1 2013年 09月 07日
![]() 近代国家は中性国家を特色とする。それは国家が純粋に「形式」的な法の執行により統治を行なう一方で、道徳など「実質」的な価値判断を個人の良心に委ねて、これに不介入であることを指す。その法は個々人の目的に中立で、それだけ統治は限定的である。こうして国家は私的領域の手前で立ち止まり、個人の自由は保障される。 ところが「形式」的な法の執行を恩恵とするのは富を持つ者であって、持たざる者に取ってその自由は餓死への自由だと叫びを上げたのが社会主義者である。彼らの主張によれば、人は生活を保障されて始めて自由なのであり、そのために国家は道徳など「実質」的な価値を実現しながら私的領域に介入すべきとされる。 国家社会主義ドイツ労働者党が政権を掌握したドイツも、こうした国家の一つであった。そこでは「代表と多数決は真の民意ではない」「国家と国民の関係は投票のような機械的で冷たいつながりではなく有機的で情緒的な結合である」といった言説が盛んに述べられた。そして頂点には「形式」への憎悪に燃えるヒットラーが在った。 歴史の過渡期には人々が自己を盛り切れなくなった「形式」を捨て、より適合した「形式」を造り出すが、それすら満足できなくなると人々は「形式」それ自体に反逆し、自己を直接無媒介に表出しようとする。これが現代である。ナチズムはこの病理を文明以前の自然──血と土への復帰で凝集しようとした。それは全く新しいドイツの神話であった。 再びアッシェンバッハ親衛隊中隊指揮官の言葉。「その実質とは──議事堂が焼けると同時に、古いドイツ人を灰にすることだ。」家族の階層秩序、議会、法的な手続、国家と私的領域の境界、こうした「形式」から解放された人々は、次々とアッシェンバッハの言葉に誘われ剥き出しの権力へと吸い寄せられてゆく。ルキノ・ヴィスコンティ1969年の作品。 ▲
by hishikai
| 2013-09-07 21:31
| 憲法・政治哲学
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