2011年 02月 06日
![]() 物語は1923年(大正十二)4月1日に始まる。「エイプリルフールの冗談でしょ!」渡欧中の朝香宮鳩彦王が交通事故で重傷を負ったとの知らせを受け、そう叫んだと伝えられる允子妃殿下は、しかし事態の深刻さを悟り、船上の人となって欧州へ向かう。 6月、妃殿下がパリ近郊のアルトマン病院に駆けつけた時、鳩彦王がベッドに起き上がり、会話ができるまでに回復していた安堵は、病室で撮られた写真の、鳩彦王に寄添われる妃殿下の微笑に残されている。11月に退院、お二人はパリ16区のアパルトマンに居を移す。 「結婚とは手に手をとって冒険に繰り出すことだ」S.フィッツジェラルドの言葉は、その後のお二人の生活を象徴している。常に部屋に飾られた生花。レコードの奏でる音楽。自家用車での外出。トゥール・ダルジャンやメゾン・プルニエのようなレストランでの食事。 欧州各国への旅行は、イギリス・オランダ・ベルギー・ドイツ・オーストリア・デンマーク・ノルウェー・スウェーデン・スペイン・イタリアにまで及ぶ。アルプスでは互いの体をロープで繋いで氷河を渡り、南仏の山岳地帯ではゴーグルを被り自動車を疾駆させている。 こうして二年を過ごし、1925年(大正十四)12月に帰国されたお二人の胸中に、新しい時代の息吹を映した宮邸建設の青写真があったことは想像に難くない。その後、フランスとの間で幾通もの書簡の往復があり、1931年(昭和六)に建設工事は開始されている。 基本設計を担当したのは権田要吉を中心とする宮内省内匠寮。内装を担当したのは1925年にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」の中心的な存在であったアンリ・ラパン。照明を始めとするガラス工芸を担当したのは著名なルネ・ラリックである。 1933年(昭和八)朝香宮邸は完成する。そのアール・デコ様式の美しさは今日様々に讃えられるが、さらに感慨深いのは、その美しい造形が、単に美しい造形にとどまらず、お二人が冒険に繰り出された日々を再現した、夢の器となっていることである。 大客室より次室を臨む。シャンデリアはルネ・ラリックによる《ブカレスト》。その下はアンリ・ラパンがデザインして、フランス国立セーブル製陶所が制作した《ラパンの輝く器》。 ![]() #
by hishikai
| 2011-02-06 12:04
| 文化
2010年 12月 31日
![]() 浮ついた世間の様子は見るに耐えず、聴くに耐えず、だからテレビもつけず、ラジオもつけず、外界の一切を遮断してじっとしている。その姿を人が見るならば、あたかも嵐が過ぎ去るのを待つ巣穴の中の小動物であるに違いない。 だが何と云われようとも歳晩は憂鬱で、でき得るならば西洋人のように合理的かつ冷淡にやり過ごして、この太古の昔よりの脅迫的な目出度さを打ち払ってしまいたいのだが、我家のちゃぶ台や、仏壇や、神棚や、それら全てが習俗からの逃避を許さない。 ただ突っ伏し、頭を抱え、ひたすらに時の過ぎるのを待つのみ。ひたすらに凡庸な日の来らんことを、平日の人もまばらな街角を、のんびりと散策する日の訪れんことを、ただひたすらに待つのみである。 #
by hishikai
| 2010-12-31 22:48
| 日常
2010年 12月 14日
![]() ブランメルとは誰ですかと尋ねると、英国を代表する紳士ですと云う。少し考えて思いあたらないので、私が、存じ上げなくて申し訳ありませんと答えると、女性は、いいえ、私こそ無遠慮に見つめてすみませんと云い、読みかけの本へ視線を戻す。 ジョージ・ブライアン・ブランメル。通称ボー・ブランメル。十八世紀末から十九世紀初頭に英国社交界で評判を博した人物。平民の出身だが、オックスフォード大学から近衛騎兵連隊へ進むと、その立居振舞いや服装の趣味が評判となって、ジョージ四世の寵愛を受ける。 仏蘭西の華麗から英国の質実へ歴史が舵を切ったこの時代、ブランメルは新しい男性服飾の手本となった。純白の生地を高く首に巻き、仕立ての良い青い上衣を纏い、フィットしたズボンに磨き上げた長靴を履いた彼の姿は、並みいる貴紳連より控え目だが上等であった。 だがその態度は控え目とは程遠く、彼は一般に尊重すべきと信じられている一切のもの、権力、地位、学問や芸術の天分、女性の魅力という事々を浮薄と信じ、浮薄であると信じられている一切のもの、服装、立居振舞い、口調という事々を何よりも重要だと信じた。 物事の実質を重んずる教義を社会の玉座から蹴落とし、代わりに物事の形式を君臨させることが彼の生涯の企てであった。華やかな席で実際家を嘲弄する彼に社交界は狂喜した。そうした人生への態度は二百年後の今日まで「ダンディズム」の名で伝えられている。 歩廊に立って走り去る列車を見送る。降りる間際に、ご婦人に声を掛けて頂いたのは初めてなので巧い返答ができずお恥ずかしい次第ですと、弁解する私を見て微笑んだ女性の顔を思い出す。不思議な、それでいて少し名残惜しい気がした。 #
by hishikai
| 2010-12-14 23:26
| 文化
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