2010年 11月 25日
昭和四十五年十一月二十五日午後零時十分。演説を終えた三島由起夫はバルコニーから総監室に戻ると、手足を縛られたままの益田総監に向かって「恨みはありません。自衛隊を天皇陛下にお返しするためです」と言う。 制服のボタンをはずしながら「仕方がなかったんだ」そう呟くと、三島は上半身を裸になり、縛られている総監から約三メートルの床の上にバルコニーの方を向いて正座し、短刀を持つ。森田必勝が左後に立ち、長刀を大上段に振りかぶる。 ズボンを下げて腹を出す。そして、オーッともワーッとも聞える大声を発し、短刀を臍の左下に突き立て、そのまま右へ真一文字に引き回す。森田が刀を振り下ろす。刃は三島の右肩を深く斬り込み、血しぶきが飛ぶ。 「森田さん、もう一太刀!」見ている古賀が叱咤する。森田は再び振りかぶって斬る。今度は命中するも、首は落ちない。「浩ちゃん、代ってくれ」森田のその言葉に、古賀はすぐさま刀を受け取り、三島の首を斬り落とす。 次に森田が血の海となった床に正座する。古賀が左後ろに立つ。「やめなさい!」総監が叫ぶ。森田が鎧通しを腹に突き立てる。「まだまだ」と言いながら右へ引き回すと「よし!」の声に古賀が大上段から打ち下ろす。一刀両断。森田の首は床に転がり血が噴き上がる。 残された盾の会の三人が、益田総監の手足の紐を解き、三島と森田の胴体を仰向けに直して制服をかけ、二つの首を並べて床に立てる。「私にも冥福を祈らせてくれ」そう言うと、総監は首の前に正座し瞑目合唱する。三人は黙って泣いている。 #
by hishikai
| 2010-11-25 11:58
| 昭和維新
2010年 11月 09日
ある夜更け、私は、新内流しの写真が古い雑誌に載っているのを眺めている。「下町の芸に生きる。江戸の残照」という大きな活字は、今にも勇躍して眼を射るのであるが、写真の方は、どうにも取り返しのつかないほど遠い昔の姿に見える。 新内流しは唐桟縞の着物に、松葉尽しか何かの手拭を吉原冠りにして、角帯に三味線を吊り、自らこれを弾きながら、後ろに高音を奏でる上調子を相方に連れ、秋虫の鳴くような音曲と共に市中を流し歩く。 「ちょいと、師匠」と二階から女の声。「へいっ」と新内流し。「ひとつお願いしますよ」「ありがとう存じます」。客に呼ばれて軒先に立ち、悲恋情話を語り、あるいは唄う。一曲終えると客はお捻りを投げ、流しはこれを扇に受ける。 あるいは舟に乗って行なう者もある。川筋の茶屋では彼らを窓下に呼び寄せて語らせ、客は座敷の内に居ながら川浪の音と共にこれを翫賞する。その声は、歌舞伎と共に栄えた他の江戸音曲の華やかさとは対照的に、零落した人生の哀婉に満ちている。 雑誌は昭和四十六年の発行であるから、その頃まで新内流しのあったことは確実だが、いつ頃まで残っていたのか判らない。昭和の終り頃には錦糸町辺りで見かけたと、以前に飲屋の客の会話に聞いたことがある。写真には次の文章がある。 富士松さんは明治二十四年茨城県筑波の生まれで八十一歳、家業が床屋だったので十五歳のとき上京して床屋の小僧となった。店が州崎の花柳界のそばだったので、新内流しが来ると好きでよく後をついて歩いたものだった。ある日母親から、そんなに好きならやってみなさい、といわれて深川に住む宮太夫師匠について習い、以来五十五年にもなる。 三味線二人を連れて夏の夕方頃に深川の船宿「武藤」を出る。それから大川を上りながら舟で新内流しを三十年もやってきたが、柳橋、築地、中川、浜町とよく流したところも、今は高い護岸堤防が出来て岸辺の茶屋との縁を断たれてしまった。(雑誌『太陽』第九十八号) #
by hishikai
| 2010-11-09 12:53
| 文化
2010年 10月 05日
ここである貧しい村に迷い込んだとしてみよう。 そこでは、今まさに軍人が3人の村人を壁の前に並ばせ処刑しようとしていた。あなたが「なぜ彼らを銃殺しようというのだ。悪人には見えないじゃないか」と聞くと、軍人は「昨晩この村の何者かが、私の部下の1人を殺したのだ。村の誰かが犯人であることはわかっている。だからこの3人を見せしめに銃殺するだけだ」と言うのであった。 あなたならこう答えないだろうか。「そんなことをしてはいけない。無実の人を殺すことになるじゃないか。仮にこの中の1人がやったとしても、少なくとも2人は無罪でしょう。ひょっとしたら3人とも無罪かもしれない。とにかく、やめなさい」と。 すると軍人は、部下からライフルを取り上げ、あなたに渡してこう言った。「それじゃ、もしお前がこの中の1人を殺したら、残りの2人を逃がしてやろう。1人殺せば、おまえは2人を救うことができるのだ。内戦のさなかでは、お前みたいな、自分一人正しいというような態度が通らないことを教えてやるさ」 さあ、どうすればいいだろうか。ランボーのように軍人たち全てをやっつけてしまおうとしても、相手は部下の軍人に、あなたに銃口を突き付けさせている。選択は2つに1つ。2人を救うために1人を殺すか、やはり銃を持たずに潔癖さを保つか、である。 カント的伝統に従えば、正しいことのみをすべきなのであるから、このような邪悪な行為を犯すことは拒否すべきだということになる。他方(ベンサムのような=引用者)功利的伝統に従えば、2人が救えるならすべきだということになる。 (ジョセフ・S・ナイ・ジュニア/『国際紛争』) #
by hishikai
| 2010-10-05 18:22
| 憲法・政治哲学
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