がまつ暗な森の中からフワリフワリと出て来るのを見ると、泣きたいやうにさびしい思ひがしました。

ところが、そのうちにうれしい知らせがありました。ドイツにいるお母さんが、いよいよこちらへ来るといふのです。お父さんも忠是君もどんなによろこんだことでせう。一と月も二た月も立ちました。お母さんは病気だといふことでした。また一と月も二た月も立ちました。やはりお母さんは来ませんでした。

そのころからお父さんは少しづゝ元気がなくなりました。昭和二年の二月の或雨上がりの日でした。お父さんはみんながとめるのも聞かずに裏山の大きな木を伐り倒しにかゝりました。そして斧をふりあげたひようしに足がすべつて、伐り株でひどく腰を打ちました。それからお父さんは、おそろしい脊髄病にかゝりました。

二三日して、お父さんは近くの村の病院へいくと言ひ出しました。神尾さんが戸板にのせるからといふのも聞かず、馬に乗つて八里の山道をこえて病院へいきました。そこでも治療のしようがないといふことで、汽車でブルメナウ町の病院へいきました。そしてそこに三日ゐてお父さんはとうとうなくなりました。年は三十七才でした。

忠是君はお父さんのお骨をもつて、神尾さんにつれられて、日本へかへつて来ました。ハンザを立つとき、忠是君は、見送りに来た日本人の一人に向かつて「をじさん、ぼく大きくなったら、また、ハンザ植民地へ来るよ。」と大きな聲で、かう言つたさうです。お母さんもとうとうドイツでなくなつたといふことであります。

by hishikai | 2008-04-04 01:25 | 資料
2008年 03月 08日
徳さん(岡本綺堂『ゆず湯』より)
e0130549_10444869.jpg岡本綺堂の随筆『ゆず湯』で語られるのは、明治東京の一隅に生きた左官職人、徳さんの後半生。徳さんは麹町の元園町で阿母さんと妹のお玉さんとの三人暮し。一家は親代々の江戸っ児だが、近年開けたこの土地は新住人が多くて反りが合わない。三人はさびしい孤立の生活に甘んじている。

それでも陽気なお玉さん、近所の人を見れば笑って挨拶をする。そのうち誰が言い出したのか近所の噂に昇るのは、お玉さんには旦那がある、それも異人であるらしい。女の方から泊まりに行くのだと、ほんとうらしく吹聴する者まであらわれる。さすがにこれは響いたか、お玉さんから笑顔は消えて、ふっつり家から出なくなる。

日枝神社の本祭り。町内で踊り屋台を出すことになったが、踊る子が揃わない。そこで小芝居の役者を雇い入れ、踊り屋台は彼らを乗せて練り廻る。それを見咎めた阿母さん、江戸のやり方と違う、お祭には町内の娘さん達が踊るもんだと一悶着。「長生きはしたくない。」「早くくたばってしまえ。」と罵り合い。

阿母さんは寝付き、秋の終わりにお棺に入る。近所への配りものが行き届いていたためか、気の毒に思ったためか、少しは付き合おうとする者もあったが、それも長くは続かない。世話好きな人が嫁入りを媒酌しようと言っても「どうせ異人の妾だなんて云われた者を。」とお玉さんは取り合わない。

冬至の日、近所の湯屋。綺堂がゆず湯に身を沈めていると清元の神田祭を唄う人がある。錆のあるいい声で節廻しも巧い。湯気の中に透かして見れば声の主はかの徳さん。浪花節が方々の湯屋を掻き回している世の中に清元の神田祭。なるほど、今の元園町でこの兄妹が孤立するのも無理はない。

徳さんの家からつんざくような女の声。お玉さんはいつしか狂っていた。「ざまあ見やがれ。うぬらのような百姓に判るもんか。」仕方なしに徳さんは家を売って妹を巣鴨へ入院させることにした。九月のはじめの陰った日、お玉さんは町中の人を呪うように叫びつづけながら人力車にゆられて行く。「畜生。べらぼう。百姓。」

二年が過ぎた冬至の日、近所の湯屋。綺堂は入口の格子で徳さんの死を聞かされる。なんでも腎臓を患っていた徳さん、医者に行こうと薬缶を下げてよろよろ歩いているうちに、床屋の角の電信柱の前で立ち止まる。しばらく電信柱に寄り掛かって休んでいたかと思うと、急にぐたぐたと崩れるように倒れて死んだのだそうだ。「まあ、行き倒れのように死んだんですね。」「行き倒れ⋯。」

徳さんのたった一人の友達だった建具屋のおじいさんは言う。「徳の野郎、あいつは不思議な奴ですよ。なんだか貧乏しているようでしたけれど、いよいよ死んでから其の葛籠をあらためると、小新しい双子の綿入れが三枚と羽織が三枚、銘仙の着物と羽織の揃ったのが一組、帯が三本、印半纏が四枚、ほかに浴衣が五枚と、それから現金が七十円ほどありましたよ。ところが、今までめったに寄り付いたことのねえ奴らが、やれ姪だの従弟だのと云って方々からあつまって来て、片っ端からみんな持って行ってしまいましたよ。世の中は薄情に出来てますね。なるほど徳の野郎が今の奴らと附き合わなかった筈ですよ。」

by hishikai | 2008-03-08 11:11 | 資料